野田俊作の補正項
             


リーダー養成

2017年01月29日(日)


 今日は『パセージ』リーダー養成最終日で、全員が実技試験に合格された。粒ぞろいの質のよい人々だったと思う。雑物が世の中に出回っているときに、私にできることは、純正のアドラー心理学を身につけた人々を増やすことしかない。アドラー心理学はスポーツの一種だから、本では学べない。実習をしてはじめて身につく。しかも、毎日トレーニングを続けないと、すぐに錆びてしまう。精進を期待する。

 「テレビドラマ事件」は、「本を読んでもアドラー心理学は学べない」ということの実験的な証明になった。A)『嫌われる勇気』の著者である岸見一郎氏のアドラー心理学解釈と、B)テレビドラマ『嫌われる勇気』のアドラー心理学解釈とは、かなり違っていて、Aはアドラー心理学の説明としては不十分であるがいちおう許容範囲内の「名目アドラー心理学」、Bはまったくアドラー心理学でない「似而非アドラー心理学」だと思っているのだが、テレビドラマの作者は岸見氏の本も読み、おそらく岸見氏と話もして、あのドラマを作ったのだろう。しかもドラマ作者は、「私はアドラー心理学が理解できたぞ」と思い込んだわけだ。それなのに出来上がったドラマは、とんでもない下手物だ。かくのごとく、本だの講演だのただの話し合いだのでは、アドラー心理学を伝達することができない。今回の事件はその実証的な証拠になったという点ではよかった。

 では、どうすれば正しいアドラー心理学を伝達できるかというと、上手に書かれたアドラー心理学のテキストを参照しながら、自分の生活の中での諸問題を先生や先輩と討論し、アドラー心理学の原理をどうあてはめればその問題が解けるかを悪戦苦闘することで、はじめて本物のアドラー心理学を受け取ることができる。ちょうど物理学の授業のようなもので、原理を書いた教科書があって、実際に解くべき日常での問題があって、先生や先輩と討論しながら一問一問解いてみることで、すこしずつ物理学が自分のものになってゆく。その課程を経ないと、多かれ少なかれ「テレビドラマ事件」が起ってしまう。

 そう思ったので、私は一般向けの講演会をやめた。そのやり方では絶対にアドラー心理学は伝えることができないことを、30年もやってみて、ようやくわかった。本も書かなかった。本は講演会よりももっと伝わらない。けれども、最近になって何人かの人が講演会などをはじめ、その最悪の結果が今回の「テレビドラマ事件」だ。もっとも、これほど悪くなくても、同じようなことがあちこちで起っているに違いないと思っている。しかし、人がすることは止められないので、私は私のすることをコツコツとやっていく。それしかないと思っている。


影の炎 第六部 伊勢





 別れの宴はいたしましたが、かといって、翌日に出帆というわけではなく、風と潮の様子を見ながら、最適の日を待ちます。結局、二月二十二日に、勝浦の港を出て、伊勢の鳥羽に向かいました。途中いくつかの港に寄りながら、さまざまの荷を仕入れて、伊勢で売って、帰りは伊勢で品物を仕入れて途中の港で売ります。初めのうちは黒潮で揺れましたが、尾鷲の三木崎を過ぎたあたりから海はおだやかになり、春の光がさしてのどかな航海でした。左手に見える陸地は、まだ冬の色でしたが、所々に辛夷と思われる花が咲いておりました。

 やがて船は、伊勢の鳥羽の港に入りました、三月二日の朝のことでした。大潮の日でしたので、潮の流れが速く、しかも急に方向が変わることがあって、手練れの海賊たちでも、港につけるのがなかなか難しかったようでございます。ようやく港に入りますと、わたくしは皆に暇乞いをして、船を離れました。ここから北畠氏の本拠地である多気の霧山城へ行って様子をうかがいます。

 鳥羽から宮川までは二里半ほどですから、走れば一刻あまりで着くのですが、昼間は人目があるので、行商人のような格好をしブラブラと歩くしかありません。伊勢本街道を西に進んで、やがて宮川の橋が見えました。そこを渡ると、北畠の領地です。渡ってすぐに関所があるのが見えましたので、やっかいだと思い、すこし上流まで行って水の中を歩いて渡りました。まだ雪解け水は入っておらず、冷たいことは冷たいのですが、水量も多くありませんでしたので、膝上まで濡れた程度のことです。それから森の中を通って、また伊勢本街道にもどって、行商人の格好で歩きましたが、笠をかぶって顔が見えなかったこともあり、不審がられずに済みました。鳥羽から多気の霧山城までは十二里ほどあります。歩いているうちに、日が暮れてしまいました。しかもその夜は闇夜でした。月夜だと夜に走るのですが、さすがに影の者でも闇夜では道が見えません。道を逸れて森の中に入り、小さな谷川のほとりで野営することにいたしました。日が暮れると冷えてまいりましたが、大きな焚火をすると目立ちますので、穴を掘って、その中で小さな火を起し、それで暖をとりました。昼間ですとこれでも煙で見つかってしまいますが、夜は炎さえ見えなければ大丈夫でございます。船で用意してくれた握り飯を温めて食べてから、火の傍で落ち葉にくるまって寝ましたが、三月になったばかりの夜は、影の者にも寒うございました。雨が降らなかったのでよかったです。

