2007年9月アーカイブ

ドラリオン

| コメント(0)

いそがしいいそがしいと言っておりながら、友だちと

シルク・ド・ソレイユの「ドラリオン」を観てきました。
すごい!
のひとことです。

ご存知の方も多いと思いますが、
シルク・ド・ソレイユはカナダに本拠地をおく世界規模のアート・パフォーマンス集団です。
いってみれば、多国籍(無国籍?)の大規模サーカスです。
日本では2年前に「アレグリア2」が来ていて、これは私も観ましたが、
もっと前には「キダム」や「サルティンバンコ」などの出し物が来たようです。

サーカスって、要するに空中ブランコとか綱渡りでしょって感じでいたのですが、
ここのはそんなもんじゃないんですよね~
超人的なプロの空中ブランコやトランポリンや輪くぐりや、いろんな芸が
すべてひとつの物語の一部になっているんです。

今回の「ドラリオン」では、4つのエレメント(火・水・土・空)の対立と調和というテーマで
それぞれのエレメントを代表するキャラクターがいて(衣装もすごいんですよぅ)
それぞれ競うように、次々とパフォーマンスを繰り広げました。
まさに、息をのむような演技で、時間を忘れてしまいました。

音楽はライブのバンド演奏ですが、特筆すべきはシンガーです。
今回は男女ひとりずつで、
男性シンガーは太った黒人で、カウンターテナーでした!
ソプラノとカウンターテナーが、なんとも無国籍の哀愁をおびた歌を熱唱し、
それはそれはすごい迫力でした。

「ドラリオン」っていうのは、中国のドラゴンと西洋のライオンをかけ合わせた生き物だそうで
シルク・ド・ソレイユの演目の中でも最も東洋的な出し物だそうです。
なんと出演者の半数以上が中国人です。

手に汗にぎる、上海雑伎団的な緊迫した演技。
巨大な纏(まとい)をあやつる演技、
たのしい玉乗り、大がかりな縄跳び。
(若い東洋人の男の子たちが走り回って、とっても目の保養になってよかった♪)

中国の雑伎団で基礎トレーニングをつんだ若者たちが
こういう国際的な組織にはいって故郷に仕送りするのだろうなぁ。
国で名誉賞とかもらうより、ぜったいお金持ちになれるもの。
ほんとに小さいときからの訓練がなければ、できないような技の数々です。
どちらかというと、西洋や豊かな国の若者たちは、
こんな訓練をする動機も根性もなくなっているのじゃないかしら。
そんなことを思いながら見ていました。

しかし演技であり演出かもしれませんが、
少女たちはあくまでにこやかで
少年たちは本心から演技を楽しんでいるようで、
真剣な中にも楽しむことを知っているようでした。
ひとつのミスが大事故につながるような緊張の中で、笑顔でいること。
いまの自分を信じ、いまの演技を楽しむこと。
それがプロフェッショナルであるということかもしれません。

う~ん、すごい!
フィナーレでは、こころから彼らに拍手を送りました。
舞台っていいなあ。

お仕事

| コメント(2)

新潟のスピリチュアル・ワークで書記をさせていただきました。

前の方にすわっていたら、たまたま「書き取ってくれる?」と先生に言っていただいたので。
誰がやってもよいお仕事です。でもそのまま最後まで、
みなさんのライフスタイル分析の書記をさせていただきました。
私の手を使うことを、たまたま求められたからです。

セッションの中で、スーフィーのお話を聞きました。
ラクダの番を言われていたのに眠りこんでしまった弟子の話。
ラクダは逃げてしまい、弟子は師匠に言い訳をします。
「全能のアラーの神に、ラクダの番をお願いしておきましたのに」
師匠は弟子を叱って言いました。
「馬鹿者。アラーは全能だが、昨夜アラーが使うことのできた手は、ただお前の手だけだったのだよ」

それから、先生がアメリカの瞑想キャンプで通訳をされたときのお話も伺いました。
通訳をしていたら自分の瞑想の時間がもてません。これはエゴです。
それで通訳を引き受けると、人々が感謝してくれます。するとまたエゴがふくらみます。
どっちにしても、エゴが大きくなります。
前門の虎、後門の狼。
そのとき先生は上のスーフィーの話を思い出し、
世界がいま使えるのは自分しかいないのだと、気がつかれたとか。


全てのセッションが終わると、書記をしたからか、
知らない方々に、たくさん声をかけていただきました。
「ありがとうございました」って。

ん?

