2009年12月アーカイブ

2009年

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omihachiman1.JPG今年はいろんなことがありました。
あっという間に一年が過ぎた気がします。

アドラー心理学の活動からいうと
スピリチュアル・ワーク@周参見で始まって
スピリチュアル・ワーク@琵琶湖で終わるという
おめでたい一年でした。
どちらも野田事務所主催でしたので
会場の手配、集客、受付、当日のお世話など
試行錯誤しながらさせていただきました。

お仕事は、させていただいたぶんだけ、得るものがあります。
ありがたいことです。

また7月からいきなり「特殊講義と演習」が始まったので、
こちらのほうの会場取り、集客、受付が加わって
事務仕事は倍増しました・・・

10月と11月は、ヨランタとナラの滞日。
日々の連絡やお世話に加えて
私も2週にいちどは、お泊まりで出歩きました。
高野山、高知総会、練成講座、四国遍路。。。
ほんとにめまぐるしく、忙しい日々でした。

でも、海外のアドレリアンと親しく交わることで
得たものははかりしれません。
ひとことで言うと、それは、
私のアイデンティティを知る、またとない体験でした。

違いを知りながらそれを認め、自分の位置を確認する。
私というものを知り、
私の所属する文化を知り、
私の依って立つところの国を知る。
そして、国や文化への態度決定をしなければいけないことも、学びました。


家族のことでは
今年は1月に兄が病を得て、7ヶ月の入院生活のあと、現在は復職しています。
入院中の兄とは、毎日メールのやりとりをしました。

母は4月に、父は10月に、それぞれ高熱を発して入院しました。
点滴や投薬で、さいわいすぐによくなりましたが、
ふたりとももう高齢ですし、これまでのように
呑気な末っ子のままでは、私はもういられないのかもしれません。

そう思うと、この年末、家族が元気で、みな家で年を越せることは
ほんとうにありがたいことです。

娘は結婚しましたし
息子は成人しました。
家族は移りゆきます。


スピリチュアル・ワークで瞑想中に気づいたこと。
人はみな、各自、個性的なエネルギーをもっています。
それは、人と分かち合うために、与えられているのです。

私の力を、人と分かち合おう。
それは言葉を出すこととは限らなくて
ただ微笑むだけかもしれないし
黙って誰かのそばにいるだけのことかもしれません。
ただ、世界からのエネルギーを通すパイプになっていよう。
なんてシンプルなんでしょう!

来年も忙しくなりそうです。
私を使っていただけるということはありがたいことなので
やってくるお仕事にはYes!と言い続けるつもりです。

2010年も、どうぞよろしくお願いいたします。

Māra Zālīte

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zalite.jpgラトヴィアの国民的詩人。
独立前の「民族の目覚め」の時期に
国民に多大な影響を与えました。
ミュージカルやオペラも書いているようです。

英訳されたアンソロジー
"Sun Stroke in the Dark"
という詩集を、ヨランタが置いていってくれました。

まだラトヴィアとヨランタのこと?
と思われるかもしれませんね。
次の秋に招待するアドレリアンも、もう決まったというのに。

でも私としては、次のプロジェクトに邁進する前に
この秋に体験したことを、できるだけ言葉にしておきたいと思います。
そうしないと、こぼれ落ちてどこかに紛れてしまいそうで。
ですから、もうしばらくだけ、おつきあいください。

それに、彼女たちが来日するまでは、ラトヴィアのことをほとんど学んでいなくて、
おそまきながら今頃になってやっと
かの国の歴史を学び始めたという事情もあります。

・・・・・
歴史のテストは気が遠くなるぅ~、とナラが言っていたぐらい、
ラトヴィアを含むバルト三国の歴史は複雑に込み入っていて
とても覚えきれないし、うまく説明もできません。

歴史って、1,2行の簡単な記述の背後に
数え切れない怒りや悲しみが、血や涙が、流れているんですね。
その時代を生きた人々にとっては
ひとつひとつがレポートではない、
すべてが生々しいエピソードです。

