2008年1月アーカイブ

普賢菩薩行願賛

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息子の大学入試のことを騒いでいるものですから
ブログを読んでおられる若いお母さん方から、
今年はセンター試験のニュースを興味ぶかく見ています、
と言っていただくことが多くて
ありがたいやら恥ずかしいやらです(^^;)

受験生の母は、にわか仏教信者となっておりまして、
このところ毎朝、「普賢菩薩行願賛」なるお経を唱えております。

もともと、4年前の娘の現役大学入試の季節に、
大きなJ先生からこのお経の読み下し文をいただいて、唱え始めました。
なんでこのお経なの?と尋ねるなかれ。。。
師匠がこれや!とおっしゃるなら、弟子はただ従うのみです。。。

その年はあえなく失敗。
翌年にもまた唱え、別のところに合格しました。
ご利益があったのかどうか?
たぶん、本人や家族が望むところとはかぎらないが、
その子にもっとも合うところに導かれるべし、です。

さて、3,4年前と比べて私もちっとは賢くなったのでしょうか、
お経の言葉の意味するものが少し分かるようになってきて、
すご~く感動しながら読めるようになりました。
(以前は読んでいても、ちんぷんかんぷんだったのです)

けっこう長いお経で1回読むのに10分程度かかりますが、
「ゾーンに入って」(=入神状態になって)夢中で唱えています。

たとえば

「一塵の中に塵数の刹有り、一々の刹に思うさえ難き佛たち有り。
 一々の佛処の衆会の中に、我れつねに菩提の行の演ぜらるるを見ん」

えーと、たぶん、日常のひとつひとつの小さなできごとの中に仏さまがおられて、
その一々の中に私は菩薩行が行われていることを見ます、ってことかな。

「彼の如来の授記を蒙りおわれば、無数百倶胝に化身し、
 智力は広大にして十方に遍く、広く一切の衆生界を利せん。
 ないし虚空と世界と尽き、衆生と及び業と煩悩と尽き、
 かくの如くして一切の尽くるもの無からん時まで、
 我が願いも究竟してつねに尽くる無からん」

悟りを開き往生した後もなお私は、何度もこの世に生まれ来て、
修行で得た智恵と徳とを使い、この世の果てるその日まで、
衆生の幸せのために暮らすことを願い誓います、
ってなことかな。


昨年末のASMIで、自分の過去生を見るというセッションがありました。
私は3つの違った過去生(と思われるヴィジョン)を見ましたが、
その最後のものは、チベットの少年僧であったときのものでした。

貧しい家の子で、僧院に預けられて修行していました。
才能が足りなかったので、お経を教えてもらえず、
居並ぶ高僧や賢い兄弟子たちの姿を遠くから眺めるだけで、
ただマニ車を回しながら裸足でひとり山を登り
鳥葬の後かたづけをする役を与えられていました。

もっと学びたい。
もっと知りたい。
このテーマは、他の過去生にも一貫して流れていました。

いったいどのような功徳のおかげか、
子どもを産んだおかげか、
今生では師匠の近くでアドラー心理学を学ぶことができ
尊いお経も読めるようになりました。

ほんとにありがたいと思います。
感謝をこめて感動しつつ入神状態なので
息子の入試のことなどすっかり忘れて唱えているのですが、

まあ、いいでしょう。
お経を読む功徳は、目先の結果と全く違うところに表れるのかもしれません。

『タンホイザー』

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ワーグナーのオペラ『タンホイザー』を観に行ってきました。
ドイツオペラは初めてです。

良かった!!
いやぁ、ワーグナーはいいですっ
そのあと、ワーグナーのCDを2枚も買ってしまいました。
有名な序曲からいきなり引き込まれてしまいましたし、
合唱もアリアも、とにかく素敵でした。

エリザベートもかわいかったし、
タンホイザー役のテノールさんは、おデブだったけど
親友のヴォルフラムくんが、なかなか立派なバリトンで良かったです。
領主役のバスの人はめちゃくちゃかっこよかったですし、
ダンサー、特に巡礼役のお兄さんが美しかったですぅ。
(↑ほとんど視覚情報ですね ^^;)


『タンホイザー』は以前にDVDで観たことがあったのですが、
何が言いたいのかよくわかりませんでした。
主人公の罪をあがなうために純潔な乙女が犠牲になるという構図が、
しっくりきませんでした。
でも生の舞台を観て、ああそうなのか、と感じたことがあります。

