2007年3月アーカイブ

感覚型のはなし

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先週、新潟へ行ってきました。
加茂、新潟、小出のみなさま、指導者の先生方、ありがとうございました。
富山や横浜から来ておられた方々、つつがなく帰られたかなぁ~

土曜日には、おひげのN先生のオープンカウンセリング
日曜日には、おひげのN先生とうるわしのO先生のツインワーク
を堪能して参りました。

ツインワークの前半は、最優先目標のワーク
後半は、感覚型のワークでした。
そこで、おおきな発見がありました。

私はず~~~~っと自分を「聴覚型」だと信じ込んでいたのですが、
ひょっとしたら違うかもしれない!のです。
ガクゼン。

なんだと思います?
最も自分で「ありえねー」と思っていた、「視覚型」かもしれないのです。
ずっと、「聴覚優位で、次にあるのは触覚。視覚にはほとんど頼っていない」と
思いこんでいたのですがね。

「聴覚型(と自分で思っている者たちの)テーブル」に当然のように座って
いろいろとワークをすすめているうちに
なんだか私、典型的な聴覚型の方々とはちょっと違うみたい・・・と感じてきました。
なんか、違和感。

ある話をしたときの私の手の動きが、視覚型かもしれない、と
おひげのN先生がおっしゃるし。

あとでたまたま「触覚型テーブル」に入ってみると、やはりそこは異世界で、
私の動きはとても聴覚的だったりするのですが

うう~ん
「視覚型テーブル」にも行って座っておけばよかった。
聴覚でもない、触覚でもない、ちょっとどっちつかずです。

低機能聴覚か!!と、もやもやしながらの帰りの飛行機で
ご一緒したおひげのN先生とお話ししていて
出てくるわ、出てくるわ、視覚型としての証拠の数々。

不思議なものですね。
自分が聴覚型だと思いこんでいるときは、聴覚型の証拠が山のようにあったのですが、
視覚型かもしれないと考え出すと、視覚型の証拠をどんどん思いつくのです。
おひげのN先生の催眠かなぁ~(^o^)

結論ってないんだけど

どのように考えればいちばん役に立つか、という視点でみると、
聴覚的に、論理的に筋道をたてるトレーニングも必要だけれど
視覚的に、断片的に足りない部分の絵を埋めるトレーニングをしていくのも
カウンセリングの勉強に有効かもしれないです。

というわけで、
それ以来、自分は視覚型かもしれない~って
思いながら暮らしています。

けっこう、今まで「見て」こなかったのは、
私の興味のないことだったり
いらないことだったり。
でも必要なときは、しっかりばっちり見ているなあと、気付いたりして
最優先目標ともからめて発見があります。

まさに、思いこみからの脱却!

英語のレッスン

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先週書いたように
NASAPでは、英語能力が低いからこそ学んだことも多々あるのですが

高いお金を出して行くのですから、
そりゃやっぱり言葉は理解できる方がいいですよね。

この夏にICASSI(国際アドラー心理学夏季学校?)に参加する予定ですので
もうちょっと英語をなんとかしなくては。。。

真剣に、NOVAとかに通うことも考えたのですが、
「あなたの問題は英語力ではなくて度胸が足りないこと」と
大きなJ先生に指摘されたり
人と交わることについてのライフスタイル上の問題・・・とかを
自分で感じたりもしていて
ちょっと途方に暮れていました。

そうしたら、
ポンクラのメンバーさんが、お友達の英国人女性を紹介してくださいました。

先日はじめてお会いしてお話をして、
とても素敵ないい方で、意気投合!(したように思う)
夏までに何回か
お茶を飲みながらの英会話の相手をしてくださることになりました。
超ラッキー!

