2008年4月アーカイブ

テクストの分析と解釈

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尊敬するアドレリアン友だち二人から
時を同じくして、ある本を薦められました。
これは読んでみなくちゃ、というわけで

三森ゆりかという方の本を読みました。
『外国語を身につけるための日本語レッスン』
『外国語で発想するための日本語レッスン』
どちらも白水社から出ています。

薦められたのは『外国語を身につけるための~』だったのですが、
本屋さんで立ち読みしていて、2冊目である
『外国語で発想するための~』の方の前書きに
かなり、ひきこまれてしまいました。

三森さんは中学2年のとき、お父さんの仕事の都合で西ドイツに行きました。
編入した学校の Critical Readingというクラスは、
生徒と教師が文学作品をめぐって議論をする授業だったそうです。

三森さんは、いつも論点がどうしてもわからなくて何も言えず、
文章にまとめる課題に対しても「感想文」しか書けなくて、
教師から
「印象や想像だけではなく、なぜそのように考えたのかを事実に基づいて論証しなさい」と、
くりかえし指摘されたのだそうです。

議論は、作品に書かれた事実(=テクスト)に基づいて行われます。
日本では国語と作文の得意な読書少女であった三森さんは
Critical Reading の基本的なことがらを知らなかったため、
ドイツ語の授業は小さくなって過ごさざるをえなかったのだそうです。

ドイツだけでなく、ヨーロッパの国々、アメリカ、ソ連、オセアニア、南米では
生徒は小学生のときから順を追って
「再話」(物語を読み聞かせてその内容を自分の言葉で語り直す作業)
「要約」(数ページの物語から一冊の本まで、その内容を圧縮してまとめる作業)
を学んできており、その積み重ねの上で
物語の構造を分析的に読む力を身につけていくのだそうです。

Critical Reading「テクストの分析と解釈・批判(←三森さんの訳)」とは、
1)テクストを厳密に読む
2)テクストに書かれたことを根拠に意見を述べる
ということに尽きるようです。

たとえば、外国の人といっしょに一枚の絵を見て感動したとして、
日本語であれ外国語であれ、どれだけ自分の感じたことを相手に伝えられるでしょうか。
「この絵が好きです。なぜなら、この絵のここの部分のこの表現が・・・」
というように、テクスト(この場合は絵)に基づいた根拠を示さないと
たいていの場合、相手は納得してくれません。
「なんとなく・・・」では、通じないのです。

昨年のICASSIで、会話をしている相手から矢継ぎ早に質問を受け
戸惑ってしまった体験が私にはたくさんあります。
振り返れば、最初の数日がとてもしんどかったのは、
英語力の不足とか
相手に伝える情報が少なかったとかいうよりも、
要は、コミュニケーションの方法に無知だったからではなかったのかなと
思うようになりました。

「私は~と思います。なぜなら・・・」
の「なぜなら」以下の根拠を示さずに
「私は~と思います」と言ったっきり微笑んでいる日本人(=私)って
けっこうヘンだったかもしれないわねと、今になってわかってきました。

そういえば、
「それはどうして?」「どこからそう感じるの?」
などの質問を何度も受けたように思います。
後づけでもいいから何か理由を言っておれば、もっと会話がはずんだのかもしれません。
すべて意見も感想も、
それを人に伝えるのなら根拠が必要、ということでしょうか。

三森さんの本はアドラー心理学とは関係ありませんが、
絵も詩も文章もテクストということですから、
エピソードも早期回想も、テクストと考えていいのではないかと思います。
すなわち、
エピソードや早期回想の解釈は、
ひとつひとつその根拠を
テクストのどこかの部分を示して論証できるようでなくてはならないのですね。

1)テクストを厳密に読む
2)テクストに書かれたことを根拠に意見を述べる
って、ヨーロッパで生まれたアドラー心理学にとっては、自明のことのはずです。
どうも私、これをおろそかにしていたような気がします。
反省。

ルドルフな日々

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ポンクラ以外の場所でも
子育てのグループをさせていただいています。
精神的に不安定な方の割合が高かったり
パセージフォローの会でないことなどから
ときどきむずかしく感じることがあります。

どのようなクライエントさんが来られても
またどのような話題を出されても
参加された方が、さあ、これからまた子どもと向きあっていこう!と
前向きな気持ちで帰っていかれるようなグループにしたい・・・
そう願っています。
そのための、よい修行の機会をいただいていると思います。

そんなことを大きなJ先生にお話しすると
「もしうまくいかなかったのなら、それは絶対に、基本をふみはずしている。
ドライカースをよく読みなさい!」
と言われました。

で、従順な(?)弟子は、
2年あまり前にやっぱりそう言われて(-_-;)
Amazonで中古で買っていた、Rudolf Dreikurs の
『Psychodynamics, Psychotherapy, and Counseling』(通称PPCというらしい)
という本を引っぱり出してきました。

この本は心理療法の論文集なので
以前は、実は、あまり関心がありませんでした。
だって私はカウンセリングとグループしかできないから
こんな偉い先生の専門的なお話は関係ない~と考えていました。
(しかも英文だし・・・)

でもこのたび、1ページからゆっくりと
うまく動かせなかったグループのことを念頭に置きながら読み進めてみると、
たしかに学んでいるのに
私にできていなかった基本的なことが、たくさん見えてきました。

