2009年4月アーカイブ

会うべき人に会う

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娘が、結婚式の前撮り写真を撮るので見に来て~
と誘ってくれたので、鳥取に行ってきました。
結婚式には出席しない私のために
白無垢とウェディングドレスの花嫁姿を見せてあげよう
という親心(ちがう!子ども心)から、呼んでくれたのです。

金曜の夜に鳥取に着いて、食事のあと新居に寄せてもらったのはもう真夜中。
あいにく急用ができたため、日曜の朝には発たねばならなかったのですが
それまでの正味一日半、冬のような荒天にもかかわらず、
会うべき人のすべてにお会いすることができたように思います。

土曜日、午前中いっぱいかけて、娘(とお婿さん)が変身してくのをたっぷりと眺め、
緊張したふたりの写真撮影を見物させてもらいました(^_^)v

以前ここにも書きましたが、娘は鳥取市内の神社で巫女のアルバイトをしています。
結婚式は、実はそのアルバイト先の神社でやっていただくことになっています。
披露宴も、神社に隣接した会場で行います。
ですので花嫁衣装の着付けやメイクをしてくださる方々、
写真屋さん、打ち合わせの方々、みな、娘がともに働いてきたお仲間たちで、
ほんとうに心から祝ってくださっていました。
4年前、たったひとりでこの土地に暮らし始めた娘は、
ご縁を得たそれらの人々に囲まれ、祝ってもらっているのです。

午後、車で出雲そばを食べに出かけました。
少し離れた駐車場までのあいだ、本屋を冷やかしたり
古い商店街をぐるっと回って楽しんだり
公衆トイレを借りたりしながら歩いていると

なんという偶然でしょう!
横断歩道で信号を待っておられた娘の卒論の指導教授に、
ばったりとお会いすることができました。
今年度いっぱい、娘はこの先生の研究室でお手伝いをすることにもなっています。

思いがけず、母として、
今まで娘を導いてくださったことへの感謝をお伝えし
これからの娘をまたどうぞよろしくとお願いすることができました。


土曜日は仏滅で神社が閉まっていたのですが、どうしても心残りだったので、
日曜の朝、高速バスに乗るまでのわずかの時間に、もう一度神社に行ってみました。

ご祈祷がはいっていて間に合わないかと思われたのですが
これまたうまいぐあいに少し時間がずれて早く終わり、
禰宜の先生にお会いすることができました。
これまで娘をかわいがってくださったご厚情に感謝し
また今後ともよろしくとお願い申し上げました。

もう親としてできることって、
感謝の言葉と今後ともよろしく、しかないんだなぁ・・・
とつくづく思いました。

「お母さん、せっかくですから本殿をご覧になりますか?」
と言っていただいたので、ご本殿に案内していただきました。
出雲大社の分院ですので
「幸魂奇魂守り給へ幸へ給へ(さきみたまくしみたままもりたまへさきはへたまへ)」
と大きく書いてあるのを拝見し、背中がぞくぞくしました。
この地で娘を守り導いてくださる神さまにも、お会いできたと強く感じました。

この天地の恩。
衆生の恩。
師の恩。
それぞれにお会いして、ご挨拶することができ
来てよかった・・・と心から思いました。

湖上にて

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こころがしずまり
マインドがおしゃべりをやめ
ただ、風や光や音を感じていると

突然、まるで3Dの絵を見るように、
背景から一本一本の木が浮き出てきて
木が、葉が、花が、生き生きと立ちあらわれてくることがあります。
それはほんとうに、「立ちあらわれて」くるのです。

私の場合は、まず景色が変貌し
やがて木の葉のそよぎ、小鳥のさえずり、風の音、
すべてがくっきりと聞こえはじめ
もう少しで、それぞれが話しかけてくることが聴き取れそうに思えてきます。

多かれ少なかれ、そんな経験は、皆あるのではないかと思いますが、
そういうとき、私はその瞬間を残しておこうと欲をだし、写真を撮ります。
残念ながら、写真にその感覚を写しとれたことはついぞありません・・・
ただ、その美しい「とき」を思い出すよすがになるだけです。

biwako3.jpg

でも
世界はおだやかな日ばかりではありません。
美しい季節、美しい風景に出遭えれば、誰だって
世界に組み込まれている、って感じることができるでしょう。
それ以外のとき、はたして私はどんなこころで生きているでしょうか。