彼女の方は、日常のありふれた会話でいいのかと、しきりに気にされるのですが、
私の方は、普段の生活や子育ての話題がありがたいのです。

だってアドラー心理学の専門的なレクチャーは
日本語でだって全部は理解できなかったりするのですから、
これは最初から、半分わかればいいぐらいに思っています。

問題は、参加型のワークショップの中で
自分の意見を言ったり、感情を伝えたり、
相手の話を聞いたり、
わからなければ、ものおじせずに質問したりできる力(と度胸)を養うことなのです。

それに私は「parent study group」のコースをしていて、
「how to treat children」の話題をあつかうことが多いのよと言うと、
彼女の顔がぱっと明るくなりました。「Maybe you can help me!」
横には、お絵かきをしながら、しきりに get attention しようとする
cute で dangerous なお嬢ちゃんがいます。。。(^_^)

なんにせよ、漠然とおしゃべりするだけというのもなんなので、
テーマや方向性を決めてレッスンする方がいいだろうということになりました。

考えたのですが、
毎回パセージを最初から少しずつ、
英語で勉強していく、なんてのはどうかなと思っています。
私の英語力ですから、誤訳悪訳にならないように注意して
1ページずつ、ていねいに
エピソードなど出し合いながらやれば、
おもしろいかもしれません。

夏までに
せめて、「話を聴く」の11ページぐらいまでいけたらいいなあ。
ちょっとワクワクしています。

パセージは永遠の課題

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もうすぐ高3になる息子は
小学校の図工の先生になるのが夢です。
そのため、教育大の美術系にすすむ進路を考えているようです。

前に一度、ある画塾の冬期講習に行ってみて、楽しかったのだけれど
そのころは部活もあったし、バンドもやっているし
本格的に絵の勉強をするのは高3になってからでいいと思ったそうです。

勉強の方は通信教育を高1から続けていて
学校の成績が普通にとれているので、受験塾に行くのは高3からでいいと決めて
焦ることもなく、友だちとの音楽活動に熱中し続けて、今に至っています。

私としては、まあ、離れて暮らしていることもありますが、
彼の腰が上がらないことにはどうしようもないだろうと思い、
娘の方も1年浪人したことではあるし、
息子もそうなるかもしれないなと思いながら、静観していました。

昨夜、娘とふたりで我が家へ泊まりに来ていて
電気を消して、しばら~くしてから

私と娘の寝ているところへ、隣のへやから息子がもそもそとやってきました。
かなり、めずらしいことです。
「あんさぁ、俺さあ、受験、どうしてったらいいか、自信ないねん~
 勉強するの、別にきらいやないんやけど
 なんか焦る気に全然ならへんで
 何してったらいいかわからへんし~」

聞くと、目標がゆらいでいるわけではないようです。
志望校に合わせてどんな勉強をしていけばいいかなんてことは、
プロの先生に相談してもらうしかありません。
受験塾は、やっと春期講習を申し込んだところです。
画塾の方は、まだ問い合わせもしていません。

娘(もうすぐ大学3年)が
「だいたい余裕がありすぎやん。死ぬ気で勉強しないと通らへんよ」とキツ~イ体験談を語ります。
「でも、なんかそういう感じにならへんねん。
 まわりもあんまりそういうやつおらんしなぁ。
 今になって急に、俺、何してたんやろって思うんやけど」

この子に大切なのは、言いわけしないでまず動くことだな、と思いました。

「今までに必死になって勉強したことある?」と聞くと
「中3の受験勉強のとき」と言います。
「どうやった?」と聞くと
「あんましよくなかった。なんか焦ってつめこんだだけで、数学なんかできへんかった。まあ通ったけど」
「ふうん」
「こないだの期末は、余裕でやって結構いい点やった。数学、両方とも80こえてたし」
「そうなん。それはどんなふうにやったん?」
「わりと早うからやってたから。
 もう意地でも答え見ないで徹底的に考えてん。めっちゃむずくてわからんでも答え見んかってん。
 休憩して、下おりてテレビ見て、ラーメン食うて、ギター弾いて、だらだらして、それからもう一回考えてみたら、わりと解けたりしてん。そんな感じでずっとやってた」
「へえ~で、どうやったん?」
「俺、それで、数学が理解できるようになってきてんで」
「焦ってつめこむより、ゆっくり時間をかけて、ゆっくり理解して身につけていくのが向いてるんやねぇ。
 じゃあそうやって勉強していくには、どうすればいいん?」
「・・・・・無駄な時間を減らす。・・・ああ~!うまいこと答えに導かれたなぁ!」
(笑)

