2008年8月アーカイブ

増上縁

| コメント(0)

何人かのアドレリアン・・・特に
去年のICASSIで友だちになった心やすい人たちに
口を揃えて質問されたことがあります。
Is everything going well in Japan?
(日本のアドラー心理学はうまくいっている?)

この質問の裏には、
1999年、第21回の国際学会(シカゴ)にて中島先生が
日本のアドラー心理学ムーブメントの現状を発表なさった時以来の
歴史的背景があります。

政治的なことは私にはよくわかりませんので
詳しい説明はおいておくとして

何人かからこの質問をされたことによって、
私ははじめて、心ある世界のアドレリアンたちが
日本のことをたいそう気にかけてくれていることを知りました。

そうして、私が
ここ国際学会で発表することの「意味」が、見えてきました。

発表内容はほとんど同じですが、
日本の総会では、自助グループの個性の分析やメタ・メッセージなど、
研究そのものの方法や成果を発表することが目的でした。

ですがここでは、発表すること自体に、意味がありました。
日本のアドラー心理学が、健全に活動し成長を遂げているということ。
それを海外のアドレリアンに向けてアピールすることが、目的だったのです。

行ってみて、現場で人々と交わって話をしているうちに
ようやく自分のなすべき仕事が、はっきりと分かったんです。
なんとありがたいことでしょう!


気がつくと
自分は居るべき場所にいつのまにか居て
するべきことはいつのまにか整えられており
まるで大きな手のひらの上で踊っていたことに初めて気がついたような
めくるめく感覚を味わいました。

そういえば去年の日本での研究はもとより、
英文原稿を仕上げるまでの、先生やたくさんの友人たちの協力。
ヨーロッパに来てからの、さまざまの、偶然の出会い。
ジヴィットやドクター・カーンやマリアさんのあたたかい手。
ホテルや町の人たちの笑顔。
さらに学会のプログラムそのものが与えてくれた勇気。

それら全てのおかげで
さまざまな出来事が、信じられないぐらいうまくクリアされていきました。

決して私の力ではできなかったことです。
大きな世界の、歴史的・空間的な流れに
私の仕事は支えられていました。


リトアニアからの帰りの飛行機は、ヘルシンキまで
エヴァとビル・リンデンのふたり連れとご一緒でした。

一昨年のNASAP、昨年のICASSI、今年の国際学会(IAIP)。
私の3年連続の旅に、いつも必ずいらっしゃるおふたりです。

ヘルシンキの空港の通路で、エヴァが荷物をさわっていました。
私たちは日本まで乗り継ぎなので急いでいます。
「いい旅を!来年ICASSIで会える?」とエヴァが後ろから叫びます。
(わかりません。職場で休みがとれるかどうかわからないし、2週間は無理かもしれません。それにお金がかかりますし)
そんなマインドの声を吹き飛ばし、
私は大きな声で叫び返していました。

「はい。来年ICASSIで会いましょう!」

Dr. Shulman

| コメント(0)

今日からお盆休みに入りました。
先週の月曜日に帰国してから、
今日ははじめての、何もない日!

気のせいか、昨日までの炎天に比べると風がさわやかです。
たくさんの白い洗濯物がベランダにはためいていて、
その同じ風を感じながら、家でごろごろできるのっていいですね~
主婦の感覚かな。


さて国際学会に関連して、どうしても書いておきたいのが
シャルマン先生のことです。

Dr. Bernard Shulman は、野田先生が25年前シカゴに留学されたときのお師匠さまです。
10年以上前の東京総会で日本に来られたので、お会いになった方もおられると思います。
そのころの私は、子どもをおいて東京に行くなんて想像もできなかったので
総会に参加していないし、お会いもしていません。
(今の私から考えると、別人のようですけどね)
ただアドラーネットで、みなさんの報告を読んでいるだけでした。

一昨年、NASAPで初めてお会いして、そのときの印象は
『アドレリアン』51号(2006年10月)に書きました。
お会いしたといっても、私は賢い先生たちのお話を遠巻きに見ていただけです。
賢者のひとりのシルバーマン先生は、今年になってお亡くなりになりました。。。

ヴィルニウスに着いた日、
野田先生は、郊外に遊びに行こうよ、と提案されました。
「ジヴィットと打ち合わせるまでは何もすることないでしょう?」
と説得されまして、偶然見つけた旅行社で
昼間3時間半ほどの「トラカイ・ツアー」を申し込みました。