何か変。
だって私は、望まれたとおり私の手を使っただけなのだから。

いただいた「ありがとう」の言葉は、ほんとうは私がいただくものではありません。
これはそのまま、世界にお返ししなければ。
そうしなければ、とても居心地が悪いのです。

帰りの飛行機の待ち時間に、目を閉じて世界に感謝をお渡ししました。
そうして気がつきました。

なにもかも、私がやったことは何一つないのです。

私が自分の力でやっていると思いこんでいた全てのこと。
小さなお仕事から、友だちとの会話まで・・・
それはただ、世界の力が私のからだを通っていっただけのこと。

その結果いただく感謝や愛は、
毎日、世界にお返ししなくては。
そうしなければ、エゴは私の身にまといつき、ふくらんでいきます。

毎日瞑想することの意味は、こういうことなのかなと思います。

The Artist's Way

| コメント(1)

先日ご紹介した Julia Cameron の "The Artist's Way" という本の日本語版を見つけました。
サンマーク出版から『ずっとやりたかったことを、やりなさい。』というタイトルで出ています。
とおして読んでみました。

前にも書いたように、ジュリア・キャメロンという人はアドレリアンではありません。
成功した映画脚本家であり監督です。
どうやらアメリカでは、ちょっとしたカリスマ的存在のようであります。
10年以上にわたって、「創造性をやしなうワークショップ」を行ってきており
この本はそのマニュアルのようです。

ICASSIでこの本を薦めてくれた友だちは、
自分がジャーナルを書き始めたのはこの本がきっかけだったと教えてくれました。
この本では「モーニング・ノート」という言い方ですが、
毎朝15分ほどの時間をかけて、こころに浮かんだことを3ページ書くことが
とても大切だとあります。

アドラー心理学と関わりのない人の本なので、そのへんは差し引いて読まなくてはなりませんが、
いくつか、ひっかかる点がありました。

その壱。
「ほんとうのあなたを見つける」「埋もれてしまった創造性を掘り出す」という表現に
認知主義的なひびきを感じること。
いま野田先生がお勧めになる「ジャーナル・ライティング」は
書く過程そのものの中で言葉が生み出され、思考ができあがっていく
創作と同時に表現するものが作られる
という構造主義的な考え方が背後にあるのですが、
ジュリア・キャメロンの本にはそれがなく、どうも古くさく感じます。

その弐。
原因論的であること。
全ての人のこころの中に創造的な魂があるのだが、
なんらかの働きかけによって、実行に移すのをあきらめてしまっている。
だから、心の中のデリケートなアーティストを育てるために
過去の傷を見つけだしてそれをいやし、自分にごほうびをあげ、
それから今できることをやり始めよう、ということです。
トラウマチックだなあと感じます。フロイト的?
人によっては、他者のせいにして復讐的になる可能性もあるかもしれないなあと思いました。

その参。
自分の中のアーティストを育てるために、
いままでがまんしてやらなかったことをやり始めましょうというメッセージが多く、
(日本語に訳した人の考えか、タイトルからしてそうなのですが)
これって、きわめて自己中心的に聞こえます。
目的が、共同体に対する貢献という方向を向いていなくて、自己実現なんですね。
けっきょくは、個人主義を促進するもので、エゴの殻を分厚くして
それぞれが勝手に好きなように目標追求する社会を育てるだけじゃないのかなあと感じました。
さすが、アメリカでベストセラーになったのもわかる気がします。

けっこう、けなしておりますが、
背後にある理論は反アドラー心理学的で、反共同体感覚的だと思いましたが、
ツールとしては、とても面白いものだと思います。
とても読みやすいし、本気で信じずに「利用する」つもりで読めば、
使えるかも。

