野田俊作の補正項
             


教育勅語私案

2011年06月07日(火)


本日の読書
 昨日、「アドラー心理学風の教育勅語だって、作ろうと思えば作れる」と口走ったら、Twitter でさっそくリクエストしてくれた人がいたので、不敬を顧みず作ってみた。

 形式はやはり勅語にしよう。法律というわけにもいかないし、文部科学大臣談話というわけにもいかないだろう。おそれ多いことながら、いくらか陛下の口調をまねてある。

 私たち日本人の先祖が国を始めたのは、はるかに遠い昔のことでした。それから代々、国民一人びとりが力をあわせ心を一つにして国を築いてきました。そのようにして世々にわたって美しく立派な成果をあげてきたことが、わが国のすぐれたところであります。教育の目的はこれからもそのような暮らしを続けてゆけるようにするところにあります。

 どうか日本の子どものみなさん、家族や友人を尊敬し信頼して、いつも助けあい分かちあって暮らしてください。大人になったら、愛しあう夫婦を作り、子どもを大切に育ててください。人々とはお互いの違いを認めあって、競争するのではなく協力しあって暮らしてください。いつも、自分を大切にするのと同じように、他人のことも大切にしてください。そうして、世のため人のため貢献できる人になってください。もし万一、国の非常事態がおこることがあったら、人々を助け国を救うために自分のできることをして手伝ってください。

 そのために、学問を学ぶのです。知識を増やし、技能を身につけ、道徳を磨いてください。そうして大人になって、しっかり仕事をし、法律や約束を守り、人々の役に立つ人になってください。このように決心して暮らすことで、日本のよい国民になり世界のよい一員になれるというだけはなく、私たちの祖先の遺した美しい伝統を受け継ぐことができるのです。

 このような道は、私の先祖が残された教訓なのですが、代々の日本の国民はそれに賛同しそれを守って暮らしてきました。またこれは、昔も今も変わらず、国の内と外を問わず、人であれば誰でもが守らなければならない道理です。私もこの教えを心に刻んで守っていきますので、国民のみなさんもぜひこの教えを守り、皆が一致協力して、世のため人のため、国のため世界のために、立派な行いをして生きていってくれることを心より願っています。

 道徳的な徳目を儒教からアドラー心理学に置き換えたほかは、旧教育勅語の「國體思想」、すなわち日本の歴史的な物語を重視する点と、国民国家としての国家体制を重視する点は、そのまま受け継いだ。これは、アドラー心理学とは関係のない、私個人の政治的主張だ。表現がやや饒舌になっているのは、現代語で書く以上はしょうがないし、いまの子どもたちが理解できるためにもしょうがないと思う。旧教育勅語の漢文調の簡潔さは、現代語ではとうてい再現できない。もうすこしよい書き方があれば、ご提案いただいて、勝手に決定稿を作ってもいいな。

 ある人たちは國體思想の部分に抵抗感を持つかもしれない。その抵抗感そこが、占領軍が日本人に仕込んだ自己アレルギーの毒だと思っているのだが、なかなか脱感作には手間がかかりそうだ。明治神宮などが配っている国民道徳協会の現代語訳文は、現憲法を意識してか、國體思想が不明確になっている。明治神宮でさえとまどうほど、國體思想への抵抗は強いわけだ。そのかわり、儒教臭は原文以上に強くて、「同義立国」なんていう、原文にはなかった思想が入り込んでいる。ともあれ、上に書いた程度の勅語を国民が抵抗なく受け入れられるようになれば、日本文明の前途は大丈夫だと思うんだがね。

 「アドラー心理学は皇室の先祖が残した遺訓じゃない」という反論は当然ありうるけれど、儒教だってそうじゃなかった。上に書かれているのは、宗教を越えた人類一般の道徳、つまり共同体感覚なのだ。それは、古代からの人間の知恵だと思う。そういうものを「皇祖皇宗の道」ととらえる「物語」を復興したいのだ。ある国家が存在するということは、その国家の「物語」が存在するということだ。日本の存在が危ういのは、日本の「物語」が削除されてしまったからだ。アドラー心理学の徳目を広めることも大切だが、われわれの「物語」を取り返すのも大切だ。