2010年11月アーカイブ

ピンポンゲーム

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こうすけの生後1ヶ月健診および
娘の産後1ヶ月健診も終わり
腹帯をいただいた中山寺へのお礼参りも済ませ

先週末、娘の夫さんが迎えに来てくれて
3人は、元夫の家に2泊したのち、鳥取の家に帰っていきました。

まだ暑い頃に娘がやって来てから2ヶ月以上。
この間、いつもいつも仲の良いパセージ的親子関係を築けていたのなら
すばらしいアドレリアンなのですが

いやいや、なかなか。
私もピンポンゲームをやりました。。。

このお話は、先週のポンクラ後、ランチのときに、みなさんに聴いていただきました。
メンバーさんたちはエライ!
1回ピンポン効果の話を聴いただけで、そこから学んでおられるのですから!
ピンポンの話をお伝えした当の私が、派手にやってしまったのです~(-_-;)

先々週のことです。
仕事を終えて買い物をして7時ごろ帰宅すると、
娘は私のベッドでお昼寝中。こうすけもすやすや眠っていました。

私は、急いでお米をといで洗濯物を取り入れ、
そのうちにこうすけが泣き出したので娘も起きて、
晩ご飯の前にこうすけの授乳、その前に沐浴も済ませました。
沐浴は娘が入れ、お風呂場の後片づけと洗濯などは私がします。

ふだんは沐浴後におっぱいをもらうと眠ってしまうことが多く、
その間に、私たち2人は落ち着いて夕食をいただくのですが、
この日はどういうわけか「あばれんぼこうすけ」になって、大声で泣いて眠りません。
(こんな日もありますよね~)
娘は抱っこであやしながら、「おなかがすいたぁ~」と言います。
もう夜の9時になっていましたので
私が抱っこを交替して、娘に先に食べてもらうことにしました。

この日のメニューは中華です。ジャッと炒めて娘の分をお皿に盛って、
おみそ汁とご飯もよそって、抱っこを交替しました。

ところが娘は「ありがとう~いいのぉ~?ごめんね~」などと言いながら
何かごそごそ自分の荷物をさわっていて、なかなか食べに来ません。

私は出来立ての熱々の、おいしいところを食べてもらおうと思っていたのです。
こうすけをあやしながら、だんだんハラが立ってきました。
(ここに私の私的論理があります^^;)

いつまで待っても食べに来ないので(いや、冷静に考えると数分だったかも)
「早く食べなさいよ!」と、かなり迫力ある一言を発しました。。。!

とたんに娘はマイナスの位置に落ち、彼女の劣等感を補償し始めました。
「目ぐすり探してるだけやんか!(>_<)」と。

こ、この返事はないだろう!と、
私もどーんに劣等の位置に落ち
そこからはお決まりのピンポンゲームです。。。。。

結果として、おいしくいただけるはずだった食事は気まずいものになり・・・
娘のためにと腕をふるって作ったのに、台無しになってしまったのでした(T_T)

・・ああ、こうすけくんもごめんね。
抱っこされたままでさぞ怖かったでしょぅ?
(その間に寝ちゃったけど)

2ヶ月に1度のケンカでしたが
でもケンカはゼロがよいですぅ。

私の作ったご飯をおいしく食べてほしい、とか、
あるいは、帰宅してから大慌てで、ご飯のしたくや家事をすることは、
私の優越の位置 superiority かもしれません。

そうなんです。
お腹が空いたって言われたら、ぱぱっと用意して「おいしい~」と家族に言ってもらう
そんないいお母さんであるときだけ、私には価値がある。
家族を待たせたり、冷めたごはんを食べさせる私には価値がない。
と勝手に思っている、思っている。

だから、せっかく私のご飯をあとにして、こうすけを抱っこして「あげて」いるのに、
娘のご飯までさめてしまうのは、とっても悲しい inferiority だったんです。

でも、こんなふうに考えているなんて、言わなきゃ人にはわかりませんよね。
そもそも自分では当たり前すぎて、ほとんど意識できていませんもの。
My private logic に酔っていましたぁ~~m(>_<)m
どんなに正しく思えても、私的論理はフィクションなのに。