ドライカースの文章はきっぱりはっきりしていて
とっても迫力があるんです。
たとえば、
「共同の課題へのクライエントの協力が、セラピーの絶対必要条件である!」
――目標の一致ですね~これをおろそかにしていたかもしれない(>_<)
「セラピストの成功はすべて、クライエントをどれだけ勇気づけできるかにかかっている!」
――勇気づけ~これも不充分だったぁm(_ _)m
「自分を他者とを比べるたての関係から、クライエントを解放することが大切だ!」
――クライエントの価値観、まったく触ることができなかったなあ~(;_;)
などなど。

どうやらアドラー心理学を学ぶ者にとって
心理療法・カウンセリング・グループの区別をつけることは
言いわけ以外のなにものでもないような気がしてきました。
読めば読むほど、
アドラー心理学の基本はライフスタイル分析であって、
ライフスタイル分析の視点なくしてはどのような援助も成り立たない!
というようなことが書いてあるのでした。

これはやばいです。

というわけで、
がんばってルドルフ・ドライカースの本を読んでいます。
今度はぜひ最後まで読み終えて
できれば、短いものをひとつ訳してみたいなと思います。

Tibet

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10年ほど前、友だちに誘われて
ロードショーで『セヴン・イヤーズ・イン・チベット』を見ました。
ブラピが出ていた・・・それだけだったかもしれないけれど。
なんて険しくも美しき土地に住む人々がいるのだろう。
その地の美しさと、そこに住む人々の静けさに打たれました。

それから、ひとりで『クンドゥン』(ダライ・ラマの半生を描いた映画)を見に行きました。
さらに、『地球交響曲』の2だったかの中で語るダライ・ラマに惹かれ、
図書館で、彼の自叙伝『チベットわが祖国』を借りて読みました。

私は過去生でチベットにいたようなことを思い出したのですけど、
それはひょっとしたらただの妄想で
実はこれらの映画や本で得たイメージを組み立てただけだったかもしれません。

しかし
Deva Premal のマントラをCD5枚ほども聞き込んでいると
サンスクリット語よりも、チベット語の歌にこそ、
私はより反応します。

ダライ・ラマや
昨今テレビで、ペマ・ギャルボなる方の喋っておられるのを拝見すると
これだけのことが起こっているのに
その静けさ、おだやかさに驚きます。

自分たちを虐げる者に対して
怒りではなく寛容を
暴力ではなく祈りを
憎しみではなくユーモアを
彼らは返しているように思えます。
仏教者というものは、このような状況で、このようになれるものなのでしょうか。

ダライ・ラマ法王日本代表部事務所というところのホームページを読んでいると
チベット亡命政府内閣が内外のチベット人に向けて語りかけている記事をみつけました。
「弾圧の終わりとチベット人負傷者の早い回復のために、
常に"ターラ菩薩のお経、
般若心経、
オム・マニ・ペメ・フーム、
パドマ・サンババの真言"を唱えるように」

ああ、祈るんだ。。。
この人たちは、戦わずに祈るんです。
このことが、今の彼らの悲惨な状況を招いているかもしれないのに。

私にできることは何でしょうか?
むろん署名のような活動はできます。
さらに、私はチベット人ではありませんが、
祈ることもできます。
いくらかの縁はあるようですし。

ターラ菩薩は観音菩薩の涙から産まれた慈悲の女神。
 om tare tuttare ture swaha
あまりに有名な般若心経(の最後の部分)。
 gate gate paragate parasamgate bodhisvaha
ダライ・ラマは観音菩薩の生まれ変わり。観音菩薩真言。
 om mani padme hum
パドマサンババはハスから産まれたチベット密教の祖。
 om ah hung benza guru pema siddhi hung

これらすべて、Deva のキルタンでもっています。
これに、チベットの人々の傷が癒えますように薬師如来真言
 teyata om bekanze bekanze maha bekanze redza samudgate soha
も加えて、5曲をひとつのMDに入れて

「Free Tibet!」というタイトルをつけました。

山笑う

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1月にお参りした墓の谷さんへ
今度は息子といっしょに、お礼参りに行きました。

いいお天気の日曜日で
サクラも見頃です。
入学式まではヒマな息子を誘ったら、思いがけずのってきてくれたので
早起きして出かけました。

全山、
サクラと
ウメとツバキと
ほのかに色づいた新芽とで
新緑にうす紅色の霞がかかったかのようです。

hakanotani04.jpg

春の山の美しさを、初めて知りました。

息子とふたり、
電車で往復4時間、さらに山歩きを往復3時間。
ときどきぼそっと会話を交わすだけで
特に何の話をするわけでもなく
ただ黙って歩いていても、何の居心地の悪さも感じない。

そんな関係でいることを、とてもありがたく感じました。


お参りのあとベンチにすわって、淹れてきたコーヒーを飲みました。
「俺さあ、合格発表見に行くとき、ぜんぜん落ちてる気がしなかってん。
ここ(の神社)のせいやったんかもしれんなと思う」
彼も、ここがおおいに気に入ったようでした。

これから先、おそらく一生
私が息子とふたりでこんなに歩くことは、もうないと思われます。

もうほんとうに子育ては終わりです。
区切りをつけるのにふさわしい、春の佳き日でした。

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