人のせいにしたということ

| コメント(0)

上巻『昭和精神史』の「ガダルカナル戦詩集」にあったように
「よみの国」を渉るしか故郷に帰る道のないことを覚悟した人々がいました。

それはひょっとしたら、「国のため」とか「家族のため」とか
きれいに割り切れるような覚悟ではなかったかもしれません。
でも、こういう「物語」の一人として生きて死ぬということが
当時の社会に組み込まれ、所属するための方法だったのだと思います。

しかるに
戦時中に戦争を賛美する作品を書いたというかどで
戦後、批判された作家がたくさんいました。

たとえば私が中学生のとき大好きだった太宰治もそのひとりで、
戦中の彼の作品を否定した評論を読んで私は
あぁ戦争に賛成してはいけないな~と、
当たり前のことにように思ったものでした。

だけど、今は思います。
あの「物語」を全否定してしまったら、
その中で死んでいった人々は、いったいどうなるのでしょうか。
過去たしかにそれぞれの胸の内にあった「物語」を抹殺してしまったら
あとに何が残るというのでしょうか。

太宰は終戦から3年後、昭和23年11月に愛人と玉川に入水自殺しました。
この死を、この作家の終戦体験と結びつけて理解する視点すら
私は今までもつことができないでいました。

あの戦争をまたいで生きた人々への理解の仕方が、
なんだかまったく間違っていたように思います。
無意識のうちに、あの戦争を、見てはいけないもの、
見たくないものとして、まるで無視していたような気がするのです。

私の中で、あるいは大多数の日本人の中で、
歴史が断絶しています。
歴史の精神が、途絶えてしまっています。


終戦の詔勅と
そのあとの混乱。
占領軍による検閲と歴史の書き換え。
すなわち東京裁判史観の押しつけ
天皇の位置を温存しておくことによる、日本人の懐柔
アメリカ民主主義の美化。


とつぜん、電車の中で
考えがふってきたかのように
何が起こったのか、私にも理解できました。

日本人はあの戦争を、「人のせい」にしたのです。
占領軍のプロパガンダは、渡りに舟だったのです。

ずっと通史として昭和の初めからの日本人の考えのありようを読んでくると
戦争をやりたかったわけではないけれども
戦争をしなければどうにもならなかったのだということを
みなが理解していたことは明らかです。

ところが
国破れた日本人たちは、
あまりの国土の悲惨さに
多くの者を失ったあまりの悲しさに
憤りの念をどこにどうもっていけばよいのかわからず
これらをすべて
人のせいにしてしまったのだと思います。

あの戦争の責任はA級戦犯にこそある
兵隊さんたちは極悪非道な戦犯にだまされて死んだ
好戦的な日本の指導者が、無謀な戦争を始めたのだ
私たちは悪くない。だまされていたんだ。
あの戦争はまちがっていた、と。
・・・・・

夫や妻や子どもまでを失って、それでも生きていかなければならなかった人々は
やり場のない悲しみを、人のせいにせざるをえなかった。。。
それを思うとほんとうに哀しい。それでも、やはり
命を賭して亡くなっていった人たちと、共に紡いだはずの「物語」を
まったく違うお仕着せの「物語」に、書き換えてしまったのだ

・・・と気づいたとき、
自分自身の罪深さ
いえ、日本人全体の罪深さに震える思いがして
私は電車の中でしばらく瞑目しました。


死んだ人々は黙して語りません。

あの終戦の瞬間を体験した世代の人々も、
語らないけれども
何かずっと深いところでだまされ続けていることを
でももうむしろ、深く考えることを放棄して
だまされたまま、それにのって生きること選んでしまったことを
感じておられるのではないでしょうか。

私は父母の世代の人々の哀しい心持ちを
責める気持ちもないし、えぐるつもりもありません。

しかし私たちと次の世代の者たちまで、
気づかないふりをして、
間違った物語の中に生きることは許されないと思います。

コメントする

このブログ記事について

このページは、ayakoが2010年3月 6日 21:36に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「やっと読了」です。

次のブログ記事は「ぼろんぼろん」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。