トラカイは、ヴィルニウスからバスで40分ほどの
おとぎ話に出てくるような、湖上のお城です。

お城の入り口でガイドさんのまわりに集合していると
野田先生が、「シャルマン先生だ!」
ピンクのポロシャツを着て杖をついたご老人と
半パンの壮年の男性とに、声をかけられました。

壮年の男性はシャルマン先生の息子のロバート先生で、Dr. Noda! と叫ばれ、
シャルマン先生が Shun! と、嬉しそうに手を握られました。

うそみたいでしょう?いろんな偶然が重なって、
ひょんな所で思いがけず、師弟が出会われたのですからね。

私も紹介していただき、しばらく4人でお話をしました。
シャルマン先生は寡黙なのですが、ときどき突然
単刀直入に質問されます。

リトアニア名物のピロシキのような肉入りパイを食べていると、いきなり、
Shun, do you write?(シュン、本を書いているか?)
とお尋ねになり、
野田先生は、おそらくかなり緊張しておられたのでしょう
たくさんお水を飲みながら、いつもよりさらに多弁で、
師匠にあれこれ説明しておられるのがおかしかったです(^^)v

trakai.jpg

変わった場所でお会いしたおかげで私も覚えていただいたみたいで、
その後の学会で、すれちがうたび、
ロバート先生は気さくに Hi! と声をかけてくださり、
シャルマン先生も、かすかに微笑みかけてくださいました。

公開の事例検討会では、壇上のシャルマン先生の発言が、
言葉数が少ないにもかかわらず、最も迫力がありました。
細かな技術は私には理解できず、もったいないばかりなのですが、
素晴らしい至芸だということが、よく分かりました。


明日は解散という8月2日の夕刻、森の中の会場でお別れパーティがありました。
にぎやかなバンド演奏と外国語のさんざめきの中、
なんとなく日本人は固まっておしゃべりをしていました。
ご家族連れの中島先生と、翌朝早くに発つ山本ご夫妻が席を立たれた後、
野田先生は、少し離れたテーブルにひとりいるシャルマン先生を見つけられました。

丸いテーブルに、背中を曲げて座られたシャルマン先生と
シャルマン先生に比べると、とても若々しい野田先生と。
バンドの音楽がうるさくて、私にはほとんど何も聴き取れませんでしたが、
しばらくの間、師弟はふたりだけでお話をしておられました。
そのシルエットが絵のようで、とてもきれいでした。

「いつも、これが今生で最後と思ってお別れをしている」
と、あとで野田先生がおっしゃいました。

ドライカースから直接教えを受けたシャルマン先生らの世代が
もう高齢になっておられます。
こうやってお会いし貴重な機会をいただけたことの幸せを
噛みしめずにはおれません。

本番

| コメント(0)

昼休みの間に原稿を読みやすく整えて
もういちどだけ読むおけいこをして、
午後4時すぎ
会場の304号室にはいると、

そこは横長の階段教室でした。
大きなパソコンが教卓にあり、足下にパソコン本体。
プロジェクタは高い天井に固定されています。

大事に持って行っていたUSBチップをパソコンに入れたのですが、
なんと「このファイルは読み取れません」という文字が出ます。。。

げげっ
どうやら古いバージョンのパワーポイントしかパソコンに入っていなくて
パワーポイント2007で作った私のファイルは、読みこんでくれないみたいです。

しかし、そこは沈着冷静な野田先生。慌てず騒がず、
「ここのパソコンに今から2007をインストールしてやろうかな。
それとも、僕のパソコンを使う方が早いかな」と、あれこれ触ってくださって、
どれがプロジェクタにのびているコードかを見極めて
うまくご持参のノートパソコンとつないでくださいました。

ロイ・カーン先生の奥さまのエリカさんも、手伝いに来てくださり、
あれこれとプロジェクタの方を触ってくださいました。
やっと天井のプロジェクタがスクリーンを照らし
私のスライドの1枚目が映し出されたときには、
わーいと拍手して一緒に喜んでくださいました\(^O^)/

ここでぎりぎり開始時刻の4時30分です!

