2010年5月アーカイブ

断捨離

| コメント(0)

dansyari.jpgあのー「断捨離」って知ってますか?
もともとは、心の執着を手放す「断捨離行」というものだそうです。

「断」入ってくるいらない物を断つ
「捨」ガラクタを捨てる
「離」物への執着心から離れる

実は1ヶ月ほど前から、特に「捨行」にはまっていました。
ようやく今日、ほぼ一通り終わったかな?

私は今まで、物をある場所から別の場所に移して、
それで片づけ終了~と満足していたことが多いのですけど、
断捨離はそうではなくて、
執着を断ち、物を捨て、離れることを勧めています。
ある意味、瞑想です。

もともと私は、自分ではあまり物を持たないほうだと思っておりました。
ひとり住まいですし、引っ越しも繰り返していますから。
でも、ひとつひとつ、物と向き合って、
今これは本当に私に必要なのかな?って問いかけてみると
まだまだあることに気がつきました、物への執着!

いちばんの魔窟(笑)は、
どこのお宅でもそうかもしれませんが、押し入れ・・・。
特に私の場合は、大量の書類が難物でした。
いつか役立つかもしれないと思ってアドラーネットをプリントアウトしたものとか
講演会でいただいたレジュメ、資料、文献のコピーとか。
何年お取り置きしていたら気がすむんでしょう?
ていうか、必要なときにそこから引っぱり出したことなんて、あったっけ?

というわけで、え~~い、破棄!
これだけでゴミ袋3つ分(@_@)

引っ越し以来ずっと開かずの段ボール箱の中身は、
離婚前の家から捨てきれずに運んだ、子どもたちの小さい頃の写真です。
ベストショットは本人たちのアルバムに貼りましたが、
そこに貼りきれなかった写真を、かきあつめて持って来たんです。
これぞ執着のかたまりのようなものですね。

目を閉じて静かに自分に尋ねてみました。これは私にとって必要か?
はい、これは、私の人生のある時期、20年間ほどの証しです。
今はそう必要でなくても、10年後、15年後に、おそらく私を癒やしてくれるでしょう。
大切に持っていましょう。
厳選した写真だけを、きれいにアルバムに貼って保存版としました。
残りは、破棄!

それから服~~
数年着ていない服は、さよならしちゃいましょう。
ゴミ袋4つ分~(@_@)

でも、笑わないでください。
結婚前に両親に買ってもらった服を、私はまだ持っているんです。
自分で買った安物の服は惜しげなく捨てられるんですけどね。
バーバリーのトレンチコート、30年ものですけど、まだ生地もしっかりしています。
しばらく迷いましたが、リフォームして再生させることにしました。
丈を今風に少し短くしたら、よいコートになるでしょう(^^)v
近所でお願いできるところも見つけました。
やっぱり良いものを、大切に使いたいなぁと、あらためて思います。

次は、本棚。
学会誌と文献は大切です!
好きな作家、美しい文章、感動した小説も、やっぱり私は捨てられません。
でも、もうお役目を果たしてくれた本もけっこうありまして、
まとめて古本屋さんに持っていったら、1100円で売れました。
ちょっとしたお小遣い♪
これからは、本も厳選して買いましょう。
読むときも、あとで売れるように大切に読みましょう~
端を折ったりしないでね。

書けなくなった筆記具
使わないハンカチ
いろんな試供品
捨てきれなかったリボンや紙袋
なんでこんなものを後生大事にためこんでいたんだろう
と、今は思えるんですけど、

「捨てる」は頭になくて、「ためる」が自動思考でしたね。
もらったものはもったいない、
使わないで捨てるのはわるい、みたいな。

でもね、置いていても使わなかったんですよ。
何年も何年も、きっとこれからも。
で、この際、破棄!

一度にではなく、引き出しひとつずつ、少しずつ断捨っていきました。
(ちなみに断捨離する人のことを「ダンシャリアン」というらしいです)
結局、1ヶ月かけてビニール袋10個以上出たのじゃないかな。
押し入れ、タンス、台所
ずいぶんすっきりしました\(^o^)/

押し入れ開けても、物が落ちてきません!
引き出しもすーっと開きます!
以前は、あれがないこれがないと探し回っていたのが
今は、すぐにホイっと取りだせます!
いや、以前は、まったくお恥ずかしいかぎりでしたわ(>_<)

さてこれからは、この状態をキープすることが肝要。
もう再び、こんなにゴミをためないように
この空間を維持して、ていねいに行持綿密に暮らしたいものです。

『昨日の世界』

| コメント(0)