そんなことを考えていると、
和尚ラジニーシの本にこんなことが書いてありました。

すべてあなた次第だ。地獄は地図の上のものではない。それは心の中のものだ。
天国も同じだ。あなたが地獄を創り出して、あなたが天国を創り出す。
それは未来の話でもない。いまここで
ある者は天国におり、ある者は地獄にいる。友だちのように並んで座っている。
いま私は天国にいる。私の天国においでと私が誘い、あなたがイエスと答える。
それがサニヤシンになるということだ。   from THE WHITE LOTUS

そう、私たちはどんな状況にいようとも
その与えられた状況を天国にすることができます。
アドレリアンは行動することによって。
サニヤシンは目覚めることによって。

いつもこころしずかに生きておれたらいいけれど
凡人は、雨の日は雨の日、風の日は風の日の気分になります。
せめて波の静かな日に漕ぎ出して
目覚めていることの練習をいたしましょう。

英文ブログ

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以前から英語上達の道として「英作文」を奨励されていましたが
忙しいからとお茶を濁していました。
が、ちかごろとみに圧力を感じ、
私も小さな英文ブログを始めることにあいなりました。

mixi に書いていく、という手もあるのですが
mixi では自分でデザインができないでしょう。
あれがちょっとイヤなんです。

で、ワガママ(=ego-centric)な私は
大きなJ先生に英語版のMT-4をダウンロードしていただいて
好きな写真を使い、気に入った絵を奪い(^^;)
ようやく満足のいくデザインに仕上がりました。

お気に入りの日記帳が手にはいると書く意欲も上がるというものです。
ねっ。


『アルフレートな日々』を書き始めて3年目になりますが、
ここで文を書くとき、やはり私は、いつも何かを伝えようとしているなと思います。
私的に日記を書くのと全然意味が違って、読者を意識していますし、
書いているうちに考えが進んで、最終的には何歩か私自身が前進して書き終わる。
そしてその過程や結果を読んでいる方たちに少しでも共有してもらえるように書きたい。
と思っています。

でも、日本語ですら週に1回書けていないのですから、
同じようにしていたら、英語ではぜったいに続きません!

ですのであんまり難しいことは考えないで、
英語ブログには、ほんとにちょっとしたおしゃべり、
家族や恋人がいたら、晩ご飯のときに「ねえ聞いて、今日こんなことがあったのよ~」
というぐらいの短い雑文を、気軽にあげていくことにしました。

もしもご興味があればのぞいてみてください。
ともかく継続することを目的にしていますので
お読みになってもたいして面白くないとは思いますが、
・・・なぁんだ、こんな英語でもICASSIや国際学会がなんとかなるんだ・・
って思ってもらえるとしたら、
つたない英文を公開することも、ちょっとは貢献になるんじゃないかな?(^_^)v

タイトルは" A Red Bird's Chat" といいます。
アドレスは http://jalsha.cside8.com/ayako です。
なぜ red bird かって?
それは中に書いてありますので、読んでみてのお楽しみ♪

雨中の桜

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披露宴は
長男さんのお嫁さんのお披露目ということもあり
ご招待した集落のほとんど全てのお家の方がご出席くださったようで、
しかも、鳥取の式は遠いからと、親類縁者の方々もこちらにいらっしゃったので
新郎側のお客さんばかりなのに、盛大なものになりました。

式ではないので何を着てもよかったのですが、
娘は、私のむかしの振り袖を着たいと言い、
それに合わせて、あちらのお母さんと私は訪問着を着ることになりました。


miho.JPGどの着物もそうですが
振り袖にもほんの2,3度しか袖を通していません。
うすい桜色におとなしい古典柄の花を散りばめた本振り袖です。
元夫の家に若いときの着物は全部置いてきたので
大阪の今の家に、振り袖と小物一式を娘に持ってこさせ、
先日、きれいにアイロンをあてて皺をのばして準備しました。
むかしの着物を娘といっしょに手入れするのも、
またとても楽しい作業でした。

私の両親が心を込めて私のために用意してくれた着物は、
いまある程度目が肥えてから見ても良いものだと思います。
娘に嫁入り道具を揃える立場になく、またその余裕もない私ですが
こうやって恥ずかしくない着物を着せてあげられるのは、
ほんとうに嬉しいことです。
あらためて父と母にしてもらったことを、ありがたく思いました。

不調法なのでお酌は不得手ですが、
ともかくあちらのお母さんのあとについて歩き回り、
ご挨拶以外は何もしゃべらず、
にこにこと控えめに、花嫁の母親役に徹しました。

途中からカラオケが始まり、これにはびっくりしましたが、恒例のことのようです。
それが延々、延々!、延々!!と、続きました。
なにせ新郎のお父さんも数曲歌われましたし
トリは新郎でしたからね。
これは文化なんでしょうね。