 翌日の朝早くに霧山城が見えました。その手前にまた関所がありますので、城のある西側の山と町を挟んで反対の東側にある山の中に入って、尾根の木こり道から様子を窺いました。城はかなり高い丘の頂にある館で、麓に川のほとりに城下町が広がっています。ものものしい警戒ぶりで、城にはそう簡単には近づけそうにありません。しかし、町には人が普通に歩いています。まだ臨戦態勢というわけではなさそうです。望気をすると、町の一部に妙な邪気があります。
 「ははあ、あれだな」
 と思い、山を下りてそのあたりまで行ってみると、金剛座寺という寺があって、その奥でなにやら物音がしています。あたりの様子を窺ってから、気配を消して中に入ってみますと、堂内に金剛行者と思われる白衣の行者の姿が見え祈祷をしております。そのまわりに何人かの僧侶と侍が控えています。行者はときどき会衆の方を向いて呪文を唱えます。たしかに金髪で碧い目であることを確かめて、これだけ見れば十分と思い、また山の中に潜り込んで関所をやりすごし、伊勢本街道に戻って宮川まで行って、また川の中を歩いて渡り、三月三日の午後に外宮に着きました。

 師の御坊は常明寺で待っているとおっしゃったので、山門を入り、庫裏で聞いてみると、一人の僧侶が出てきて、僧坊の一室まで案内してくれました。そこに、師の御坊と光智さまがおられました。
 「ただいま戻りました」
 とお二人に挨拶しますと、
 「ご苦労であった。して、様子はどうか」
 と師の御坊はおっしゃるので、霧山城の金剛座寺にたしかに金剛行者がいること、警戒は厳重であるが、まだ臨戦態勢ではないことなどを伝えました。話が済んで、
 「千代はどこにおりますか」
 と尋ねますと、
 「お願いして、隣の部屋も貸してもらった。そなたもそこで休むがよかろう」
 とおっしゃいました。
 「そうそう、ひとつ頼みがある。明日の朝から修法を始めようと思う。千代と一緒に市に行って、花と菓子を買ってきてくれまいか」
 となりの部屋に行きますと、千代はおりません。外へ行ったのかなと思って、境内に出ると、山門のところに腰掛けておりました。わたくしが山門を入ったのと入れ違いに出てきたのでしょう。私を見つけると、喜んで手を振って、話しかけてきました。
 「ねえねえ、お姉ちゃん、どうだった、どうだった」
 「なにがさ」
 「ええとね、まず霧山城」
 「山の上にある城で、山の上が砦で、麓が町になっている。なかなか堅固な城だな。あれはなかなか攻め落とせないよ」
 「ふうん、それで、金剛行者はいたんだ」
 「いたいた」
 「どんな風なの」
 「髪の毛が金色なんだよ。それに目が碧い」
 「へえ、そうなんだ。そんな人間がいるんだねえ」
 と、こんな風で際限がありません。まったく子どものおしゃべりです。いつまでもつき合ってはおれないので、
 「阿闍梨さまに、供え物の花やお菓子を買いに市に行くようにいいつかったんだけど、一緒に行く?」
 と尋ねると、喜んで、
 「行く行く」
 と言いました。
 「伊勢の町をゆっくり見たかったんだ」
 とも言います。物見遊山気分でいるようです。

 このあたりは年中市が立っております。いまは戦乱がひどくて客が少ないので開いている店も多くないのですが、それでも花と菓子とは揃えることができました。千代は大喜びで、なんだか自分用に櫛のようなものを買っておりました。
 そうして二人が常明寺に帰って境内に入ると、山門の上から黒いものが降ってきました。また例の影の者です。今日は折悪しく刀をもっておりません。千代を後ろにかばって身構えますと、
 「戦いに来たのではない、話をしに来た」
 と言います。
 「なんだ」
 と尋ねますと、
 「先ほど、お前たちがしゃべっているのを、この山門の上で聞いていた」
 と言います。まったく用心せずに大声でおしゃべりしていたので、この男の気配に気がついていませんでした。向こうに殺す気があれば、殺されていたところです。
 「お前たちのあるじは、どうしようとしているのだ」
 「ここで祈祷をしようとしている」
 「それでどうするんだ」
 「北畠殿の陰謀を食い止めようとしている」
 「ほう、北畠に敵対するのか」
 「まあ、そうだな」
 「じゃあ、味方だ」
 「味方?」
 「そうだ。おれは、光厳院が南朝に味方しないように見張っていた。北畠は南朝方の武将だ。それに敵対するなら味方だ」
 「あるじは誰だ」
 「将軍家だ」
 わたくしは驚きました。しかし、考えてみると、驚くことは何もなかったのです。将軍家だって影の者を使うでしょうし、その影の者に命じて上皇たちの様子を見晴らせるくらいのことはするでしょう。
 「わたくしのあるじは佐々木道誉さまだ」
 「なんだ、それではまったくの味方ではないか。はじめからわかっておれば、ここまで手間をかけることはなかった。あの坊さんたちに会わせてくれないか」
 と言います。目を見ると大丈夫そうなので、承知しました。