ほんとはお世話するのはイヤじゃないのに、
(それどころか、とっても楽しんで幸せいっぱいにやっているというのに!)
ピンポンゲームをしているうちに話がすり替わって、
日々の小さな不満を引っぱり出しては、娘に文句を言ってしまっていました。
(スマン!許せ。娘よ)

ポンクラのメンバーさんに、たくさん笑って聴いていただいたあと
「でもなんでこんなことするんやろう?」と問いかけていただいて、
その質問で、はっと分かりました。
「勝つためだわ~!」

お互いさまでありますが、
相手が反論できないような痛いところを探しては、そこを突くように、
自分が優位に立てるように、巧妙に玉を打ち合います。
長年親しんだ家族だからこそ、相手の弱みをよく知っています。
この時、このピンポンゲームの全貌が、本当にはっきりと見えました!(@_@)

いやぁ~バカですね(笑)

じゃあ、この優越目標への追求をやめて、平等の位置とは?

そんなに気負わなくてもいいんじゃないかな?
目ぐすり探してもいいじゃない。
それでご飯がさめてもいいじゃない。
それは自然の結末なんだから。

私はこうすけを抱っこしながら、
娘は冷めたご飯を食べながら、
なかなか泣きやまないね~って、仲良くおしゃべりしてたらよかったんだな。きっと。

話を聴いてくださったみなさん、どうもありがとうございました~(^o^)v

kosuke9.jpg

いまわが家は、誰もいなくなって、とてもがらんとしています。
この3ヶ月、まず息子と、それから娘と、そして最後は娘と孫との生活でした。
けっこう忙しくお仕事をしながら、
毎日の食事の世話をする、洗濯をする、家事をする、
そんな当たり前の生活感覚を取り戻すことができました。

息子との暮らしは、課題の分離、話し合いの大切さを教えてくれましたし、
娘とは久しぶりに権力闘争(ピンポン)をして、たっぷり学ばせてもらいました。

こうすけが生まれてからは、限られた私の力や時間の、
つまり私自身の使い方を、学ぶレッスンだったような気がします。
特にイヴォンヌ先生の日本滞在中は、
「先生のワークについて行きたい。もっと学びたい!」という欲と
「娘とこうすけのそばにいてお世話をしてあげたい!」という欲との
絶え間ない戦いでした(^^;)
ふたつの間で、たえず決断を迫られ
そのたびにいったん欲をはなれて、私のすべきことはどちらかと考えました。

いい修行でした~!

でもね、家にお世話する相手がいなくなると、私はとたんに生活が不規則になって
ご飯を作るのもおっくうになってしまいます。
つくづく、家族ってありがたいなあ~って思います。

草莽崛起

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デモに行ってきました。
人生初デモです。
美しいデモ日和でした~(^^)

中国の尖閣諸島侵略糾弾 全国国民統一行動 in 大阪
と野田先生の補正項に紹介してあった集会です。
政治はずっと避けてきましたが
この趣旨には賛成。
なま田母神将軍も見たいし
昼すぎに地下鉄に乗って出かけました。

demo4.jpg会場の公園に着くと、すでに大勢の人が集まっており、
主催者側の人々が演説をしていました。
演説を聞く3人に1人ぐらいは
日の丸を持って立っています。
日の丸の林立!
写真で見たことはあったけれど
なかなか美しいものでした。

集まっているのは普通の、
ほんとうに普通の人々。
いちばん多いのは、
少しクセのありそうな中年男性ですが、
若い男の子もいれば、若い女の子もいます。
夫婦も子ども連れも、
女同士、男同士、お年寄り、
豹柄のおばさん、地味なお姉さん、
腰の曲がったおばあさんさえも
大きな日章旗を掲げています。

チラシや新聞(もちろん大新聞ではありません)を配る人、
カンパを募る人たちは、とても丁寧です。

ところどころに日章旗や幟が何本も立てかけてあって
誰でも、それを持って歩けるようになっています。

tibet.jpgチベット国旗も置いてあるのが目につきました。
夕方の、こうすけのお風呂の時間に間に合うように帰らなきゃいけないけど、
それまではこれを持って歩こうと決めました。