冒頭、タンホイザーは何ひとつ不足のない
快楽の都ヴェヌスベルクにおいて
「ここにいても私は安らぐことはできない」と悩み歌います。

これって、どこか私たちの今の暮らしに似ていないでしょうか?
飢えることもないし、凍えることもないし
便利なものに囲まれているのに
安らぐことができない、何かが足りないと、
欲望に突き動かされている現代社会に・・・

タンホイザーは行くあてなしにヴェヌスベルクを飛び出します。
「私はここにいることはできない。
(ヴェヌスに向かって)あなたの愛を讃えよう。
でも私の心は広い森や空気を求めている。
私はもうここには帰らない」

主人公はスピリチュアルな探求の旅をしているのですね!要するに。

このことに気づいたのは、私にはとても大きなことでした。
ヴェヌスベルクを、性的な快楽だけではない
私たち誰もがもっている欲望(desire)の象徴と解釈することで、
このあとの展開、タンホイザーを我が身に置き換えて鑑賞することができました。

最終幕、彼がついに「エリザベート!」と叫んで死ぬところなど
不覚にも泣けてしまいました。
(こんな理屈っぽいオペラで泣くか!^^;)

もちろんこんなふうに入り込めたのは、
生の演奏と舞台の力によるのですよ。
圧倒的な音の迫力ですもん~♪


ところで、J先生が補正項にこのオペラのことをと書いておられます。
(2008/01/14「聖処女の滅亡」)
私にはわからないことが多いですが、
ワーグナーがローマ・カトリックに代表される既成の社会を
批判しているということは、確かに感じました。

主人公タンホイザーは伝説の吟遊詩人です。
詩人。芸術家。
おそらくありあまるほどの彼の情熱、感受性は
既成の堅苦しい社会におさまりきらないのでしょう。

がんじがらめの宗教、息のつまるような因襲、
純潔とか貞節とか、そんな価値観にしばられた社会で
詩人は息をつくことができない。
しかし既成の社会と対立した世界でも、彼は安らぐことができない。

おそらくタンホイザーはワーグナー自身なのでしょうね。

彼を救うエリザベートは何なんだろう?
それから俗世間の中にあって高潔な友、ヴォルフラムは何なんだろう?

エリザベートを異教のスピリチュアリティ、つまり第3の価値観と考えると
ヴォルフラムは世俗の中にある良心(共同体感覚?)の部分かな。
すなわち
詩人の生きていく助けになるもの(技術や理論や思想)と全く違った、
それを越えたところのものが詩人を救ったんですね。
深いなあ。

眠り続けた日

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木曜の夜に子どもたちが泊まりにきて
10時ごろから、息子リクエストのかなりこってりした料理を食べて
デザートをいただきながらお喋りをして、
夜中2時ごろまで起きていました。

金曜の朝、学校に行く息子の時間に合わせて起きて、
7時に朝食をとりました。

そのあと、おねぼうの娘が起きてくるのを待つ間
元気に用事をしていたのですが

急に、胃がむかむかして、げっぷが上がってきて
なんだかおかしな感じです。
朝のゆで卵がいけなかったのかなあ~
でも卵にあたったなら、こんな程度じゃ済まないだろうし。
火曜日ごろに娘が胃腸炎になったというから、それがうつったのでしょうか。

昼ご飯を食べる気にならず、ごろごろうとうとしていましたが、
腹部の不快感は午後になるとマックスになりました。
3時ごろ、娘といっしょに出かけて「大正漢方胃腸薬」を買い求め、
ひとりでよろよろと帰宅しました。

それからどれぐらい寝たでしょうか~
午後8時ぐらいまで、こたつで眠って過ごし、
やっと水を飲む気になり、胃腸薬を一包流し込み、
眠れるかなと思いながらも布団に入って、

さすがに寝苦しく、たくさん夢を見ましたが

目がさめたら、朝7時!(*_*)
最後にとった食事から24時間たって、ようやく腹部の不快感が軽くなりました。
でももうちょっと、と思って目を閉じて、
次に目を開けたら、軽く2,3時間は経っているのですねえ。
それを2回くりかえして、
ようやく土曜日の午後1時すぎに、ぼちぼちと布団から出る気分になりました。
やっと回復期にはいりました~復活です。