とても他の者が語れるものではないと思います。


日本でヨランタやナラと知り合われたアドレリアンの多くがそうだったと思うのですが
あらかじめ、特に勉強はなさらず、
心理療法士だとか中学生だとか、北東ヨーロッパから来たとかいうこと以外は
あまり先入観をもたずに、まずは直感的にお会いになったことと思います。
そして一生懸命に話を聞いてくれる大きな目だとか
問いかけたことに恥ずかしそうに答えてくれるかわいらしさとか
そんな生の情報から、彼女たちを理解していったと思うのです。

私も、じかにその人から、話を聞かせてもらうのが好きです。
その国の物語や、歌や、生活を、その人の言葉で教えてもらって
そして驚いたり面白がったりするのが好きです。

それで客観的な事実を学ぶのは、後回しになってしまったのですが、
おかげで、いま本を読むと、
いろんな場面で彼女たちから聞いた主観的な言葉の数々が
あらためて深いところで分かって、
生き生きとした意味を持ち始めたような気がします。

あの国の民族の歴史の流れを、本当に簡単にざっと知るには、
『物語バルト三国の歴史 エストニア・ラトヴィア・リトアニア』
(志摩園子著、中公新書)が、まだしも読みやすかったです。
近代における、さまざまな事件の年号を、
私はそのときのヨランタの年齢、ナラの年齢に照らして読んでみました。

zalite.gifたとえば独立宣言をしてもなお、
ソヴィエト兵が首都に攻め入り、テレビ塔を占拠したという流血の日、
同じ街で、ヨランタは20歳の学生として呼吸していたはずです。

こんな話を彼女から聞くことはありませんでした。
しかし、彼女のすべての言葉、すべての思いは、
このような個人体験の積み重ねの上にあったのだと思います。

女流詩人、マーラ・ザーリテの詩を紹介しましょう。
ソヴィエト支配下のラトヴィアで何がどう書かれたか。
英訳と、さらに拙訳をつけます・・・

The rowan tree has settled the shades,ナナカマドは陰を鎮め、
the birch at the window is sacred,窓辺の白樺は奇しく、
and you haveまだあなたは
not yet been stoned.石打たれてはいない。
  
But the nightingale prophesiesだがナイチンゲールは予言する
while singing --さえずりながらも --
the whiter the blossoms,咲く花の白ければ、
the blacker the berries.その実はさらに黒くなると。
  
  
  
Each night the castle mound burns夜ごと城山は燃える
at the horizon where the sun sets.日の沈むあの地平で
Never to be extinguishedその火が消されることはない
not even by monsoon rains.雨季の雨にも決して

詩とはまさに主観です。
かの国に起こった事象を知った上でこれらの言葉を読むと
ヨランタやナラや、
私の出会ったラトヴィア人、リトアニア人たちが
まるですぐそこに立ち現れ、語っているような気がします。

ラトヴィアに荷物を送る

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ヨランタたちの残していった少量のものに
ちょっとしたプレゼントやカードを添えて
リーガの彼女たちの家に宛て、荷物を送ることにしました。

彼女たちの帰国前に、何か思い出になるものをプレゼントしたいな~
とは思っていたのですけど
出会われた方みなさんが同じように思われるようで、
なんだか見るたびに荷物が増えていっているし

まあ、私はあとでゆっくり送ればいいかっ
プレゼント買いに行く時間もないし。。。と、後回しにしていたのです。

ところが
まあ、かの国に荷物を送る作業の大変なこと!
これほどとは思っていませんでした。

ヨーロッパ往復の飛行機では
一人当たり預けることのできる荷物の重量が、20kgまでと決まっています。
それで帰国前に、ヨランタたちがこちらで買った本などは
前もってリーガに送り返してしまおうということになりました。