チベット国旗を持って立っていると
となりにいた男性が、「ああこれがチベットの国旗ですか。初めてみました」と言っていました。
日の丸の中に5彩の国旗はよく映えました。

1時間半ほど、地元の議員さんや政治家さんたちの演説を聴いて
それから公園を出て歩き始めました。

シュプレヒコール!おーっ!
われわれは、チベットとウィグル自治区への中国の侵略を許さないぞ!
許さないぞー
われわれは、北朝鮮拉致被害者を見捨てないぞ!
見捨てないぞー

こんなことするつもりなかったのに
なんだか一緒になって声を出し、国旗を振っている自分がいました(^_^;)

でもね、ほんとうに危なくなっていると思うんですよ。
大新聞やテレビのニュースでは全く報道されていないけれど、
ねらわれているのは、尖閣諸島経由の南のルートだけではありません。
今また新潟市の中心部を切り取って、日本海側からも手がのびてきています。
北海道や三重県など、各地の水源地周辺の土地が
中国企業やダミー会社に、どんどん買い取られています。
気がつけば日本が寸断されていたら、どうなるのか。
そのとき、水源をおさえられていたら、どうなるのか。

今日集まっていた人たちはほとんどが、何か特別に政治的な人たちではありません。
私と同じように、ただ子どもや孫にしあわせに生きてほしいと願っているだけ。
そんなふうに感じました。

その目標のための
戦略は、日本の真の独立だと思います。
アメリカにも中国にも媚びない、日本の自立。
戦術は、尖閣諸島の防衛・中国の侵略阻止、などかな?
チベットやウィグル、台湾独立の援助などもあるでしょう。
このあたりまではいいんですけど。
そしてまた、ほとんどの人がまあ合意されると思うのですけど。

でも戦闘技術については、私はまだよくわからないでいますし、
人によって、おそらくさまざまに意見が分かれるのではないでしょうか。
そういう社会が、健全なのだとも思います。

「国会解散」とか「仙谷やめろ」とか言っている人もいたけど
それが目標(戦略)につながるのかどうか、私にはわからないなあ~。
政治って苦手なんだよなあ。

でも少なくとも、こうやって日の丸を掲げて御堂筋を行進すること自体が
中国への牽制になり、世の中の流れを少しでも変えることになると
そう思えばこそ参加しました。
目標に届くかどうかはわかりませんが、
目標に向かって私にできることのひとつではあります。

草莽崛起(そうもうくっき)とは、吉田松陰の言葉で
「名も無い草の根日本人に、護国の防人に立ち上がれと求めた」ものだそうです。
よい言葉ですね。

日本の国体も
アドラー心理学会も
いままさに、危機状態にあります。
ひとりひとりが自分にできることをしなければ、どちらも潰れてしまいます。
そうなる前に、草莽崛起です。

demo2.jpg

家族

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泣きやまないこうすけくんに
娘と私がよく歌ってあげる歌の中に、
私が息子に、小さいころ歌ってあげていたものがあります。

歌といえるかどうか微妙ですけど、
「なきむし(こうすけ)くん♪
 なきむし(こうすけ)くん、くん、くん♪
 なきむし(こうすけ)くん♪」(以下、延々と繰りかえし)
というもので、

「なきむし」の部分に、
「おこりんぼ」「おりこう」「かわいい」などを適宜いれることが可能です(笑)

これはけっこう威力がありまして、
ほぼ 60~70%の確率で、なきむし~~くんを泣きやませることができます(^_^)v

娘は息子と4歳違いですから、この歌をしっかり覚えていましたが、
先日、息子が来たとき娘がこうすけに歌ってあげながら、「覚えてる?」と聞くと、
おどろいたことに息子も「知ってる!なんか、それ、知ってる!」と言っていました。

赤ちゃんのときの記憶があるとは思えないし
少し大きくなってから、歌ってあげたことがあったのでしょうか。。。?