みなさんが「あれこれ」してくださっている間、私はなすすべなくぼーっとしていました。
ほんとうに、無事にスライドつきで発表することができたのは、
すべて先生方のおかげです!
感謝。

おひげの中島先生や山本さんも来てくださいました。
私の出番は初日の1番目だったので遅れて来る人も多かったのですが、
それでも途中から、イヴォンヌやルタも聴きに来てくれて
最終的には20人ぐらいの方が来てくださっていました。

座長のジヴィットは、ずっとそばでうなずきながら聞き入ってくださり
彼女の表情が、とても私を勇気づけてくれました。

zivit.jpg
    中島先生とジヴィットと

終わってからすぐ、オーストリアのすてきなおじさまが
「とてもよかった」と話しかけて来てくださいました。
あとでわかったのですが、
「夫婦・家族療法の技術の発達」という有料ワークショップを前日にされた
国際学会次期役員の、えらい先生だったみたいです。
もちろん、肩書きより、評価していただけたことが嬉しいです(*^_^*)


とにかく20分間、私はしゃきっとしてがんばっておりましたが
終わって少しすると虚脱状態となりまして

夜ホテルに帰ると、肩がこって頭が重くて
しかも神経がたかぶって
夜中3時ぐらいまで眠れませんでした~
前の晩はぐっすり寝れたのにね(^_^;)

Lithuanians

| コメント(0)

さてさて。

リトアニアの人々はとても親切です。

どうしても原稿を1部コピーする必要があったのですが、
コピー機なんていうものが、なかなか見あたりません。
大学の内部は、ものすごく広いですし
コンビニなんてどこにもありません。

ためしに、ホテル(といっても全部で20室ぐらいの小さな宿)の
フロントにいつもすわっている感じのいい女性に、
コピー機があるかどうか尋ねてみました。

あまり枚数が多くなければしてあげますよ、と言ってくれました。
よかった!
白黒ですがいいですか?と聞かれ、もちろんOKと言いましたが

そうなんだ。コピーといえばカラーと思っていた日本人って、贅沢なんだな。
すわって待っている間、コピー機の音を聞いていると、
1枚ずつ蓋を開けては紙を置いて大きさを設定してボタンを押してと、
たいへん面倒な作業をしてくれているようです。

16枚コピーしてもらうのに、10分ぐらいもかかりました。

お金を払おうとしましたが、女性は受け取ってくれません。
せめてチップをと小銭を出しましたが、
No. It's my pleasure to help you.
と、にっこり笑って断られてしまいました。

こんな言い方もとてもステキですね。
慣用句なのかもしれませんが、
なんだか応援してくださっているように感じて、とてもありがたかったです。


また、私は発表原稿に、鉛筆でたくさんの印をつけ書き込みをしていました。
このごちゃごちゃのままでは、きっと本番でわからなくなって
間違って読んでしまいそうに思います。
せめて消しゴムで消してきれいにすれば、もう少し読みやすくできるのに。

でも消しゴムなんて、いったいどこで売っているのでしょう?
おみやげ物屋さんとレストランだけは目につくのだけれど。

昨年ICASSIで友達になっていた、ルタという女の子に尋ねてみました。
彼女は地元ヴィルニウス大学の学生なので、きっと知っているでしょう。
「消しゴム?たぶんスーパーマーケットで売っていると思うけど。
市民会館を出てすぐ角にスーパーがあるから、ついて行ってあげてもいいわよ」
スーパーがあることさえわかれば大丈夫と、お礼を言いました。

結局は、通りがかった本屋さんで見つけて、ゲットすることができました。
いま、リトアニアの小さな消しゴムは、私のふでばこに地味におさまっています。


コピーや消しゴムなど、ほんとに小さなことですけど、
リトアニア語の世界にいると、日本の日常にいるときほど簡単ではありません。
ほんとうにいろいろな方たちの助けをかりて、
1個1個、仕事を片づけていきました。

Dr. Kern

| コメント(0)

8月1日金曜日。発表の日の朝。

9時から市民会館の大会場で開会式。
10時からシャルマン先生らの出られる公開の事例検討会。

その合間をぬって、執行部のロイ・カーン先生をつかまえました。
この方とは昨年のICASSIでもお会いしたのですが
昨日も、「なんでも困ったことがあったら言ってきてくださいね」と
親切にお申し出いただいていたのです。

「ドクター・カーン、助けていただきたいことがあるのです」と丁寧に切り出すと
わりと女性に弱そうな風情のカーン先生は、
おお!と私の手を握り
「なんでも私にできることはさせていただきますよ!
さあ、こちらにいらっしゃい。
ここであなたのお話を伺おうではないですか」と、
少し人混みからはなれたコーナーに私をいざないました。

スライドを使いたいのですがどのように準備したらよいのでしょうか?とお聞きすると、
「おお、そうですねえ。
よし、その件について相談できる人物を探しましょう。
さあ、ついていらっしゃい!」と、颯爽と大階段を降り、
受付の女性に、

「ねえ君、問題が発生した。
この lady が困っておられる。そこで頼みたいのだが~」と
この件に関してしかるべき人物が誰かと尋ねてくださいました。
忙しそうな受付の手を止め仕事を頼むやり方は、ほれぼれするほど巧みで、
これから何かの時にはこれをモデルにさせてもらおう、と思ったほどでした。