3時間近くの演歌の洪水はかなりきつかったですが
ミッションを思い出し、最後までニコニコと笑顔で過ごしました。
娘も私もがんばりましたぁ~!(^_^)v

そんな中、
隣にすわったお母さんが「お魚は好きですか?」という話の流れで、ふと
「明石の魚棚にお母さんと行ったと美穂さんが話していました」とおっしゃり、
それがどういうわけか私のツボに入って、泣きそうになりました。

年末ちょっと奮発して、お正月用のタイやブリを買うために
小学生だった娘と息子といっしょに
明石の魚の棚まで行ったことが1,2度あったと思います。
目当てのお魚を買ったあと、生きているタコを見て驚いたり、
タコ入りかまぼこを珍しがったり、明石焼きを食べたりしました。
そんなにたいしたことではない日常のイベントなのに
ああ、娘の記憶には残っているんだな。
そしてそれは、きっといい思い出だったんだ。

家族。母親。お正月の支度。買い物。
娘はそこから何を感じ、何を学んだのだろう。
なんでそのことを考えると、涙腺がこんなにゆるんでくるんだろう。。。


宴のあとは雨になっていました。
あちらのおうちにいったん車で帰って、着替えて、
また車で高速バスのターミナルまで送っていただきました。

妹さんが、まだ時間があるから、と、
ご兄弟が小さいころによく登った山が見えるという公園を、ぐるっと回ってくださいました。
もう二度と会わないかも知れない私なのに
少しでも彼ら家族の文化を伝えようとしてくださっているのだなと感じました。
いい方たちです。
娘は、たとえいっしょに住まなくても、
この文化にとけ込んで暮らしていかなくてはなりません。

大学を受験したときからこの流れが決まっていたとすると、
娘は、この結婚・この土地やこの家族とのお付き合いの中で
子どもからおとなに成長していくことが定まっているのでしょう。
前の結婚で私にはついに解けなかった課題でしたが、
娘は果敢に挑戦していくのでしょう。

夕暮れの雨の中にすっくと立つ桜は、この上なくきれいでした。
大阪に帰ったら明日か明後日に
ひとりでお花見をしようと心に決めました。

流れの行き先

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さて新郎の運転する車で
バス停から彼のご両親の待つお家に向かいました。

こういう場合のご挨拶の言葉は、大きなJ先生に教えていただき、
しかも何度か練習もしましたので、おかげさまで語尾まで正しく言えました(^_^)v

神棚と曹洞宗のお仏壇のあるお家なので
神さまへのおみやげと仏さまへのおみやげもお供えさせていただき、
それぞれにご挨拶をいたしました。

この神さまと仏さまに、これから娘は守っていただくのです。
娘がこのお家に住むことがあるかどうかは分かりませんが、
お墓はこちらに入らせていただくことになるでしょう。
それが結婚ということですから。

ご両親はとてもいい方たちで、
娘のことを心から可愛がってくださっているのがわかり、
また何から何まで心配りをしてくださり、ほんとうに有り難かったです。

どんな縁談もぜんぶ断っていたという彼が
ついに決めたお嫁さんがこんな若い世間知らずの娘だったのですから、
みなさん喜んでおられるのか呆れておられるのか、
「お母さん、びっくりされたでしょう」と何度も言われました。
(いや、そちらこそびっくりされたことでしょう)(^^;)

彼は4人きょうだいの長男さんなので、ご兄弟たちにもお会いしました。
とても仲の良いいいご家族です。
これから娘は年若いながらも「あんちゃん」のお嫁さん、お義姉さんになるのです。


夜、市内のホテルにツインを取っていただいていたので
娘とふたりきりで一晩過ごすことができました。
こういうご配慮も、とてもありがたかったです。

ちょうど4年前、娘が大学を受験した日に、
ふたりで倉吉の駅前のホテルに泊まったことを思い出しました。
まだ寒い季節で、夜のあいだに雪が降り積もっていました。

今日は香川のホテルの一室ですが、
あの日から今日に至るまでの4年の歳月、
実は、私たちには分からなかっただけで、
流れは、ずっと同じ方向に流れていたのですね。

縁あって鳥取の大学を受験したおかげで
娘は鳥取にひとりで住むことになり、
この彼と出会い、これからも住み続けることになります。

彼にしても、香川で生まれ育って北海道の大学に進み、
上の先生の引きで鳥取に赴任して10数年です。
神戸から来た小生意気な女の子につかまるとは、思ってもいなかったでしょう(*_*)