シュテファン・ツヴァイク Stefan Zweig は1881年、
オーストリアのウィーンに生まれました。
『昨日の世界』は、ユダヤ人であるツヴァイクが、
1940年頃、亡命先のブラジルで書き上げた自伝でもあり、
彼の愛する黄金のヨーロッパへの墓碑銘でもあります。

われらがアドラー博士は1870年、ウィーンに生まれました。
ツヴァイクよりほぼ10歳年長ということになります。

第一次世界大戦以前のヨーロッパを、
ツヴァイクは「安定の世界」と呼びます。
ハプスブルク家の威光は翳りを見せていましたが
ウィーンはまだ、古き良き伝統を残すヨーロッパの中心でした。

裕福な家に生まれたツヴァイクは、学生時代から文学と音楽に耽溺し
ホフマンスタール、リルケ、ロマン・ロランらと親しく交わります。
リヒアルト・シュトラウスの美しき旋律の時代です。

ヨーロッパの幾つかの地方で戦争が起こっても
それがヨーロッパ全体を巻き込むほどの戦争になるなど、
人間はそんなに愚かではない、と
人々は、まだ自分たちの理性や道徳を信じていました。

こんな時代は、ツヴァイクは33歳、アドラーは44歳で
終焉を迎えます。
第一次世界大戦の勃発は1914年。
このとき、アドラーは既にフロイトと訣別し、個人心理学会を創設していました。

ヨーロッパの街路がそのまま戦場になったこの未曾有の戦争を
両者ともが、それぞれに間近に体験します。
富を誇ったオーストリア・ハンガリー帝国は戦勝国によって分断され、
農地も工場も失い、わずか4分の1の領土が残されました。
その結果、まずオーストリアが、のちにはドイツが、
激しいインフレーションに苦しむことになります。

人が人の理性を信じることのできた幸福な時代は、
もう二度と戻ってきませんでした。
人々は、自分たちが自滅するほど愚かだということを知ってしまったのです。
少なくとも、ヨーロッパの精神、ヨーロッパの知性を
ほぼ自分の存在意義として生きたツヴァイクにとっては。

adler.jpg私たちのよく知っているアドラーの活躍は、
しかし、ここから始まります。
1918年、「共同体感覚」の概念を唱え始め
1922年、ウィーンに最初の児童相談所を作ります。

当時のヨーロッパについて、
個人の視点からこれほど詳しく明晰に書かれた本を私は読んだことがなく、
この上下巻を読み通すことで、
まるで私もこの時代を生き抜いたような心持ちになるのですが、

このような激動の時代のさなかに
「共同体感覚」「個人の主体性」を唱え、
子どもを勇気づけて育てること、社会に有用な側面を育てることを唱えた
アドラーという人の偉大さに、感動せずにはおれません。

アドラーは各地で講義やカウンセリングを行い、夜はカフェ・シラーで語らい、
ベルリン、パリ、ロンドン、そしてオランダ、アメリカと講演旅行を行い、
しだいに拠点をアメリカに移していきました。

ツヴァイクにしても、第一次大戦のあとの10年間ほどは、
文学的な成功の極みだったようです。
彼はアドラーと違って、とても豊かな資産階級出身でしたし
本が飛ぶように売れ、世界的な名士となり、ザルツブルクの古城に住んでいました。
それだけに、ナチスの台頭とともに、彼の全ての本が焼かれ、
追われ、国籍を失い流浪の身になったことへの悲哀は大きかったかもしれません。

しかし、外国に逃れることもできなかった大多数のユダヤ人たちの辿った
本当に悲惨な運命については
ツヴァイクもアドラーも、ともに知ることなく亡くなりました。
私はそれは、彼らにとってせめてもの救いだったのではないかと思います。

アドラーは、1929年にコロンビア大学の客員教授、
1932年にはロングアイランド医科大学の学部長になります。
1935年には最終的にウィーンを引き払ってニューヨークに移り住み、
1937年春にスコットランドで客死するまで、ホテル暮らしを続けました。
アドラーは、迫ってくる危険を見るに敏で、
さらに愚かな次の大戦を人類が始めたことを、知らずにすみました。