受付の方は、それはきっとマリアさんだわ、とマリアさんを呼びに行ってくださいました。

「さてこれで大丈夫でありましょう。
もしまた何か困ることがあったら、遠慮なく私に声をかけるのですぞ」
と、また両手で私の手を握るカーン先生。
「ありがとうございます。あなたのご親切に心から感謝いたします」
と、教科書的英文を繰り返す私でした。

やがてやってきたマリアさんは、
国際学会の事務局の方で、何度かメールのやりとりをした当の相手でありました。
教室にはパソコンもプロジェクターもスクリーンも設置してあり、
USBチップも使えるので大丈夫ですよ、ということでした。
4時半からの発表なら、4時すぎに誰かがお手伝いに参ります、
とも言ってくださいました。

おおこれで一安心、
の、はずでした。

Zivit

| コメント(0)

翌7月31日木曜日、学会の受付日です。

プログラムと全発表のレジュメの載った冊子を受け取って
間に挟んである、1枚のぴらぴら紙の細かな英語をなんとなく読むと・・・

「プログラム変更:8月1日 304号室 17時30分から誰それ、17時55分から彼それ」
と、まったく知らない名前がふたつ書いてあります。
え?これってうちのセクションの私たちの後じゃないの?
あちゃ~3番目に変更してもらえるっていうのはダメになったかな。

夕方からの歓迎パーティでジヴィットに会うと、
彼女はまだこのことを知りませんでした。
3番目の人が急に不参加になったとかで、
「うちのセクションはあなたと私のふたりだけになっちゃったわ」と
のんびりおっしゃいます。

「それが、どうやら4人になったみたいです」と、ぴらぴら紙をお見せすると
「まあ!どういうこと?そんなこと聞いてないわよ!」
と大慌てで事務方に走っていかれました。

そのあとの会話。
「まったくなんてことでしょう!3人のつもりだったのが2人になって、
それがまた4人になるなんて!ほんとに忙しいこと!
いったい私はどうしたらいいのかしら!
私の発表は15分にして、あなた方を4番目にしましょうか?
最後なら、少しぐらいオーバーしても大丈夫でしょう?」と、
あくまでもこちらのことを考えてくださるジヴィットです。

「人々はプログラムを見て来るので、プログラム通り1番目のままがいいでしょう」と野田先生。
「20分以内に必ずおさまるよう、原稿をもっと短くしてみます」と私。
「1番目なら、1分でもオーバーしてもらっては困るわ。
あとに3人待っているのだからね。わかるでしょ?それでもいい?」とジヴィット。
「了解です。明日までになんとか短くします」と私。

そこにイヴォンヌ(Yvonne Schurer)やエヴァ(Eva Dreikurs-Fergason)がやって来て、
「なになに?何があったのよ」と加わります。
ジヴィットが「聞いてちょうだいよぉ、それがひどいのよ・・・」と愚痴ると、
イヴォンヌが「おぉー」とおおげさに顔をしかめて同意します。
日本のおばさん達の会話と、雰囲気はあまり変わりません(笑)

けっこう話をしたのに、どうやら最後までジヴィットは、
発表するのは私ではなく野田先生だと思いこんでおられたみたいですね。
彼女はときどき思いこみが激しくて、視野狭窄するようです。
親しみがわきます~(^_^)

「あの~パワーポイントのスライドを使いたいのですが、設備はあるでしょうか」と尋ねると
ジヴィットは「パワーポイント?知らないわ。私は何もわからないわ!」
と、?マークを出すばかり。
参ったな。スライドについては、誰か他の人にあたらなくちゃ。


それから夜遅くまでかかって
最終的には、原稿を16分まで縮めることができました。
これだけ短くしたら、少々何があっても大丈夫でしょう!

もちろん何度も何度も声に出して読んで、発音やストレス、
それにリズムよく読めるように、練習しました。
小さなホテルでしたから、同じフロアーの泊まり客たちは
私の発表を何度も聞かされていたのかも(^^;)

パワーポイントについては、
もしも設備がないのなら、スライドなしで発表するしかありません。
でもそのことは、今夜いくら考えてもしようがありません。

今夜できるかぎりのことはしました。
明日は明日で、できることをしよう。。。
そう考えて、疲れ果て、ぐっすりと休みました。

Vilnius

| コメント(0)

