2009年3月アーカイブ

ストラヴィンスキーの音

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ロシアの作曲家ストラヴィンスキー(1882~1971)を聴きました。

ストラヴィンスキーは、生涯を通じて3度も曲風が変わったのだそうです。
私が耳にしたのは、
ストラヴィンスキーがヨーロッパに居たころ
第二期の代表作『詩編交響曲』(1930)の一部です。

第一期の代表作は『ペトルーシュカ』『春の祭典』などで、
これらはパリで大成功を収めました。
第二期は、第一次大戦勃発からアメリカに移住する頃までを言うようです。
1914年(32歳)ストラヴィンスキーがスイスに移住したあと
ロシアでは十月革命(1917年)が起こり
故郷の土地は革命政府に没収されてしまいます。
第一次大戦後、ふたたび大戦に向かうヨーロッパを離れ
1939年(57歳)彼はアメリカに渡りました。

さて『詩編交響曲』。
なんて、なんて暗い音でしょう。。。
当時の聴衆にまったく受けなかったというのがよくわかります。
音楽をどう表現すればいいのか、私は言葉をあまり持っていないのですが
あえて言うなら、不安をかきたてるような音。
重苦しい、恐怖への予感。。。

聖書の詩編の歌詞がラテン語で歌われています。
でもそれは、救済に向かうものではなく
かえって終末への予感をかきたててくるように感じます。

視覚型の私は、このような音を聴くと
映画『戦場のピアニスト』で見たユダヤ人ゲットーの場面や
破壊されつくしたワルシャワの街が目に浮かびます。
暴力というよりも、しのびよる悪意に満ちた光景。

ああ、この時代は、まさにこのような雰囲気だったのだ
と思いました。


それから、あることに気がついて、はっとしました。
この同じ時期、同じヨーロッパに、アルフレッド・アドラー(1870~1937)は生きていたのです。

アドラーは、医者として第一次大戦に従軍しました。
ウィーンに戻ってから児童相談所の開設をはじめ、臨床に、教育に、講演に活動を広げました。
アドラーが最終的にアメリカに移住したのは1935年(65歳)です。
アドラーの娘のひとりは、ロシアで捕らえられ亡くなっています。

ストラヴィンスキーら芸術家が暗い時代の訪れを敏感に感じとり
悲壮で悲劇的な音を紡いでいた同じ時期に、アドラーは
「勇気づけ」や「共同体感覚」の必要を説いて回っていたのです。

そんな時代だったからこそ、アドラーは
これらのものが何よりも大切だと言いたかったのかもしれません。
そこには、私たちの想像を絶する迫力があります。

不安と恐怖のただ中で、人間の力を信じ、「私にできること」を考え続けた
アドラー先生の人間としての強さ、精神の偉大さを、思わずにはいられません。


ひるがえって考えると
日本はありがたいことに平和を享受してきました。
しかしいま現在、
支配、密告、恐怖、貧困に喘いでいるのはチベットだけではありません。
前にも書きましたが、
ラトビア・リトアニア・エストニアのバルト三国が独立したのは
つい最近のことなのです。

実は今の日本でも
ストラヴィンスキーの不安の音は
多くの人は耳をふさぎ聞こえないふりをしているけれど
通奏低音のように鳴り続けているのではないでしょうか。

LSを英語で

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昨秋からライフスタイル分析を始めさせていただき、早や半年経ちました。

「劣等の位置」は、英語では I am ~、People are ~、Life(World) is ~
「優越の位置」は、I should ~、People should ・・・
「そのための方法」は Therefore I will ~ と教わったので
最初にそう覚えてしまったということもあり、
私は、心の中ではいつもそのように考えて分析してきました。

昨日ある方に、「どうして英語で考えるのですか?」と尋ねられて、
とっさに「そのほうがライフスタイルを捉えやすいように思うので・・・」
とお答えしましたが、このことをもう少し考えてみました。

たとえばですね
先日の Approach の記事に寄せていただいたコメントの中に
劣等の位置は I am dull かな?というのがありました。
ちょっとこれをお借りして考えてみます。

日本語では、この劣等感をどう言うでしょうか。
「ボクはバカだ」?
「ボクはにぶい」?
「いや、5歳の子どもの言い方なら、ボクってドジだ、かな」?
「ボクはぼんやりしているので、いつも失敗する」?

