2009年1月アーカイブ

兄のこと

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少し前から、兄が入院しています。

もちろんお嫁さんも子どももおりますし
両親も頻繁に、顔を見に行っているようです。
私もたまにはお見舞いに行きますが、それ以外に
妹として、できることは何なのかなと考えて
毎日メールを送ることにしました。

小さい頃の呼び名に因んで、
「お兄ちゃまメール」と呼ぶことにしました。

野田先生が毎夕、お母さまにメールを送っておられることは有名ですが、
そのぱくりです。
でも退屈な入院生活の中、
兄もけっこう喜んでくれているみたいです。

まだ始めて間がないので、
お天気のこととか
その日の私の仕事の予定とか
身の回りの人のこととか
朝の電車の中や、ときにはお布団の中で、
ささいな話を書いて送っています。

考えたら、別に遠くに住んでるわけじゃないのに、
年に1,2度会って話すだけで
どんなふうに暮らしているか、ほんとのところ
お互いにあまり知らないできたように思います。

毎日メールを続けていれば、そのうち
もっといろんな話ができるようになるでしょう。
兄の思っていることを
自然に、なんとなく知っていくこともできるでしょう。


アドラー心理学を学んだおかげで、
これまでに、たくさんの早期回想を思い出してきました。
私は2歳上の兄とふたりきょうだいなので、
多くの私の思い出の中に、兄が登場しています。

アドラー心理学に出会っていなかったら
こんなにたくさんのことを、大人になってから思い出すことはなかったでしょう。
また、兄の存在が、どれほど私のライフスタイル形成に影響したか
気がつくこともなかったと思います。

アドラー心理学を学んで、
兄や両親のことをたくさん思い出して
私の記憶の中に、あらためてしまっておくことができて、
本当によかったと思います。


病院は早くに起こされるそうなので朝が特に退屈だろうと思い、
できるだけ早い時間にメールしようと思うのですが、
私の方は、なかなか朝がきびしいです。。。
しだいに「お兄ちゃまメール」の送信時間が遅くなってきています(^^;)

まあ、ともかく毎日続けることが目標です。
こうして暮らすと、兄のことを思う、考える・・・というよりも
兄と「共にいる」ように感じます。

神秘な場所

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周参見から帰って2週間。
その間にカウンセリングも自助グループもあり
AGでの勉強会も講演会も、親戚との付き合いもあり、
めまぐるしく日々が過ぎていきます。

でも何かのはずみに、あのワークを思い出すと、
あそこは神秘なことの起こる場所だったと、しみじみ思います。

2004年に、同じ周参見のあのホテルで年末のASMIがありました。
私はその年の5月に和尚ラジニーシ(Osho)のサニヤシンになっていて
こっそり、首からマーラ(数珠)をかけて参加しました。

今回のスピリチュアル・ワークは、そのときと同じホテルに私が予約を入れましたが、
貸していただく研修室がどの部屋かはわかっておらず、
当日行ってみて、はじめてあのASMIと同じ大広間であることがわかりました。

はじめてダイナミック瞑想をしたのが、その部屋でした。
ご存知の方はご存知でしょうが、ダイナミック瞑想というのは
まったくもって体育会系の、いやもうそれは
死ぬかと思うぐらい、はちゃめちゃに激しい瞑想です。
マインドを吹き飛ばすのにはうってつけでしょうが、
体の大きい西洋人とちがって、一般に穏やかであることの多い日本人は
あそこまでしなくてもいいんじゃないかと、私などは思います。。。

その、もう死にそぅ~、とやっていたダイナミック瞑想の最中に
私は何度も何ものかの存在を感じました。
それは耳元で聞こえるよく知った人の声だったり
足のあたりに触れる誰かの手だったりしましたが
現実には、そんなところに人はいないのです。