それから、つめこみで点のとれた教科(英語や社会など)があったことも、思い出したようでした。
「ともかく、人より時間のかかる勉強のやり方がいいんなら、無駄を減らさないとね。間に合わないよ」
「数学の合間に、英単語とか見てたらいいんやな。そうしよう。絵も描かんとなぁ」
「画塾はどうするの?」
「あした、ここの帰り、画塾に殴りこみしてくるわ(笑)」

ほんとに、お尻が重たいんだから・・・

でも実は、きょう彼が気合いを入れて行ってみたら、
彼の気に入っている画塾は、この3月で閉鎖だと聞かされたそうです。
(ToT)マークのメールを受け取った私は、
思わずインターネットで阪神間の画塾を検索しまくり、
教育大に強そうな塾情報をゲットし、
ちょっと迷ったのだけど、けっきょく連絡してあげたのでした。

ああ、最後におせっかいしちゃったなあ。
頼まれていないのに (>_<)

NASAPのこと

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先日発行された『アドレリアン』第52号に
昨年の私のNASAP(北米アドラー心理学会)体験記の後半部分が載っています。
アドラーネットでそれに少し触れてくださった方が、
「そんな素晴らしい先生の見取り稽古を是非させてもらいたいものだ。
でも英語能力があまりないから無理だな」というようなことを言われていて、
それを読んで
あ、それは違うなと感じました。

私は、実は英語能力が低かったからこそ
大切なことを学べたと思うからです。

NASAPで出会ったウォルトン先生というイケメン先生は
それはあたたかくやさしく素晴らしい先生でしたが、
その先生のカウンセリングをわざわざアメリカまで見取り稽古に行かなくても
私たちは野田先生のカウンセリングを見ているだけで十分なはずなのです。

それから失敗のカウンセリングの見本のように私が描いた女性カウンセラーさんは
技術的にはかなり上質の方のようで、それを別にすれば
日本のどこにでもいるかもしれない・・・
私と同じなのです。

その女性カウンセラーがクライエントを追いつめ、傷つけ、勇気をくじいていくのを、
私はその場ではっきりと感じました。

しかしその女性カウンセラーの言葉が全て私に理解できていたら
台詞に惑わされ
迫力のある、筋道だった、上手なセラピストだと思ったかもしれません。

言葉はマインドをつくります。
彼女の言葉を半分ぐらいしか理解できなかったおかげで
私は彼女のカウンセリングの筋にとらわれないで
クライエントの反応に、表情に、敏感でいれたのだと思います。

ウォルトン先生のカウンセリングを見学したときも、同様です。
彼のカウンセリングで、クライエントの家族全員が前向きに変化したことが、
言葉ではなく、「感じ」ではっきりとわかりました。

日本にいて日本語で思考していると
言葉に頼って見えなくなっていることがたくさんあったのだと思います。

女性カウンセラーのカウンセリングを見学して「ゼッタイニコウナッテハイケナイ」と強く感じたのは、
逆に言うと、当然、
「私もこうやっているかもしれない」というおそれを感じたからです。

たとえ「これはパセージに書いてありますね」「それを続けているとどうなりますか」
などの正論を言っているとしても、
自助グループで
パセージで
カウンセリングで
私は、気付かずに、こんなふうにクライエントを傷つけていたかもしれない。

その深い反省がありました。
シカゴで見た女性カウンセラーの姿は、
実は私自身の姿かもしれないと、心の底が震えるような気持ちでした。

だからこそ、はるばるシカゴまで行って、
言葉にとらわれマインドにしばられ、クライエントを援助するという本来の目的から離れてしまっていたかもしれない、
日本にいては気がつかなかったことを気づかせてもらえたことに

なんともいえない慈悲と恩を感じます。
駆け出しのカウンセラーとしてこの修行の時期に
このことに気づける機会をいただけたことに
ありがたい流れを感じます。

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