おそらく現場では、カウンセラーとのやりとりの中で、
いろんなニュアンスのいろんな言葉が飛び出してくるでしょう。
その中から、クライエントに一番ぴったりくるものを
最終的に選んでいただくことになります。

しかし、ひとつひとつの言葉
「にぶい」とか「ドジ」とか「ぼんやり」とかに
カウンセラーがいちいち単語レベルで反応していると、
特に私のような未熟者は、すじを離れてどこかに迷いこんでしまいます。

クライエントの細かい言葉のニュアンスに左右されず
まずカウンセラーが、
ここらあたりにこのクライエントの劣等の位置があるんだな・・・って
大づかみに把握しておくこと。
それがとても大事で、そうしないと
また私の悪癖で、細部にこだわって全体を見失ってしまいます。

I am dull なら I am dull の、その範囲内での合意さえ取れれば、
あとの細かいニュアンスは、どのような言葉が使われてもOKではないかと思います。
それはクライエント独自の意味づけによる表現ですから。

つまり、劣等感に名前をつけるとき
とりあえずは大きなラベルを貼り付けておくということ。
そのために、英語ではどういうのかな?と考えてみるのは
私には有効みたいです。

だって、英語だと
日本語ほどたくさんの言い回しはないのじゃないかしら?

I am inadequate.
I am insignificant.
I am insecure.
I am unacceptable.
・・・
あれ?単語知らないだけかな(^^;)

不気味の谷

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ニュースによると

茨城県つくば市にある政府系研究機関の産業技術総合研究所(産総研、AIST)は16日、ヒューマノイドロボット「サイバネティックヒューマン(Cybernetic Human)『HRP-4C』」を開発したことを発表し、同研究所でデモンストレーションを行った。
サイバネティックヒューマンは、身長158センチメートル、体重43キログラムで、怒り、喜び、驚きなどの表情を表現することができる。身体には42個のモーターと複数のセンサーを組み込んでいる。【3月16日 AFP】

このロボット、20代の平均的な日本人女性の体型に基づいて作ってあるんですって。
少しぎこちないですが、二足歩行します。
黒髪で、なかなかの美人。

インターネット画像で見たのですが
・・・かわいらしすぎて
お顔の肌もやわらかそうで
うう。。。(ノ-o-)ノ-|∵:.気持ち悪い!
私はこういうのダメです~むしろ不快です。

なんでやろ~?
アシモ君なんか全然大丈夫、好もしいし
サイボーグお嬢様系のアニメも楽しめるんですけど

そんなことを年若い友だちに話すと
「おお、不気味の谷に入ってますね」と言われました。
何それ?

なんと「不気味の谷現象」は、ウィキペディアにも載っている概念でした。

不気味の谷現象とは、ロボットや他の非人間的対象に対する、人間の感情的反応に関するロボット工学上の概念である。
Wpdms_fh_uncanny_valley.jpg日本のロボット工学者、森政弘が1970年に提唱した。森は、人間のロボットに対する感情的反応について、ロボットがその外観や動作においてより人間らしく作られるようになるにつれ、より好感的、共感的になっていくが、ある時点で突然強い嫌悪感に変わると予想した。人間の外観や動作と見分けがつかなくなると再びより強い好感に転じ、人間と同じような親近感を覚えるようになると考えた。

うむむたしかに
人間と似ても似つかないロボットだと全然OK。
映画の、人間の演じるアンドロイドかサイボーグみたいなのもOK。
嫌悪感を感じるのは、その狭間の
人間に似ているのだけれど明らかに違うことのわかるある範囲のもの
に対してのようです。

この谷に落ちこむ一線は、人によって違うので
たとえばリアルすぎるCGアニメに違和感を感じる人もいます。
ちょっと思いつくだけでも
Toy Story とか Star Wars とかに出てくる人間に近いキャラクターたちより
みんな、人間から遠い
「選バレタ♪」の宇宙人とか、ヨーダの方を愛していません?