Delirium(せんもう状態)?
いえ、私は、瞑想を助け励ましてくれたOshoの手だったのだと、
そういう物語をつくっています。

先日のスピリチュアル・ワークでは、早朝、希望者だけで瞑想会を行いました。
そのとき、また何かを感じました。
誰もいないはずの私の片側に人々の息づかいを感じ
たくさんの西洋人のサニヤシンがそこにいるのを感じました。

その人々の歌のリズムに合わせて
ローブを着た小柄なOshoが
手を振り笑っているのを見たように思いました。

不思議なことに、
いっしょに瞑想をしていた他のお友だちの何人かが
やはり、どこかのアシュラムに居たような気がしたのだそうです。

周参見のスピリチュアル・ワークを、私たちがことさら美しく感じたのは、
あそこが強烈なエネルギースポットだったからかもしれません。
あくまでひとつの物語ですが、
マインドが吹っ飛んでいる間だけは
何か神秘なことの顕れる場所なのだと思います。
ホテルの人たちは、
何も気づいてないようですけどね。

タロット

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今回のスピリチュアル・ワークが私にとって特別だったのは
お世話役というとても「おいしい(=得るものの多い)」役を
させていただいたことと、それに加えて
何人かの方のタロットをさせていただいたことが
関係しているのかもしれません。

私の行うタロットカウンセリングは、
Osho Neo-Tarot のカードをクライエントさんにひいていただき、
そのカードに描いてある絵の物話をお伝えするというやり方です。
そしてそのお話を、クライエントさんがご自分で
ご自身のことに関連づけて語られるのを、お手伝いしていきます。

beyondgreed.jpg

2日目と3日目の夜、セッションの終わったあとで、
ご縁のあった方々のタロットをさせていただきました。

並んだカードの告げていることは、
明瞭なときもあれば、そうでないときもあります。
またクライエントさんが、どのようにそのお告げを受け止められるかも
人によってまちまちです。

こちらはただカードの物語をお話しして
開いた質問をしていくわけですが、
物語のどのエッセンスがその方にとっての鍵となるのか
そこをどう尋ねていくのか
ある程度の慣れもいるように思います。
それでこれは、私にとってカウンセリングのよいお稽古にもなっています。

しかし、いちばん大事なことは、
私自身が、このクライエントさんに何かを気づいてもらおうとか
何かを教えようとか、そういう邪念をもたず、
ただ大きな世界からくるエネルギーを、私のからだを通して
クライエントさんにお流しすることだと思っています。

どんなカードが出るのか、
どんな結末が待っているのか、
見えないままで、小一時間ばかりクライエントさんのお話を聴きますが、

このタロットカードは
一時期、私も毎日ひいて慣れ親しんだものですので
絶対的に信頼しているんです。
私がただのパイプになってさえいれば、大丈夫だと。

ここまで書いて気づいたのですけど、
タロットカウンセリングでなくて
アドラーカウンセリングでも、これは全く同じことなのかもしれません。

アドラー心理学の原理に、私はもうずいぶん慣れ親しんできているはずです。
私のからだを通して
その原理をクライエントさんにお伝えするのがカウンセラーの役目だとしたら
安心して信頼して大丈夫なはずなのに。。。
不安があるのは、
私はまだ、アドラーを伝えるパイプになっていないということでしょうか。

「大切なのは、今の自分を信じること。
未来の自分を信じないこと」
むかし、新潟のスピリチュアル・ワークで師匠に怒られたことがありました。

やはり、心清く・・・innocent に。
アドラー心理学の巫女となる修行は続きます。

清い心

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今回のスピリチュアル・ワークのキーワードは
「清い心」でした。

1日目のセッションで、「清い心って何?」と問いかけられました。
私には、その具体的なイメージがなかなか掴めませんでした。
何をどうすることが、
どう生きることが、清いといえるのか?

