野田俊作の補正項
             


アドラー心理学練成講座

2013年09月21日(土)


 神戸の北側の山の中のゼ○ックス社の研修施設を借りて、アドラー心理学練成講座をした。練成講座というのは、カウンセラーなどの資格を持っている人の生涯学習コースだ。一昨年秋に新しい教育法を開発して、あちこちでそのやり方でエピソード分析の方法を教えてきた。練成講座に関していえば、新しい方法になって2回目だ。3日間、とにかく徹底的にエピソード分析の練習をする。

 2人組で相互にエピソードを出し合って分析して、うまくいった人は前に出てカウンセリングの形式でデモンストレーションをしてもらう。今日のところは感動的にうまく動いている。アドラー心理学は、すべての行動は相対的マイナス(=劣等感)から相対的プラス(=仮想的目標)に向う目標追求性でもって説明する。この相対的プラスというのは、should be であって want to be ではない。「道徳」であって「欲望」でないと言ってもいいかな。相対的プラスとは、道徳的な善なのだ。もっとも、道徳的といっても、その個人にとっての私的道徳にすぎないのだけれど、それでも道徳ではある。

 たとえば、学校の校則で、スカートは膝丈と決まっておれば、それを守るのがさしあたって道徳だ。しかし、ある種の子どもは、なんらかの理由でそれよりもきわめて短いか、あるいかきわめて長いスカートをはきたい。これが欲望だ。このように、道徳と欲望はしばしば矛盾する。さて、ある子どもが校則違反の短いスカートをはいたする。アドラー心理学は、その子の目標は、単なる欲望ではなくて、その子なりの道徳なのだと考える。それはたとえば「私は人に拘束されないで、自由でいたい」というようなことだ。そうすると、すべての人間は、犯罪者や精神病者まで含めて、道徳的に行動するということになる。アドラーは実際にそう考えていた。それはカント哲学からの影響だと思う。

 ところが、この子どもに限らず、すべての人間の仮想的目標は「私的道徳」であるにすぎないから、共通の道徳観念(=共通感覚)あるいは超越的な道徳観念(=共同体感覚)と同じだとは限らない。カウンセラーの役割は、クライエントの私的道徳を明らかにして、それを共通感覚や共同体感覚と照らし合わせて、クライエントが共同世界 Mitwelt に帰ってくるように援助することだ。

 このあたりがアドラー心理学が他派の心理学ともっとも違う部分だと私は考えている。つまり、他派の心理学は、道徳には関わらず、「クライエントのニードを充足する」ことを目的に援助するが、アドラー心理学は、アドラーがいうところの「社会生活の鉄則 iron logic of social life」をクライエントに学んでもらうことを目的に援助する。要するに道徳教育なのだ。このあたりが、いわゆる人権教育、すなわち「人に迷惑をかけさえしなければ、自分の欲望を思い切り追求していい」という思想と激しく対立するので、人権教育にどっぷりと浸された参加者たちには、理解が難しかったようで、半分くらいの受講生が目を回していた(@@)。まあ、普段そんな風に考えたことはないだろうからしょうがないけど、だんだん慣れてくださいね。