娘は授乳をしながら、こうすけが少し大きくなったときのことなど
さまざまに考えているようで
あるとき、こんなことを言ってきました。

おかあさん、幼稚園のとき、S子ちゃんと夕方遅くまで遊んでいて、
探しにきたおかあさんにすっごく怒られたことがあったね。
あのときあんまり怒られたので、私、泣いちゃったのを覚えているんだけど。

そのときはなんでこんなに怒られるんやろって思ったけど、
今考えたら、おかあさんのほうがずっと泣きたい気持ちで
その時間が、きっと私の泣いたのよりずっと長かったんだろうな~って思って。

・・・あのとき、どうだったんだっけ?

S子ちゃんのマンションの駐車場のすみで遊んでたの。
子どもが遊んじゃいけない場所で遊んでいるっていう感じはずっとあったのよ。
でもそれがすっごい楽しかったんだけど。

ああ、そうだった。S子ちゃんのおばちゃんといっしょに
あちこち探したんだけど、なかなか見つからなくてね、心配したんだ。
でも、そんなに怒らなくてもよかったのにね、ごめんね。

いや、こうすけが見つからなかったら
私ほんとに泣きたくなると思うわ。

大丈夫、そのときはアドラー心理学があるから。
ひとつひとつアドラーにかえって、クリアしていけるから。。。

自分が子どもをもつようになって、娘は
20年前の早期回想を思い出しているわけですが、
分析するのはやめておきましょう。
娘はいま自分で、物語の書き換えを行っているのですから。


息子は、この10月から、大学から1駅のところに部屋を借りて
ひとり暮らしを始めました。
眺めのよい小さなワンルームだそうです。

なんだかいつも飢えている様子なので、
お米を 5kg 送ってあげました。
先日来たときは、梅干しや、たまたまうちにあったサツマイモやキウイや、
古い座布団やトースターなどを、喜んで持って帰りました。

そういえば、私が結婚してから実家に行くと、
いつもたくさんの食べ物や雑貨を、母が持たせてくれたのを思い出しました。
あのときの母の気持ちが、いまになってとてもとてもよくわかって
ちょっと目頭が熱くなります。


いま私はつくづくと、「家族」というものの大切さを噛みしめています。
反抗し、世話になりっぱなしで好き勝手に生きてきた私が言うのもなんですけど

50年ほどのこの人生で
最初の24年をいっしょに暮らした父と母と兄。

そしてほんの15年と19年とだけ、いっしょに暮らした息子と娘。

でもこのふたつの家族の中で培ったものは、すべての私の力の源だと思います。

そして今度は、娘が、息子が、新しい家族を作っていく番です。
人は巡り、
川のように流れていきます。

生物学的目標追求

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kosuke5.jpgこうすけくんを見ていて思うのは
今の時期、とにもかくにも、おなかを満たすことと
排泄すること(大小とゲップ、しゃっくりを含む)に
全ての感覚が向いているんだ~っていうことです。

観察するに、彼は
おなかがすくと泣き、
おしっこが出ると泣き、
うんちをすると泣き、
ゲップが出ないと泣き、
しゃっくりが止まらないと泣きます。

これらの不快感が出ると、それを取り除いてあげるまでは、
どうやら抱っこしてもおさまらないようです。

彼が静かにしているのは、
おなかが満たされたときか、
お乳を吐く前の、(たぶん)気持ちの悪いときか、
それから、うんちをきばっている瞬間です。

考えてみれば、消化管に意識が集中するのは当たり前のことかもしれません。
人間は、毎日、口から栄養を摂取して、不用なものを排泄して生きています。
これが生きるということであり、成長していくということで
この作業がとどこおると、病気になりますものね。


娘のほうも授乳中なので、ものすごくおなかが空くようです。
うっかりすると、ご飯を3杯もおかわりしていますし
夜中の間にバナナが1本食べられてしまっていますし。。。(^^;)

ですからこのごろ私は、娘に与える食事のことを常に考えており・・・
娘のほうは、こうすけへの授乳時間や量のことを、常に、
ほとんどそれだけを考えて暮らしています。
これが、親になるということなのかもしれません。

kosuke3.jpg

生後3週間の小さな新生児くんを見ていると
彼の世界は、「母親の愛情」「声がけ」「ぬくもり」なんてものよりも前に、
要するに、おっぱいの満足と、排泄の不快感と、
消化管に関わることだけでできているのかもしれないな~と感じます。
で、これが、きっと生きることの本質なんだなあ、と。