あらかじめ、海外宛て小包の方法と種類を調べ、
荷物の重さと、値段と届くまでの日数などを考え、
EMS(国際スピード郵便)は高いので
SAL(エコノミー航空便)が reasonable かな?と相談していました。
残念ながら、彼女たちの荷造りの進度と、私の仕事の予定が合わなかったため、
ふたりは果敢にも自分たちだけで、近所の小さな郵便局に行きました。

そしてそこで
親切だけれども英語のあまり喋れない局員さん相手に
3時間!(@_@)!すったもんだした挙げ句、送れなかった。。。
という悲しい結末になったのです。

その荷物は、結局、もう少し大きな郵便局から、
野田先生が送ってくださいました。
「面倒だからSALはあきらめてEMSの方がいいよ」とも教えてもらいました。

さて、私。
ヨランタたちの苦闘した、近所の小さな郵便局に行きました。
いくらなんでも日本語だったら大丈夫でしょう。
段ボール箱をかかえて遠い郵便局に行くのはたいへんですし。
でも、その一手間を省いたことが間違いだったのかも。。。。。

「ラトヴィアですか。以前にここ宛てに送られたことはありますか?」
「いえ、私は初めてですが、知り合いは送っています」
「内容は、書いていただいていますね」

・・・局員さん、ずいぶん長いこと書類を調べておられます。
「あのですね、ここに書いてあるんですが、
『以下に掲げる物品以外の物品を包有する小包には、旧ソヴィエト連邦の海外通商省又は本邦にある旧ソヴィエト連邦の担当機関が発行する輸入許可書を添付しなければならない』とありまして、
お客さまティーバッグと書いておられるのですが、
『コーヒー、ココア、キクチサ?......2キログラム、茶......200グラムまで』
となっておりまして、茶はあるんですが、紅茶という項目はないんですよ。」
?????

向こうも自信がないのか、声が小さくなっています。
「それからですね、『帽子(ショールを含む)......種類ごとに1個』と書いてありまして
お客さま、これはスカーフ、ですか。スカーフは書かれていないんですが」
「(スカーフもショールも同じやろう!)送れないんですか?」
「いえ、決して送れないということではないですが・・・ここにこう書いてありますので。
むこうの税関で開封されるという可能性も、場合によっては没収ということもありえます」
「・・・でも、もし万一のことがあっても、荷物の追跡はできるんですよね?」
「できますが、むこうで何が起こっているかまではこちらでは・・・」
「じゃあどうすればいいんですか?」
「いや、せっかくのお荷物がそういうことになってしまいますと・・・」

「国際小包は規則が難しいように聞いたので、EMSにしたんですが」
「それがですね、EMSも、あくまで国際小包の規約の上ですので・・・」
「今までに送った人を知っているのですけど」
「それでちゃんと届きましたか?」
「そう聞いていますが」
「じゃあ大丈夫です。そうおっしゃるなら問題ありません」
(なにぃ!最初からそう言ってるやん)

はい、私、イライラしました(笑)
かなり強硬な姿勢を示して、ようやく受け取ってもらえました。
ヨランタたちが受け取ってもらえなかったのも無理ありません。
こちらがリスクを受け容れると言わない限り、引き受けようとしないんですもの。

邪推するに
日本の郵便局のもっているラトヴィアについての資料が
かなり古いままなのではないでしょうか。
ヨーロッパとの荷物のやりとりは、こんなに制限されているはずないと思います。

1990年にソ連から独立。といっても、さらに流血があり、
正式に独立を認められたのは、1991年9月です。
2004年(5年前から)EUに加盟。
さて日本のお役所の資料は、遠いかの国の状況をどこまでフォローできているのか。

私たちだって、ヨランタたちと知り合わなかったら、何も知らないままですが。
東欧
かの国の現実を
またひとつ学んだ気がしました。

しかしその古い資料を、局員さん日本語で杓子定規に読むんだから。
tea って「茶」でも「紅茶」でもいっしょやん!

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