ふだんけっこう丈夫な方なのですが、
こういう感染性の胃腸炎や突発的な事故は、どうしようもありません。
ときどきこういうことが起こると、元気に動けていることがホントにありがたいです。

昨年12月の総会までは気がはりっぱなしで、
気がはっている間は絶対に倒れないでいる自信がありました。
今年はあまり大きなイベントがないので、気をつけないといけないかもしれません。
むしろ健康のためには、何かイベントを作る方がいいのかなぁ?
いやいやそれは、精神の方が保たない・・・(^_^;)

新年第1回目のAGのカウンセリング・セミナーに参加することができず
と~っても残念です。
明日は講演会ですが、
ほとんど何も食べていないので、人混みに行くのはやめた方がいいでしょうね。
ウィルス性の胃腸炎だったら、人にうつしたらいけないし。

息子にうつしたかもしれないなあ~
潜伏期間1,2日とすれば、発症するのは明日か、おそくても明後日。
でも、1日間の絶食と漢方薬でほぼ治ることがわかったから、
センター試験当日までには治るでしょう。
かかるなら早くかかれ!
と、ヘンなことを願っている母でした。

電車のなかで

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墓の谷さんにお詣りしたあと
六十谷から2駅、JRで和歌山に出て軽い昼食をすませ
1時前の快速に乗って大阪にもどりました。

なんせ朝が早かったので(出かけたときは真っ暗だったんだよう)
1時間ばかり、爆睡。

快速ですが、4人掛けシートじゃなくて
長いシートが向かい合わせの、私鉄や通勤列車によくある車両でした。

大阪に入ったころでしょうか、向かいの長いすのあたりから
小さな子どもたちの甘えた声と、
おそろしく低い女性の声とが聞こえてきました。

目をあけると、背の高い堂々としたお姉さん(のようなお母さん)が
3歳ぐらいの男の子と
5,6歳の女の子とおしゃべりしています。

お母さんは茶髪でさりげなくお化粧して、
つやつやした若いお肌と意志の強そう~な目がとってもキレイです。
長い足をジーパンにつつんで、その足を
大胆にばっ!と広げて、男の子を間にのせています。
女の子はその横で後ろ向きにすわって、窓の外を見ています。

男の子「ねえねえ、あんなぁ、☆☆に行きたい~」
お母さん「そやな、行きたいな」
男の子「うん、行きたい」
お母さん「行きたいな。どうする」
男の子「どうしよ」
お母さん「どうしよな」

男の子はあくまで甘えておしゃべりしている感じで、
それに対するお母さんの声は、あくまで低く、短く、
「ドスがきいてる」といってもいいぐらいに、迫力があるのです。
これはなんだかめずらしいな~、と目が覚めました。

外を見ていた女の子「あんなあ、着物、なんで着ぃへんのん?」
お母さん「(笑)着物?△ちゃん着たいんか?」
女の子「着たい」
お母さん「ふうん。△ちゃん今年着れるで」
女の子「着たい~」
お母さん「△ちゃん今年7歳やから着れるで。七五三あるからな」
女の子「。。。七五三?」
お母さん「そうや」

男の子と女の子は、次々とたわいないことを話しかけます。
そのたびに、無愛想だし声も怖いけれども(^^;)
お母さんは、きっちり子どもたちの話を聴いて返答します。
話を聴いてもらっていることが分かるからでしょう、
子どもたちは、いくらかやりとりをしたら満足して、
また次のお話を聞いてもらいます。

やがて終点の天王寺に着きました。
お母さん「さ、降りよ!」
子どもたち、わらわらと動く。
お母さん「手ぇ、つなぐんやで!」
子どもたち、われさきにお母さんと手をつなぐ。

ああ、いいお母さんだなぁ。
子どもたちはお母さんのこと大好きなんだなぁ。
興味をもって聴いてあげれば、言い方や台詞なんて関係ない。
子どもはどんどんおしゃべりをするんだな。

いい光景を見ました。
ほんわ~かした気持ちになりました。

墓の谷

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和歌山の友人に
去年、ひょんなことから教えてもらった
墓の谷(別名母の谷)というお寺にお詣りに行ってきました。

阪和線六十谷(むそた)という駅から
約1時間半歩いた山の中腹にあります。
最初しばらくはコンクリートの舗装された道ですが、
行程の2/3ほどは、落ち葉をふみしめ歩きます。

なんでそんなところへ行ったかというと、
秋頃アドラーネットのギャラリーにアップされていた
その道の美しさに目が引き寄せられたから。
それと、そのお寺が、合格祈願で有名なところらしいから(!)