子どもが大きくなるにしたがって
3度の食事からの栄養よりも、
家庭や学校や友だちとの関係とか、精神的な発達とか、
いわば、社会的動物としての人間の成長の方に目がいって
1個の生物としてのこの感覚を、忘れてしまっていた気がします。
(もちろんアドラー心理学を勉強しましたから、
社会的動物としての所属がとっても大事だってことも分かっているんですよ)

でも、
子どもの生命を育てるということを
なによりも優先させて
暮らす神聖さを。

そういう意味では、私は生物として、次の世代を育て、
今、娘がまた次の世代を育てるのを、お手伝いさせてもらえているんだなあ~
と、しみじみ感じるのでした。

こうすけ

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9月20日に、切迫早産の危険があるからとうちに転がり込んできた娘。
そのときお腹のこうすけくんは、2040gでした。
それからちょうど1ヶ月、3食私の作ったごはんから栄養をとって、
こうすけくんは10月20日に 3400gで産まれてきました。
ほんとうによく育ってくれました\(^。^)/

ベビーベッドはレンタルで、1ヶ月の間借りることにしました。
お布団類は、これからも使うので
ちょっとはりこんで、小さなふかふかの羽布団を買いました。
新生児用の肌着、ガーゼのハンカチ、新しいタオル、
小さな爪切り、おもちゃみたいなヘアブラシ。
すべて、楽しんで、こちらで準備しました。

新生児って、特別ですね~
こんなにも、たよりないものでしたっけ?
くたっとしていて
やわらかくて
あたたかくて
なんだかいい匂いがします・・・

今のところ、完全母乳なので
おもしろいことに、娘が夕食に牡蠣を食べると、
翌日のこうすけは、ほのかに磯のかおりがするようです。
娘が鯛の塩焼きを食べると、
翌日のこうすけは、鯛の塩焼きの匂いがします。
ハチミツを多めにとると、
こうすけは、フルーティな甘いかおりがします。

私は鯛の塩焼き味のこうすけが、特においしそうな気がします(^_^)


kosuke4.jpgこうすけくんがうちに来てから、
つまり家族が増えてから、お客さんも増えて、
うちはにぎやかになりました。

イヴォンヌ先生とハインツさんにも、見に来ていただきました。
イヴォンヌ先生は、こうすけにはりつきっぱなし、
髪をなでたり、手を握ったりして、とろけそうでした。
ずっと(当たり前ですが英語で)しゃべりかけてくださって
「Your first English lesson ! 」
ハインツさんは、こうすけの足の裏を触って
「Monkey reflex じゃよ!」とうれしそうでした。

神戸から、私の両親も訪ねて来てくれました。
こうすけの曾おじいちゃんと曾おばあちゃんです。
曾孫に会えるなんて、とてもとても幸せなことですね。

私にとっても・・・
縁あって子どもを授かったことだけでも幸運でしたが、
その子が健やかに成長して、結婚して、妊娠して、
こうやって健康な子どもを産んでくれるなんて・・・
ちょっとやそっとの幸運の重なりでは得られない幸せだと思います。

息子も遊びに来ました。
こうすけの叔父ちゃんです。
泣いているこうすけを見て、「大丈夫?どっか悪いんちがうか?」と
最初はおっかなびっくりでしたが、
しだいに大胆になって、ほっぺたをつついてみたり、
「ちいさな顔やなあ」と感心してみたり、
「お姉ちゃんが母親になってる」と驚いたりしていました。

娘の溺愛ぶりは、かなりのもので、
こうすけが可愛くてたまらないようすです。
真顔で「天使だと思う」と言います(爆)

鳥取で仕事をしている娘の旦那さんは、出産に間に合って来てくれて、
退院後も、週末に1度訪ねて来てくれました。
こちらも、初めての子どもに、もう夢中だったみたいです(^o^)
こうすけの足が大きいので
「日本の未来のためにしっかり歩いていくんだよ」と言い聞かせておられました~(^^)v