視聴者が不快感を感じないように、いかに不気味の谷を克服するかは
映画製作者の課題にもなっているようです。
逆に、邪悪な存在を強調するために
この理論を利用してキャラクターを作ることもあるといいます。

ついでに YOU TUBE で調べてみると、
英語では uncanny valley と訳されているのですね。

こわいもの見たさでいろいろ見ていると、
子どもそっくりのロボットもいて、
大きさも髪も、皮膚の感じもほとんどいっしょ・・
それが口元だけで笑ったりするんですよぉ

ああ、これは怖かった!!(ノ=o=)ノ-|∵:.
ほとんどお化けですぅ~

ともあれ
私の気持ち悪い感覚は、まともですよね。

Approach

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先週の土曜日、AGのカウンセリング講座で
アプローチワークの実習をしました。

アプローチワークとは、KJ法をもとに福岡の柿内さんの開発されたものです。
昨年の仙台総会で宿題報告がありましたので、
いずれ論文で読ませていただけると思います。
正確な定義や方法はそちらをお待ちするとして、
今の段階で私が理解しているところでは、
アドラー心理学の構造(つまりライフスタイル理論)を
自助グループで発見することを目指すワークだということです。

有資格者限定のカウンセリング講座では
昨年から野田先生がこれを教えてくださっており、先日が3回目でした。
総会発表前の奥伝開発の実験ワークも体験させていただいたので、
つごう4回、私はアプローチを体験したことになります。
そのうち1回はクライエントにもならせていただきました。

さて、先日のアプローチは、
あくまで私にとってですが、今までと、かなり違いました。
ありていに言えば、とてもおもしろかった!(^^)!のです。

こう言うと、今まではおもしろくなかったのかぃ!と問われそうですが
おもしろくはあったのですけど、めんどくさかったのです。
(柿内さんごめんねm(_ _)m)
今回は、めんどくさがりの私にとっても、
めんどくささを補ってなおあまりあるおもしろさ、でありました。
(フォローになっているか?<(_ _)>)

細かいことなので
ご存知ない方にはちっとも分からないだろうから申し訳ないのですが
やり方が今までと少し違いました。

5,6人のグループになってひとりクライエントさんを決め、早期回想を聴いて書き取ります。
その早期回想をこまぎれの文章に分け、ひとつひとつの文章についての「感情」と「思考」を、思いつく限りたくさんみんなでカードに書いていきます。
ここまでは同じ。

そのあと、カードのグループ化とタイトルつけのところです。
一文ずつについて出ているカードをグループ分けしていくのですが、
最初に全部グループに分けてしまって、その後、
できたグループに次々タイトルをつけていきました。

今まではここのところで指示がなかった(ように思う)ので
グループ分けをしながら同時進行でタイトルをつけたり、
タイトルがつけにくければ後回しにしたり、その場その場でやっていました。

小さなことですが、手順を分けたことがなぜ・どう良かったかというと、
グループ分けとタイトルつけに使う「頭」が異なっていることに関係していると思います。

たくさんのランダムのカードをグループに分けるとき、
使うのは直観です。
ここであまり考え過ぎると、
私などは、限りある脳の能力が保たなくなり、しだいに頭痛がしてきます。
今回はマインドを使わず、ぱっぱっと直観で分けていきました。
あとで分かったのですが、いい加減なようでいて直観で決めたものは
けっこう、的を射ていたりするのですね。おどろきでした。

次、分けたカードのグループにタイトルをつけていくときは、
徹底的に理屈で考えます。
タイトルは2語以上の文章にするなど、いくらかコツもありますし、
そのグループを表現するぴったりの言葉や文章を、一生懸命うなって探します。
先ほどの作業であまり煮詰まっていないので、
今回は私の脳にもまだ余力があり、頭痛を起こさないで済みました。

作業はここから、タイトルを整合性を考えながら並べて
順境にあるときの大人の私的論理・逆境にあるときの子どもの私的論理・退行したときの私的論理、など、ライフスタイルの大きな筋を見つけることに入ります。
そして、クライエントさんが今どれを使っているかなどのシェアリングを行います。

先日のカウンセリング講座では、このあと
初めて、上の作業で発見された私的論理から
劣等の位置、優越の位置を発見するところまでを行いました。
これも先ほどと同じメンバーで、KJ法を使って行いました。

使える材料は、クライエントさんの早期回想と
それまでの作業で明らかになった、詳細なクライエントさんの
「感情(I feel ~)」と「思考(~ because)」の流れです。
そこから劣等の位置(I am ~, People are ~, World is ~)をゲッシングすることは
チューリッヒ・シートのシートBからCに進むところと同じですから、
理論的に可能です。