毎月1日から6日と第2日曜の朝11時までしか、ここは開いていないのです。
7日は護摩木を焚く日で、これも11時まで。

こういうお詣りしにくいところは、霊験あらたかな気がするじゃないですかぁ。
息子の大学受験までにぜひ行かなくっちゃ
というわけで、
今朝、天王寺発7時15分の紀州路快速に乗り、
(私にしては異例の早起きです(=_=))
こごえそうな朝の道を歩いてきました。

hakanotani.jpg

足下の落ち葉がやわらかく、
鳥の声はひっきりなしに聞こえていて
途中からは日が差して葉っぱがきらきら光って
とても静謐な、よい時間を過ごすことができました。
久しぶりにたくさん歩いて
いま、ここちよく腿がはっています。

行ってみて初めて由来を知ったのですが、

むかし、役行者(役小角)が諸国遍歴中にからだをこわし、
その母は、大峰へ参詣したかったが女人禁制なので果たせず、
しかたなくこの地にて神仏に祈願したのだそうです。
その後、この母が亡くなったあと、
役行者が式神を2名ここへ送りつかわして行者堂を建てたのだとか。

役行者のお母さんのちなみだったとは
やっぱり、ほんものや!(^o^)v


息子とともに暮らしていないので、
毎日の食事や身の回りの世話を、ほとんどしてあげられません。
(おかげで、いらんことをせずに済んでいるという意見もありますが)

これぐらいのことしかしてやれませんが、
私にできるだけのことをした、という気持ちです。
あとは、本人にとってもっともよい学びの場を見つけてくれますように!
と願っています。

イフンケ

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あけましておめでとうございます。
早いものでホームページを作ってから、もう1年経ちました。

ときどき各地でのアドラー勉強会に参加すると
思いがけず読んでくださっている方々に声をかけていただくことがあり
とってもうれしいです!

どうもありがとうございます<(_ _)>
今年もよろしければ、お付き合いくださいませ。


さて、正月早々、変わったCDを見つけました。

『イフンケ』というCDで、「子守歌」という意味だそうです。
安東ウメ子という人のアイヌの歌を集めたものです。
いろんな曲目があって
音もきれいで、とても魅力的です。

この方は4,5年前に亡くなられたらしいのですが、
ムックリと歌(ウポポ)を担当しておられます。
トンコリを弾いているのは、オキという有名な奏者らしいです。

どんな音楽かというと、
年末からお正月にかけてうちに来ていた子どもたちに聴かせると、
娘「お母さん、な、なにこれ。。。(絶句)」
息子「ええなあー癒やされるなー」
とそれぞれに反応したことから、推して知るべし。

たぶん「絶対に人にすすめられない」種類のCDだとは思います(^_^;)

でも私は好きです。

たとえば「イヨマンテ・ウポポ」という、クマイノミ(飼っていた子熊を神さまのところに送るときの歌)があります。

コロペレー セテカリ ナー (このうちのこぐま おりのまわり)
ヘコ トゥンケ ヘーチウ ヤン (あたまこすり あたまつっこむ)
カムイ ホープニ ナー (神さまが たちあがる)
ヘーコー トゥンケ ヘー チュイ (あたまをくっつけ あたまをこすりながら)

これがですねー、
まずおばあさんが歌って、次に女の人たちがくりかえし、
延々6分ちかく、この言葉だけがくり返されるんです。
いわゆる、トランス状態。
そのあと短いお祈りの言葉がつきます。

ASMIの休憩時間なんかに流したらいいような曲
といえば、わかる人はおわかりでしょうか。

アイヌの伝統楽器の音がはかなくて
ときどき手拍子のつく曲もあって、
なんだか自分もいっしょに囲炉裏端で
菱の実をむくのを手伝っているような
あるいはいっしょに野原で遊んでいるような気がしてきます。

おばあさんの声が微妙にゆれて
でも力があって
とても悲しいと言えば悲しいし、
なつかしいと言えばなつかしい。

私には、沖縄の音楽よりもこちらの方が
テンション低いめでしっくりきます。

なんだかはまるんですよね~
うるうる

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