ツヴァイクは・・・
1939年9月、イギリスがドイツへ宣戦布告した朝のことをこう書いています。

「この戦争後は万事がもう一度新しく始めることを意味せざるを得ない、ということを私は知っていた。なぜならば、私が四十年を通じて私の革新の全力を捧げた最も内奥の課題、すなわちヨーロッパの平和な統合という課題は、亡びてしまった。私が自分の死よりも恐れていたもの、万人に対する万人の闘いというものが、今や二度目にいましめを切って勃発した。そして全生涯を通じて、人間的なものと精神とにおける結合のために情熱的な努力を傾けている者は、いかなる時にもまして毀ち難い結合体を必要とするこの時において、この突然の孤立によって、自分が生涯においてこれまでなかったほど不用であり孤独であるのを感じたのであった。」 『昨日の世界Ⅱ』みすず書房

zweig.jpg1942年2月、ブラジルのペトロポリスという町に居をかまえていたツヴァイクは
絶望のうちに、2度目の妻と服毒自殺を遂げます。

「・・・友人たちが、長い夜の後になお曙光を目にすることができますように!私は、この性急すぎる男は、お先にまいります。」


日本の戦争について無知であることは
日本人としてたいへん恥ずべきことですが、
ヨーロッパの戦争についても、
同様に私は無知だったようです。
近代ヨーロッパの人と思想を、
さきの2度の大戦を知ることなしに語ることはできません。


訪れたことのある美しいヨーロッパの街々。
ウィーンもプラハも、まさに戦場となりました。
壁は銃で穿たれ、石畳は軍靴に踏まれ、川は血に染まったことでしょう。

歴史を知ること。
エピソードとして歴史の証言を聞くこと。
その重みを、少々暗い気持ちで、味わっています。

ふたたび、かささぎ座!

| コメント(0)

5月1日から3日まで、高知市内でかささぎ座がありました。
昨年にひきつづき、今年もまた参加してきました♪
ものすごく楽しかったし、
みなさんからたくさん学ばせていただきました!

今回は、前で行われるカウンセリングを見ながら
「クライエントさんの私的論理と私的意味づけを、できるだけ早い時期にみつける」
ということを自分に課してやってみました。

14ケース、全てやってみました~
もちろん当たっていませんけど(^o^;)
でも、パズルを解くみたいで、とってもおもしろかったです。

クライエントさんのお話しになるエピソードはひとつだけですから
私的意味づけ(劣等の位置と優越目標)まで出すには、少々データ不足です。
私は純粋な参加者でいるからこそ、気楽に~無責任に~
あれこれゲッシングを楽しむことができたのでした~。

監督をなさっている先生方は、さすがに!
ドラマに入る前に、もうするすると解いておられるので
ぐずぐず考えて見つけられないでいると、さきに答えを出されてしまいます。
だから、「感情は?思考は?」と考えているヒマはなくて
ただ直観でゲッシングしていました。

クライエントさんのちょっとした言葉の使い方
客席から見える、特徴的なからだの動き
監督さんの上手な質問で引き出されたキーワード
それらのものから、なんとなく出てきたあれこれを、
頭の中のマイナスとプラスの図に当てはめていきます。

これってクセになりそうにおもしろかったです・・・

途中のカンファレンスで総監督の出される代替案は、
いつも、一見、いやかなり、とんでもないものですが、
そのクライエントさんの私的論理をばっちり押さえた上で
それ以外にはもう有り得ない、今のその方に必要な missing piece
ただただ、感動でした。

戦術、戦闘技術、と総監督の補正項に書いてありましたが
その戦術の部分に、私は
一貫して注目していたことになるのかなと思います。

戦闘技術も、絢爛豪華で、マインドのお喋りを止めるために
ある言葉を唱えるとか叫ぶとか
からだの動きを全く変えてしまうとか
別のペルソナを引っぱり出すとか
さまざまに堪能させていただきましたが、

それらの技法も、「アドラー心理学」という戦術があってこそ。

本当に有効な心理療法って
やっぱりクライエントさんのライフスタイル
せめて私的論理
すなわち優越目標とそれに至るための愛用の方法
をつかんだ上でないと、ダメなんだ~!

ということが、あらためて今さらながら、分かったのでございますっm(_ _)m

お仕事になると、なかなか、こんなにリラックスして遊べないから
ライフスタイル診断むずかしい~苦しい~、になってしまうのですけど
本当はパズルみたいに楽しい作業なのかもしれません。
そして私って、ホントはこういう作業がけっこう好きなのかもしれません。
そんなふうに思えたことが、私にとっては
ものすごい収穫だったのです。

そして、アルフレート・アードラー先生からはじまって
ドライカース先生、シャルマン先生、野田先生と、
こうして伝わってきたアドラー心理学という財産を
五代目の弟子の不肖のひとりとして、機会を得て伝えていただいているということは、
本当にありがたいことだな~と、
感謝の思いがふつふつと湧きあがってくるのでした。

このアーカイブについて

このページには、2010年5月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2010年4月です。

次のアーカイブは2010年6月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。