7月30日水曜日、午後。
空路、リトアニアの首都ヴィルニウスに着きました。

ヴィルニウスはほんとうに美しい町です。
新市街と旧市街とがあり、新市街には市電やバスが走っていますが、
旧市街の大部分には、大きな車は乗り入れることができません。
観光客のお目当ては、歩いて回れるほどの範囲の旧市街です。
今回の学会の会場はすべて旧市街にあるので
ホテルも、そのただ中に予約していました。
ホテル前の路地ときたら、タクシーもつけられないほどの狭さです。

どの道も、ほとんどすべて古い石畳道。
曲がりくねって細くて、ところどころ割れています。
覚えられないぐらいたくさんの塔と教会。
北国の木々と、抜けるように青い空。
しかも今は、一年でいちばん昼の長い季節です。

荷物を置いて、すぐにカメラを持って町に出ました。
見るものすべてが絵になるような気がします。
ロシア人とおぼしきおばあさんが、崩れた塀の前をゆっくりと歩いて行ったり
路地のむこうの方に、空をバックに教会の尖塔がのぞいてたり
まん中の盛り上がった石畳が、斜光の中にひと筋、輝いていたり。

2008Europe%20.jpg

さて翌日からの学会の会場を下見しようと、
野田先生といっしょに、ヨーロッパ最古のヴィルニウス大学に向かいました。
すると、ただひとり大学からこちらに歩いてくる人影は、なんと
われらが座長のジヴィット・アブラムソン先生ではないですか。

先週、野田先生のパソコンあてにメールで送った私の発表原稿とスライドは
印刷してジヴィットに手渡していただいていました。
ジヴィットは野田先生の顔を見るや
「あの原稿は20分では終わらないと思うわ。
私は20分たったら、なにがなんでもストップしなくちゃならないの」
と話しかけてこられました。

「わかりました。ではもう少し短くします」と言うと

「あなた方は4時半からで1番目。2番目は私。
他の教室の演者は4人だけど、さいわいうちは3人だけなの。
だから3番目の人に順番を交代してもらって、あなた方を最後にすることもできるわよ。
きっちり20分で発表を済ませるか、あるいは、3番目にゆっくりと発表するか、
どちらかを選んでちょうだい。
どうする?」
とおっしゃいました。

野田先生が私に向かって「あなたが発表するのだからあなたが決めなさい」とおっしゃったので
少し考えて、
ジヴィットの提案をありがたくお受けすることに決めました。
「わかったわ!じゃあ3番目の人に交代してもらうよう、私から話しておくわね」
とジヴィットは去っていきました。

「増上縁ですね。世界が支えてくれている」と先生がおっしゃり、
私も、これで時間を気にせず落ち着いて発表できるものだと思い、
質疑応答の時間はちょっと怖いけど、そのときはそのときのこと、
ジヴィットの(世界の)好意をいただくことに
何の迷いもありませんでした。

ところが、です。

ただいま~

| コメント(0)

ヨーロッパの旅から昨日帰国しました。
11日のうち、前半はまるっきりお遊び♪
後半は、ストレスフルな発表を含む、お勉強の日々でした。

いろ~んなことがありました。
いずれ、何らかの形で文章にできればいいなとは思っていますが・・・
このブログでは気楽に、散漫に、
体験したことや、思ったり感じたりしたことを、そのまま記しておこうと思います。

まずは、やっぱり国際アドラー心理学会のことを書かないと。。。

「国際学会で発表」なんていうと、なんだかすごそうに聞こえるじゃないですかぁ(^^;)

私も、行くまでは、日本の総会でやったみたいなのをイメージしていたのです。
でも実は、だいぶ様相は違っていました。

大会場で100人以上の聴衆に向けて行われるのは、
特別の演題やドクターたちの公開討論だけで、
それ以外の発表は、哲学者エマニュエル・レビナスも通ったという古風な大学の
5つの教室で、5つが同時進行で行われます。

そのため、ひとつの教室に聴きにくる聴衆は、
多くて30人ぐらい、少ないときは一桁のこともあります。
教室の多くは階段教室みたいなところで、マイクもないことが多いのです。

そんな小規模な発表でも、プログラムを見ると
国際学会の各国の評議員の先生たちや、
イヴォンヌ・シューラーやアンシア・ミラーなどICASSIの講師陣、
私は知らないけど彼の地ではきっと有名どころなのであろうドクターたちの名前が
ずらりっと並んでいます。

そんな中に、この非専門家の、
国際学会初参加の私めが、混ぜていただいたのです(冷汗っ)


8月1日午後4時半から、ヴィルニウス大学哲学棟304号室にて、発表を行いました。
ここに至るまで、まあなかなか、たいへんだったんですよ。

このアーカイブについて

このページには、2008年8月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2008年7月です。

次のアーカイブは2008年9月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。