野田俊作の補正項
             


トラウマ症状について

2017年01月25日(水)


 私の小説の中では、光智比丘(光厳院)が心的トラウマ症状に悩んでいる。こういうことを書くと、「それってアドラー心理学じゃないんじゃない?」と言われそうな気がする。なんでも、最近流行の「ブーム型アドラー心理学」では、「トラウマは無い」ということになっているのだそうだ。しかしねえ、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を最初に提唱したのは、アドラーの娘のアレクサンドラ・アドラーなんだよ。彼女は、1942年だかのニューヨークの大火事の被災者の多くが後に神経症的な症状を発症したことを報告している。それが世界最初の PTSD についての記載なんだそうだ。この知識は、精神医学や臨床心理学の世界では常識の部類なんだけどね。

 私もときどき「トラウマは無い」と言わないことはないのだけれど、これはフロイト派風な実体論的・原因論的な病理学説を否定しているのであって、トラウマ症状そのものを否定しているのではない。『ランボー』という映画があって、その第1編が、トラウマ症状に悩むベトナム帰還兵の物語だった。実際、多くのベトナム帰還兵にトラウマ症状が見られたんだそうだ。多くの人は、「戦場でのつらい体験が原因で、トラウマ症状が結果だ」と考えたのだけれど、それだったら、大東亜戦争から復員した日本兵は、もっとずっとひどい目に遭っていたわけだから、もっとずっとひどいトラウマ症状を出しそうなものだが、その時代の精神医学関係の文献を勉強してみても、あまり多くの報告例はない。それはどうしてなのか考えると、アメリカのベトナム帰還兵の場合は、帰国してみると反戦運動が盛んになっていて、「人殺し」と言われて社会の中で所属することが難しかった。それに対して、日本の復員兵は「お疲れさまでした」と言って温かく迎えられた。この違いだと思う。つまり、アメリカ兵は所属できず、日本兵は所属できたわけだ。所属できている人は神経症になる必要はない。所属できない場合、注目関心を引くため、あるいは権力争いをするため、あるいは復讐をするため、あるいは無能力を誇示するため、人は神経症症状を出す。過去のトラウマが現在の神経症の原因ではなくて、現在の所属の失敗が根本原因で、そのために神経症的に認知がひずみ、過去のある出来事(の記憶)がその原因だと《帰属》 attribute されて、ネガティブに色づけされトラウマと認識されるのだ。だから、現在の所属がよくなって、認知が健康なものに変われば、神経症症状もなくなるし、過去の記憶も外傷的でないものに変わる。

 私のところへも「トラウマで悩んでいます」だの「私はPTSDです」だのという患者さんがよく来られる。私はほとんどその話には乗らないで、現在の所属の話をし、そのための方策を相談する。フロイトが正しいかアドラーが正しいかはともかくとして、現場で治療するということだけから考えるなら、アドラー心理学の方が圧倒的に便利だ。比較的短期間で神経症症状から抜け出せる。

 もっとも、患者さんが「トラウマ学説」にこだわってしまうとダメなんだけどね。そんなことをすると、「私はトラウマがあるので○○できません」と《劣等コンプレックス》を使って解決のための行動をしないので、ある種の自然の結末として、問題は解決しない。なんでも「ブーム型アドラー心理学」では、こういう場合には、「あなたは変わらないことを目的にして、トラウマを口実に使っている」というように言って《正対》 confront するんだそうだが、私はそういう愚かな説教はこれまで一度もしたことはなくて、内心「どうぞ、いつまでも不幸でいてください」と思って黙っているだけだ。治りたくない人を治す権利も責任も、医者にはないと思っていますのでね。プロはクールなんだよ。

 光智比丘がトラウマ症状に悩んでいるのは、まだ所属できていないからだ。そのうち、彼が住んでいる世界に所属できるようになれば、そういう症状は消えていくだろう。

影の炎 第五部 熊野





 実際、そういうことになったのでございます。
 翌々日のことでございました。淡路島が見えなくなりましたので、ずいぶん南に下ったのでございましょう。夕方になると、海はすっかり凪いでしまいました。そうなると、水夫たちは仕事がありません。風が出るか、潮が流れるかまでは、なにもすることがないのです。櫂で漕ぐことはできますが、今夜は月がありませんので、それもできません。そこで、櫂を出して、岸近くに船を寄せて、碇を下ろしました。