実際、すやすや眠るこうすけくんは天使のようでありますが、
彼の泣き声は人一倍大きくて
眉根を寄せたむずかしい表情は、まわりの大人を圧します。
「泣いているこうすけくんにはかなわない」的状態が、今わが家では進行中です(^^;)

kosuke8,.jpg

大津で

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大津の会場は、琵琶湖畔の小さなホテルです。
この系列のホテルは、
3月の沼津スピリチュアル・ワークで利用したことがあって
対応の良さとお料理のおいしさでとても印象が良かったんです。
今回も、期待通り親切に対応していただき
イヴォンヌ先生とハインツさんにも、満足していただけたようでした。

ただ予想していなかったのは、「クラブハウス」と呼ばれる会議室が
本物のヨットハーバーの「クラブハウス」だったこと。
窓の外にはヨットとボートが停泊しているゴージャスなロケーションですが、

急な金属の階段をカンカンカンと上った2階、
トタン屋根、網戸にはいくらかの蜘蛛の巣、という
まあ、上等の海の家という感じです。
室内は清潔でエアコンもありますし
コーヒーのサービスもあり、全く問題なかったのですが、
お膝の悪いイヴォンヌ先生に、
お食事のたびに階段を上り下りしていただくのが申し訳なかったです。

全国各地から来てくださった先生や保育士の方々が
食べきれないほどたくさんのお土産を持ってきてくださっていました。
「あのお菓子はどうやって用意したの?」とイヴォンヌ先生に聞かれたので
「みなさんがそれぞれに持ってきてくださったんですよ~」と言うと
おお~(@_@)とびっくりしておられました。

通訳について言えば、
野田先生の分担部分が私よりずっと多くて、ちょっと申し訳なかったです。
英語→日本語は、主にイヴォンヌ先生の講義の訳ですから、
アドラー心理学の専門用語やドイツ語の文献の名前が出てきて、
これはとても私にはできなかったことでした。
野田先生にお任せして本当に良かった~とほっとしたのでした。

イヴォンヌ先生がアドラー心理学の講義をされ
それを野田先生が正しくアドラー心理学用語で通訳される。
これって、ものすご~く得難い、貴重な機会だったのではないかと思います。
英語と日本語で交互に、たたき込むように講義を聴かせていただき、
私はしばし自分の仕事のことを忘れて、幸福に酔いました。

イヴォンヌ先生は、アドラー心理学の理論や技法のその前に、
アドラーの思想を、徹底的に私たちに教えてくださいます。
繰りかえし繰りかえし、勇気づけの大切さを
人が生きていくために所属と自己受容がどれだけ大切かを
さまざまな逸話を通して、emotional に伝えてくださいます。

ああ、ノートもあまり取れなかった、写真を撮るヒマもなかったことが口惜しいです。


今回のワークで素晴らしかったことは
何人か、とても積極的な先生や保育士さんが参加しておられたことです。
現場で生かせるように、ともかく何かゲットして帰ろうと、
納得いくまで、勇気を出して、繰りかえし質問を出してくださいました。
そのことによって、グループ全体の理解がどれだけ深まったことでしょう!

それらの方々のほんとうに真剣な質問を、
私はできる限りイヴォンヌ先生にお伝えしたつもりではありますが
どの程度お手伝いできたのか、心もとない限りです。。。

正直言って通訳という今回のお仕事は、
私の能力を越えたものだったと思います。

ですが、この初めての仕事、
人と人のコミニュケーションのお手伝いをする
人と人の文化に橋をかけるこの体験、
私は、意外なことに、緊張しながらも、とても楽しんでいました。

この人は一体どんなことを言おうとしているのだろう?と耳をすませて聴き、
どうすればそれを、イヴォンヌ先生にわかりやすく伝えられるだろうと考え、
それをなんとか伝えられたときのうれしさ。
ラリーのようにやりとりが続いて、どんどん理解が深まっていく、
そのお手伝いをできるよろこび。

otsu.jpgこの仕事、好きかもしれません。。。


1泊2日のワークショップは予定通り午後4時に終了しました。
琵琶湖に降り始めた雨は
大阪に戻ると本降りになっていました。
直接病院に向かう途中でビニール傘を買いました。