毎朝モーニング・ノートを書く習慣。
週に2時間、自分のしたかったこと、先延ばしにしていた創造的なことをしてみるという習慣。
子ども時代に好きだったことを数え上げたり
80歳になった自分に手紙を書いて送ったり
あと5回の人生を送れるとしたら何になりたいか書き出したり
してみたいことを5つ書き出し、それに結びつくイメージを集めてファイルを作ったり、
そんなさまざまなアイデアが、いっぱいつまっています。
だいぶ前にはやった自己啓発セミナーなんかの種本じゃないかな。
ワークなどで抜粋して使えば、けっこう強力じゃないかなと思います。

興味のおありの方はどうぞ。
ジャーナルとはあんまり関係なかったけど、
なんにせよ、積極的に生きようっていう気にはなりました!

携帯メール

| コメント(3)

娘は離れた町で大学生をしていますが、
ちょうどお盆の頃、
お世話になっていた教授が亡くなられました。

50歳ぐらいで、独身で一人暮らしの先生だったそうです。

ご病気で入院しておられたのが、少し持ち直して復帰され、
娘は、その先生の授業を、とても楽しみに受けていたそうです。
ところが、前期の途中に突然休講になって、そのまま再入院されました。
その後、お見舞いには行かなかったものの、
メールでのやりとりは続けさせていただいていたといいます。

先生のお通夜の晩は、
娘は帰省して私の家に泊まっていたのですが、
白い影となった先生が
お別れに来られたのを感じたといいます。

お葬式も終わり、
初七日も過ぎたころ、
先生から娘にメールが届きました。

それは、会ったことのない
先生の弟さんからでした。

「たとえ家族でも
ひとの携帯をのぞくのはいけないこと。
それは承知の上ですが、いちどだけ許してください。
さいごまで
兄を励まし続けてくれてありがとう!」

娘にこのメールを見せてもらって
私は涙が出て困りました。
弟さんのお気持ちはいかばかりでしょうか。
そして娘にまでわざわざメールをくださったことが、とてもありがたくて。


私は、向こうで暮らしている娘に、直接できることはほとんどありません。
ときどき長電話のお喋りにつきあったり
メールしたり
帰省したときに話を聴いたりするしかないのですけど

娘は向こうでしっかりと生きている。
人と知り合い、
人の最期の時間にかかわり、
すこしかもしれないけれど、人の役にたっています。

ほんとうに大人になった。。。
私は娘の生き方を尊敬します。

ジャーナル

| コメント(3)

むかし、10代の頃にずっと日記風の文章を書いていました。
それはとても私を成長させてくれたと思いますが、
大学生のある日、今まで自分の書いてきたものが全て自分の排泄物のような気がして
何十冊とあったノートを全部燃やしてしまいました。
それから、日々の出来事や思いを連続して書きつけていくのは
基本的にやめていました。

このところ、ジャーナルを書くことを勧められるので
とうとうやってみることにしました。

ジャーナルは基本的に何を書いてもいいし、
人にも見せないものなのですが、
いちおう条件があります。

1)自己成長のために書く
2)人に読んでもらえるような文章で書く
3)ネガティブなことを書かない

私は、文章を書くことで頭でっかちになってしまうのじゃないかと
少しそれがイヤでした。
からだの感覚や、そのときの素直な感情に従うほうが
「いいこと」のように思っていたんです。

ジャーナルを、これで2日書いてみました。
やってみると、文に書くことで、かなり考えが整理され発展していくことが分かりました。

むしろ、文に書かずにぼぅっと考えているときこそ
考えが堂々巡りになっていて、
とても長い時間、無駄に捕らわれているような気がします。

頭でっかちになるのではなく、
頭の中に、もやもやと気体としてあるものを
形のある固体にして、紙の上にぼたりと落としてしまうのです。
そうすると、頭の中は少しすっきりして空間ができます。

そこにまた別のもやもやをつめこまないで
どんどんマインドを軽くしていけば
そのぶん、たぶん瞑想が深くなるのではないかしら。

このアーカイブについて

このページには、2007年9月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2007年8月です。

次のアーカイブは2007年10月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。