生まれたての娘はゲップをするのが下手で
背中をとんとんしてもお乳をだらっと出してしまっていました。
私も、初めての子なので抱っこがうまくできなくて
産院にいる間は肩が凝って困ったものでした。
そのうちひょい、と抱っこできるようになったけど。
髪の毛が多いので、三つ編みすると太い綱みたいになってしまうので
幼稚園から2年生ぐらいまで毎朝、
きっちり編み込みにしてあげていたね。
たのしかったね。

花嫁の母

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そもそも離婚をしたときに、子どもたちに
「お父さんとお母さんは離婚するので夫婦であることはやめるけれども、
あなたたちの親であることに変わりはない。
これからもいつでもあなたたちの相談にのるし、
必要なときは、ふたりで協力してことにあたりますよ」と伝えていました。
この約束を守って、私は動いてきたつもりです。

このたび鳥取で結婚式をあげるにあたり、
娘は私にも出席してほしかったようでしたが
元夫は、おじいちゃんおばあちゃんにも出席してもらうのだからそれはむずかしい
と言ったようです。
それは話がちがうじゃないか、と娘は抵抗したようでしたが
「冠婚葬祭を共にしない」というのが離婚の定義なので、私は納得しています。

そういう事情をすべてご存知の上で、
彼のご実家は私を香川での披露宴の方に呼んでくださいました。

披露宴は、その土地のしきたりで
近隣の集落の方々をお呼びして花嫁をお披露目するものだそうです。
お祝い事がある家は、必ず行わねばならないもので、
そこには、花嫁側では母親だけが呼ばれて出席します。

「母でございます。ふつつかな娘ですがどうぞよろしくお願い申し上げます」とご挨拶して
出席者のみなさんにお酌して回るのが、花嫁の母のお仕事のようです。
花嫁の父は、「むしろ来ていただかないほうがいい」のだそうです。

そういうわけで、私は、披露宴では今現在の名前を隠し
「花嫁のご生母」という名札を胸につけ(たつもりで)ミッションを完遂すべく、
4月3日金曜日、仕事を休んで高速バスに乗りこみました。


ときは、春。
車窓から眺める四国の山野はうららかで
大阪よりいくらか暖かいのでしょうか、桜が満開に近づいていました。

娘の結婚

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大学を卒業したばかりの娘が
このたび結婚いたしました。

お相手は、娘の通っていた大学の同じ学部の先生。
18歳だか年上です。
おお、すきゃんだるぅ~!

娘が現役の学生を終了するのを待ちかねて入籍しましたが
あの先生とあの子が!ということで
いま大学内は、上へ下への大騒ぎとなっているもようです。

お付き合いを始めたのは2年ほど前の春だったようです。
私は電話で打ち明けられてびっくりしたものの
娘が考えた末に選ぶことなら、任せようと思いました。

その直後の6月ごろに彼が会いに出て来てくれて、
この人なら大丈夫!と安心することができました。

しかし、こうして無事結婚にこぎつけるまでは、長い道のりでありました。
ふたりの気持ちはずっとラブラブだったんですけどね・・・

先生と学生の恋愛というのは
まぁよくある話といえばよくある話ではありますが
彼の上司の先生方や大学側にとって、好ましいことではありません。

ふたりとも最初は、こっそり入籍だけするとか、
式をするにしても親戚だけでひっそりと、などと言っていましたが

彼の将来を考えると(それはつまり娘の経済的安定にも繋がるのですが)
できるだけ学内で噂にならないように注意して
しかるべき筋にはちゃんと真剣であることを伝えて
みなさんに祝っていただけるようにアレンジすることが
ふたりのために最良のことだと思いました。

折に触れ娘と話をしてこちらの考えを伝え、ようやく、
彼の上司にお仲人をお願いして、彼らのこれから住む土地で、
先生方も友だちもお呼びして、みなさんに祝ってもらって
きちんと式を挙げることとあいなりました(^o^)

ここまで2年間、ふたりは人目を忍ぶ恋をして
デートも隠密に、学内ですれ違っても素知らぬふり、
よくぞ持ち堪えたものだと思います。

入籍は4月1日、エイプリル・フールの日。
鳥取での挙式は5月24日。
その前に、彼の実家のある四国は香川の某所で
4月4日、披露宴がありました。
その宴に、母親である私が出席することになったのです。

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