ようやく個室に入ることのできた娘は、
気分的にもだいぶ楽になったようで
こうすけくんと2人で元気に待ってくれていました。

ありがとうね!
家族が増えるのは素敵なことです。
ひとりだと自分の好きなようにお仕事することができますが、
家族がいると、家族の協力に感謝することができます。

さて、もう翌日月曜には退院です。
娘とこうすけくんと私の、3人の生活が始まります♪

大津へ

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kosuke2.jpg10月20日に、娘が無事に第一子を出産しました。
3400gの男の子で、こうすけといいます。
すっかりババばかですが(^o^;)
生後1時間で、すでに男前でした!
これが、水曜日。

その晩、
勢いあまってイヴォンヌ先生にお電話しました。
と~っても喜んでくださって(^_^)、
こちらの胸も熱くなりました。

で、しばらく私は病院に通うことになるし、
土日の「教師のためのワークショップ」は
残念ですが行けませんと言うと、
おお、もちろんよ!
そんなときは仕事をお休みするのは当然よ!
と力をこめておっしゃいます。
もしもジャルシャがあなたを働かせようとしたら、私が止めてあげるわ!とも。

翌木曜日、
面会時間は午後なので
大津における「教師のためのワークショップ」の名簿などをお渡ししに
お昼にイヴォンヌ先生のおうちに伺いました。

そのとき初めて、先生は、
このワークショップが通訳付きだということをお知りになったようでした。
「ああ、それで、ジャルシャはあなたに来てほしかったのね」
そのうちに
「ね、午後だけとか午前だけとか、少しだけでも来てもらうわけにいかないかしら?
もちろんジャルシャとY子とだけでも大丈夫だと思うけど、
きっと、彼らはとても疲れてしまうと思うの」
・・・と、話がだんだん変わってきました。

それでも私は、まだお断りしました。
必要としていただけるのはとてもありがたいのですが、
私をもっと必要としている(であろう)娘を優先したかったのです。

さてその後、病院に面会に行くと
娘もこうすけくんも、とっても順調だったんですけど
完全母子同室なので、面会は病室ではなく、談話室で短時間しかできませんでした。
個室を希望していたのが残念ながら4人部屋しかなくて、気を使うし、
新米お母さんは授乳指導などを受ける時間も長いので、
あまり話もできず、あわただしく洗濯物を受け取って帰りました。

あれ?なんとなく、入院中って、
私はそんなに必要じゃないのかな?

そうこうしていると、直前になって、
参加者のおひとりからやむを得ないキャンセルの連絡が入りました。

・・・お、それでは、私が行ってしまおうかな?
日曜4時に教師のワークは終わりますから、病院にはそれから行っても間に合います。
土曜日の面会だけは行けませんが・・・

私が代わりに行けば、ホテルへのキャンセル料を払わなくて済みますし
イヴォンヌ先生も野田先生も私が行くことを望んでおられますし・・・

娘にメールで聞いてみると
こころよく、「かまわないよ~1日ぐらい来てくれなくても~」と言ってくれました。

考えたら、娘たちのそばにいたいと願うのは私のエゴであって、
より大きな共同体に貢献するせっかくのチャンスを
私は活かす方を選ぶべきなのかもしれません。

ということで、金曜になっていきなり、
翌日からのワークショップに、私は通訳として参加することになりました。

行くことが決まってから初めて、え?通訳?私が?と我に返りました。
野田先生に「でも私、通訳なんてできないかもしれません」と呟くと
「あのね、そういうことは、あそこの自動販売機に向かって言ってね。
僕に向かっては言わないように」と言われてしまいました。

(>_<)うへ。。。

しかし、去年、自助グループで
ヨランタの英語を日本語に翻訳してみんなに伝えるとき、
英語で理解していても日本語に変えていると、その前の文章をどんどん忘れてしまう・・・
という能力の限界が、自分でわかったのです~
(おバカともいう)

「へえそうかい。むしろ僕は、
何を言いたいのかわからない日本語で話されるときに、訳すのが困る」
と野田先生。

じゃあ、野田先生は英語→日本語を、私は日本語→英語を、
というように通訳を分業することになりました。

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