そして劣等の位置が明らかになったら、
そこから論理的に考えて導き出される、
たったひとつのクライエントさんの優越の位置を探しました。

ここはむずかしかった!
やはり論理的な力もですが、
文学的なセンスも足りないのでしょうね。。。(>_<)
こちらのライフスタイルが出てしまったり、
近いところまでいっても、ピンポイントでなかったりで。

でも最後には、まさにメンバーみんなの力で
クライエントさんの納得する優越の位置(I should ~)が見つかりました。
それは私たちから見ても、ほんとにそうね!って思えるもので
とても嬉しかったです♪

私がおもしろかったのは、
理論として学んでいたライフスタイル分析の
どの部分がどのようにアプローチワークの中で使われているか
今回初めて納得できたように感じられたからです。
ワーク全体の見取り図が、一瞬にしろ私にも見えた、と思えたのです。

また全体としてひとつの大きな構造を成しているワークなので、
切り取って使うのはもったいないとも感じました。

自助グループの中でやるには
時間がかかってしまうことや
グループとしての動機がどの程度あるかなど
いくらか条件があると思いますが、
可能性がないことはないなと、ちょっとワクワクしています。

最後になりましたが、グループを組ませていただき
クライエントさんの私的世界を一緒に旅させていただいたみなさま、
とても楽しく、リラックスして過ごさせていただきました。
どうもありがとうございました!

感情は燃料

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パセージに、「感情には2つの目的がある」とあります。
感情を相手に向かって使うことがひとつ、
もうひとつは、感情を自分に向かって使うこと。

このうち、「感情を相手に向かって使う」というのは、
いくらでも例を思いつけるほどよくわかります(-_-;)。
が、パセージリーダーもしていて今さらこんなこと言うのもなんですが、
「感情を自分に向かって使う」というほうは、頭で理解はできるのですが、
自分にあてはめて、引き寄せて考えることがうまくできず、
いまいちよくわからないでいました。

でも、この前あるできごとがあって
(まあ、ガラスが割れてるのを見ただけなんですけどね)
そのときに自分の抱いた感情が、けっこうドキドキして、「こわい」
というものだったことから、気がついたことがあります。

こわいなあ。何が起こったんだろう。(恐怖)
割った人はひどい怪我をしなかっただろうか。(恐怖)
私や他の人も怪我をしてしまわないだろうか。(不安)
 → だから一刻も早く片づけよう。お手伝いしよう。

行動に至るまでの私のロジックは、
協力し貢献しよう、という共同体感覚に根ざしたものではなくて・・・
(ガラスじゃなかったらお手伝いしなかったかも、です)
どうやら、ベースに「不安」という感情があるみたいです。

あるいは、

この仕事をうまく仕上げられなかったらどうしよう。(不安)
期日までにできなかったらどうしよう。(不安)
みんなの前で失敗してしまったらどうしよう。(不安)
 → だから、がんばろう。努力しよう。完璧に仕上げよう。

私にとって、達成することや完璧に仕上げることが大事なのじゃなくて
どうも、自分の不安感を取り除くことが目的のようです。
こんなときはマイナス感情に駆り立てられてやっているので、
仕事にしても勉強にしても、あまり楽しめません。

不安が、いつも私をドライブしています!
車を回すコマネズミのようなものです。

Eva Dreikurs Fergason の 通称 Yellow Book という本に
"Emotions can be said to provide fuel for actions...."
「感情は、行動に燃料を与えていると言えます」
という簡潔な一文があって
なるほどなぁ!と思ったのでした。

だっていつだって
お尻に火がつかないとやらないし。
追い込まれてやっと、底力を出すし。
不安をエネルギーにして動いてたのですね!

実は、長いこと
自分で自分のことを「怒りんぼ」だと思っていたのですが
むしろ「怖がり」だったのかもしれません!
カミングアウトです~

雷とか、スリルのあることが大好きで
エキサイトメント・シーカー(興奮を追い求めるタイプ)ではあるのですが
要するにこれも、劣等感の補償なのかも!
ほんとうに興奮の渦中に入っていくのより
安全な場所から眺めているのが好きだし。。。

パセージテキストの一節は、おかげで納得できましたが、
いろんなことが見えてしまって、
バカなことやっているなあ~と、恥ずかしいかぎりです(=_=)

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