どなたかが宮澤賢治のことをお話ししてくださいました。
『アメニモマケズ』に描かれている賢治の理想像。。。
死にそうな人にはコワガラナクテモイイと言い
困っている人とともにオロオロアルク、ソウイウ人の姿って
清いと感じました。

また良寛さまのお話も思い出しました。
毎日子どもたちと遊び、托鉢で生き
住む寺の縁の下からタケノコが生えてくると
頭を打つからかわいそうだと、縁側に穴をあけてやる。
その竹がやがて屋根の軒に届くと、
やはり頭を打つからかわいそうだと、軒にも穴をあけてやる。
そんな心も、清いと思いました。

でも、他の人の清らかさは感じることができるけれど
それをモデルにする自分の行動は、なんだか穢れているように感じます。
自分の心を清いと思ったら、とたんに私は清くなくなる。
私は一生、心清くなんてなれないんじゃないかな。。。

そんなこんなを考えて?マークがいっぱいでて
マインドが堂々巡りしていました。

でもそのうちに、瞑想が足りてきたのでしょうか。
参加者のみなさんのエネルギー、
陽性の土地のエネルギーに助けられ、
そこらじゅう、大きな力の充ち満ちていることがわかってきました。

私のマインドも鎮まり
ただもう、しずかに耳をすませて
その力の偏在を感じていました。

自分の心なんて、もうどうでもよくなったんです。
すべてが、ただ、愛され守られていましたから。


4日目の最終日、男の子をどう育てるか、という話題となり、
男の子をもつ母親が何人か前に出て、あれこれとおしゃべりしました。
そのあとある方が、感想として
「この人たちは、人のために生きているなと思いました」
とおっしゃいました。

その言葉に、フロアーの母親たちはみな、涙してしまいました。

そうなんです。
子どもを愛する心は、とても清いものでした。
伝え方、愛し方を間違ってしまうことはあるけれど、
その心は、普遍に尊く美しいものです。

他者のために生きること・・・
世界のために生きること・・・
「清い心」の答えは、これなのかもしれません。

感謝

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周参見スピリチュアル・ワークの日々は
圧倒的な天と地の気につつまれた
信じられないぐらい美しい時間でした。

susami_2_a.jpg

主催者側として初めて働かせていただいて
これまでスピリチュアル・ワークを誘致してくださった地域の方々が
どんなふうに準備をととのえてくださり
どんなふうに場を作り出してくださっていたのか、よくわかりました。
今まで気がつかないままお世話していただいていたことが、たくさんありました。

と同時に、場を創り出すのは
決してヒトの力だけではなく
神々の手の大きな助けがあるにちがいないこと、
全体の流れの中で起こるべきことだけが
必然として起こっていることも、わかりました。

人々からだけではなく、まわりのすべてから
さまざまな恩をいただいていること、
いくら感謝しても足りないぐらいの恩をいただいていることに
やっと、こころから気づきました。

ひとりひとりが
実はずっとずっと、いつも大きな存在に愛されており
ほんとうに守られていることも、分かりました。

このスピリチュアル・ワークについては
アドラーネットにもいくつかアップが出ていますし
お友だちのブログにも素敵なご報告が載っていますので、
よかったらご訪問くださいね。
TAKE IT EASY (ユーザー名 adler パスワード quiet)
アドラーのたね

ただもう、感謝と喜びだけです。

そうして瞑想とは、泣くものではなく
笑うものだと知りました。

Rejoice! Celebrate!
Dance! Laugh and Sing!

ささやかではありますが
私にもなにがしかのお仕事のあることが分かったように思います。
そのための、私の決心です。

こころ清く暮らし
恩を知り、感謝して
いつでも call のあるときに
Yes! と動ける人であろうと思います。

ご近所散策

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なぜか道路の真ん中にましますご神木。

hokora.JPG

こんな祠を近所にふたつも発見しました(^_^)v

昔ながらの「市場」も元気です。

お豆腐屋さん、漬け物屋さん、お米屋さん、八百屋さん、花屋さん、魚屋さん、揚げたてコロッケのお肉屋さん、パン屋さん、薬屋さん、寄席(!)。

うれしいですね。
小さい頃にも、こんな市場がいくつかありました。
安売りスーパーよりは少し高くつくのですが
お正月前には、奮発してお世話になります。

個人商店もがんばっていますが
新奇なお店も好まれる土地柄みたいで

徒歩10分の圏内に、これまた2つ
あやしいヨガ・スタジオを見つけてしまいました。

私がアヤシイというぐらいですから、かなりアヤシイです(^^)