 まだ夕闇が来る前のころ、ある水夫がいきなりわたくしの手を取って、抱き寄せようとしました。そこで、膝で股間を蹴り上げてやりました。これはコツがありまして、やんわりと蹴り上げる方が効くのでございます。その男がうずくまると、男たちが一斉に襲いかかってきました。後ろの方で船長は笑って見ています。もっとも、師の御坊も笑って見ておられました。男たちもかならずしも本気ではないようです。退屈をまぎらわせるために、女たちをからかおうということなのでしょう。ただ、光智さまだけは、震え上がって、合掌してお経を唱えておられます。
 千代はどうしているかというと、
 「きゃあ、こわいよう」
 だとか、
 「うわあ、どうしよう」
 だとか言いながら、奇妙な動作をしております。低い姿勢になって、体がゆるやかに回り、そのまわりを手足がまるで鞭のように動くのでございます。それが的確に男たちの急所を攻撃します。そんなに激しく殴るというのではなくて、おもに掌で、ときには手の甲で、まるで撫でるように触るのでございますが、男たちが吹っ飛ぶのでございます。
 「千代、それはなんだい」
 と尋ねますと、
 「なんだろうね。支那の拳法だそうだよ。おじいさまに習ったの」
 と言います。珍しい武術があるものでございます。息も切らせずにそう言ってから、また、
 「きゃあ、どうしよう」
 などと言っております。
 わたくしはと申しますと、片っ端から張り倒し蹴り倒しておりましたが、中々の人数で、面倒になりましたので、そのあたりに置いてあった刀を抜きました。師の御坊が笑いながら、
 「殺生するではないぞ」
 とおっしゃいました。
 「心得ております」
 と言って、男たちの褌を片っ端から斬ってやりました。そうして男たちが前を押さえている間に、できるだけ派手に飛び回って、髷のもとどりを斬りました。髪を切らずに、ただもとどりだけを斬って見せました。何人か斬ってから、
 「次は髷ではなくて、そこにぶらぶらしている醜いものを斬り落とすことにする」
 と言って、左手で男たちの股間を指さし、右手は不動明王のように八双に刀を構えますと、男たちは土下座をし合掌して、
 「許してくだされ」
 と頼みます。
 船長が、
 「いや、これは恐れ入った。無礼をどうか許してくれ。こんな剛の者には、これまで出会ったことがない」
 と言い、跪いて許しを請いました。
 「武将に高く売り飛ばすって」
 と言ってやると、
 「いやいや、とんでもない。あれは冗談だ。どうか忘れてくだされ」
 と言いました。
 「いかがいたしましょうか」
 と師の御坊に尋ねますと、
 「痛い目に遭わせたことをお詫びしておきなさい」
 とおっしゃいました。一瞬、それはないんじゃないかとも思いましたが、なるほどそういう考えもあるなと思いなおし、刀をおさめて、
 「痛い目に遭わせてすまなかった」
 とあやまりました。水夫たちは一斉に、
 「いえいえ、とんでもござりませぬ。われわれが悪うござりました。冗談が過ぎましてございます」
 と、額を甲板にすりつけてあやまりました。

 しばらくして、船長がいくらかの食べ物を持ってやってきて、
 「先ほどは無礼をしてしもうた。しかし、このような強い女子(おなご)は見たことがない。名告ってくれぬか」
 と言いました。
 「清水殿、これは美紗というのだが、影の者だよ」
 と師の御坊がおっしゃいました。
 「なんと、ご出家が影の者を使っているのか。これは珍しい」
 と船長は言いました。師の御坊は笑われて、
 「たしかに珍しい」
 とおっしゃいました。
 船長は水夫たちにむかって、
 「いいか、この方々はおれの客人だ。無礼なことをする者がおれば、海に叩き込んでやる。わかったな」
 と大声で叫びました。水夫たちも大声で、
 「おう」
 と応えました。
 これ以後、師の御坊と船長はすっかり打ち解けて、あれこれ熊野界隈の話をしておられました。

 光智さまはどうかというと、すっかりすくんでしまわれて、それ以後は甲板に出て来られず、船倉の奥で念仏を唱えて一日を暮らしておられます。あるとき、
 「光智さま、どうなさったのでございますか」
 と申し上げますと、
 「昔のことを思い出してしまうのだ。北条氏が滅びるときのことだが、私は六波羅探題と一緒に都を落ちて、鎌倉に向かったのだ。近江の国に番場の宿というところがあって、そこまで足利の者たちが追ってきて、結局、そこで北条の者たちは全員自刃したのだ。その数、四百人もおっただろうか。私は、いまもそうだが、そのときもまったく無力だった。ただ震えておったよ。あたりは文字どおり血の海だった」
 「それは、蓮華寺という寺でございましょう」
 「なぜそなたは知っているのか」
 「阿闍梨さまは、しばらくそこに住まわれて、北条の侍たちの供養をなさったのです」
 「おお、そうであったのか。それは知らなかった。御礼を申し上げなければ」
 「その必要はございませんでしょう。阿闍梨さまは、あなたさまが今なさった話を、あなたさまのことまで含めて、よくよくご存じの上で、あの寺におられたのです」
 そう申すと、光智さまは合掌なさり、また念仏を唱え続けられたのでございます。
 「甲板にあがりませんか。こんなところにおられますと、ますます気が滅入ります」
 と申し上げても、けっして甲板には上がられませんでした。

 千代は、水夫たちとすっかり仲良しになっておりました。
 「千代姫は強いのう。うちの娘にも、あの武術を教えてもらいたいものじゃ」
 などと言って機嫌をとっております。気をよくした千代は、よく歌を唄いました。

  ここは熊野の海なれや
  みずからよしなくも
  及ばぬ恋に浮き舟の
  焦がれ行く
  旅を忍ぶの摺り衣
  旅を忍ぶの摺り衣

 水夫たちはやんやの喝采で、次から次へと歌をねだりました。わたくしも機嫌を良くして、ときどき舞って見せました。そうしてのどかに日々が過ぎてゆきました。

 やがて船は枯木灘に入り、さらに串本の岬を回りました。突然海が荒くなって、たいした風もないのに揺れます。これが黒潮でございましょう。左手には陸が見えますが、右手はどこまでも海で、遠くに水平線が見えております。甲板にいると波しぶきがかかるので、船倉にいることが多くなりました。気の毒なのは光智さまで、すっかり船酔いをしてしまわれて、青い顔をしておられます。胃の中に吐くものがなくなってしまっても、なお吐き気があるようです。横になるとかえって苦しいとおっしゃって、うずくまっておられます。食物も咽を通りませんし、水もあまり飲めません。お気の毒でございましたが、どうしてあげようもございませんでした。