ひとつはビルの中のワンフロア。
ふつうのヨガに加えて、クンダリーニ・ヨガ、ラージャ・ヨガとやらをやっていて
インドでダライ・ラマから灌頂を受けたというヒトが主催の
筋金入りのアヤシサです。

もうひとつは、隠れ家的なふつうの町家。
少し軟弱系(?)で
ヴィジョンヨガとか、キャンドルライトヨガとかやってはります。
入ったら出られなくなりそう。

harmonyyoga.JPG

うふふふ。
どっちにしようかな。
のぞきに行って報告しますね~

生活の音

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あけましておめでとうございます。

昨年のブログはアイヌの音楽「イフンケ」で始まったのですけど
今年は、ネイティブ・アメリカンの音から(笑)

Valerie Dee Naranjo というおばちゃまの
ORENDA(Native Amercan Music to Heal the Spirit)というCDで
昨年末の富士山西湖ASMIで、マッサージの時間にかけられて好評だったそうです。
Orenda とは、なんかよくわからないけど
「全ての自然に宿る不可視の力( power, force )」のことらしいです。

このおばちゃま自身ネイティブ・アメリカンで、
木片をつないだ下に共鳴管としてひょうたんを置いた
gyil というマリンバの一種を、西アフリカのガーナに留学して究めたらしいです。
gyil や marimba の音も素敵ですが

私がおもしろ~い!と感動したのは、
その他のさまざま~なパーカッション群です。

曲の横に書いてある楽器名をちょっと読むと

seashell bags(貝殻を袋につめて、ざくざく叩いて音を出している気配・・・)
bones(骨ですよね・・・)
animal jaw bone(動物のあご骨!)
gourd(ひょうたん・・・吹いたり叩いたり)
stones(小石の音はすてき♪)
bamboo(竹。これも吹いたり叩いたり)
hoe blade(鍬の刃・・・どうやって使うねん!?)
scraper(へら)
reed bundles(芦を束ねたもの)
sticks(ドラムスティック・・・というより、ただの棒)
rock bags(小石も大石も袋につめちゃう)

horn rattle(なんの動物の角でしょう?)
seed pod rattle(種子のさやのがらがら)
nut shell rattle(木の実の殻のがらがら)
animal toenail rattle(動物の足のツメのがらがら)
turtle shell rattle(カメの甲羅のがらがら)
rawhide rattele(生皮!のがらがら)

ね、それぞれ、想像がふくらんでしまうでしょ(^-^)

mouth bow というのは、たぶんアイヌのムックリみたいなものでしょうね。
とてもよく似た音を出します。
Kena は、きっと南アメリカのケーナですね。
Kenacho はそれの小さなものかな。

Taos drums, barrel drum, log drum, frame drum など、
名前だけではよくわからないけど、樽とか木を叩いている気配。

water (poured into a tub and stuck with the palms)
水!も楽器にしてしまいます。
桶に水をはって、手のひらで打って音を出しているんですね~
ちょっと感動しません?

さて、例によって泊まりに来た子どもたちにも聞かせてみました。
(彼らも私に付き合わされて気の毒ではあります)
ごはん中にかけたら、案の定ブーイングでした。

でも、あたりが静まりかえった夜、眠る頃にかけると
澄みきった女声と素朴な楽器の音がとてもここちよくて
こころに沁みとおっていくような気がしました。
このときは誰も文句を言わず、そのまま眠りに落ちました。


生活の中に神は宿る。。。
生活に密着した音はステキです。

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