2011年1月アーカイブ

石光真清の手記

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昨年11月13日と22日に補正項で紹介されていた
石光真清の手記4部作
『城下の人』『曠野の花』『望郷の歌』『誰のために』(中公文庫)を読み終えました。
本当におもしろかったです~
夢中で、一気に読み終えました(^^)

石光真清(いつみつまきよ)という人は、明治元年、熊本城下の生まれです。
昭和17年、76歳で亡くなりました。

この手記は、彼が明治・大正・昭和を通して
密かに記録していたものを(当人は晩年に燃やそうとしたようでしたが)
一人息子がかき集めて年代順に整理し、脱落した部分を当人に聞きただし、
関係者にあたって考証し、まとめあげたものです。

真清が10歳のとき、西南戦争が起こりました。
薩軍が熊本城下に攻め入り、また敗れ去って行くのを間近に見ています。
彼は城下の武士の子なのですが、
人なつっこい性格で、敵方薩軍の兵士ともすぐに仲良くなりました。
彼の視線は、傷ついた敵味方のどちらの上にも、思いやり深く注がれています。

長じて陸軍幼年学校、士官学校へとすすみ、
日清戦争時には台湾に派遣され、指揮をとりました。

そこで日本の将来のためにはロシア研究が不可欠と考え、
みずからロシア語を学び、明治32年、ロシア留学を許可されました。
そして日露戦争勃発までの4年あまりを、軍の内命をおびたスパイとして活動します。

ウラジオストックから、留学先のブラゴヴェヒチェンスクへ。
ロシアー中国の動乱にあい、黒竜江を下る船に密航して、ハバロフスクへ。
寸断された満州鉄道を乗り継ぎ、友だちになった馬賊の手を借りてハルビンへ。
その間、日本旅館の亭主に慕われ
密林で行き暮れていた日本のお女郎さんを助け、
逆に彼の命を助けてくれた馬賊の頭領が、清朝に処刑されてしまったり
馬賊のお妾さんと仲良くなったり
のちには海賊のまねごとをしたり。

makiyo2.jpgまあ、手に汗握る大活躍です。
30歳台の真清さん(スパイ名は菊池正三さん)は
胸のすくようないい男だったみたいですね。

そして日露開戦。

ブラゴヴェヒチェンスクの大虐殺に遭遇して以来、満洲を四方八方に駆け巡って辛酸をなめた。馬賊の賓客になり、洗濯屋になり、ラムネ屋、写真屋、雑貨屋と、千変万化の芸当を演じて、どうやら目的の半ばは達したと信じたいが、われわれの任務にどれだけの効果があったかは判らない。しかし任務は終わった。一同は引き揚げの仕度にかかった。
(『曠野の花』p342)

ところが、ようやく東京の妻子のもとに帰り着いた彼を待っていたのは、
ふたたびロシアへの召集令状でした。
国家は、彼の働きにこんな形で報いたのです・・・

日露戦争後は東京の世田谷で3等郵便局長となり
ようやく家族との平穏な幸せを得たのですが

大正6年にロシア革命が起こると
ふたたび特殊任務を命じられて、シベリアに渡ることになります。
国としては、ロシア語に堪能で有能な彼に期待したのでしょう。。。

しかし、国策に使われ翻弄され、疲れ果て、
3冊目の『望郷の歌』以降は、読むのが気の毒になるほどでした。

革命まっただ中のシベリアは
コザック兵、ボリシェビキ、元資産家たちが三つどもえ、四つどもえの複雑な状況。
しかも方針に一貫性のない日本からのシベリア出兵。
ロシア、中国の対日感情も以前と違ってずいぶん悪化していました。
石光大尉はなんとか流血を防ごうと尽力しますが、
彼にできることはあまりなく・・・
力の限界を感じ、失意のうちに帰国します。

私は涙ぐんでいるのに彼女たちは弾むような足どりである。希望に満ちた若い命はありがたい。彼女たちが朗らかで無邪気であればあるほど、私の胸は限りなく締めつけられる。国籍が違っても階級が違っても、人間の生活感情や思想は互いに共通する部分の方が、相違する部分より遙かに多いのに、相違点を誇大に強調して対立抗争している。僅かな意見の相違や派閥や行きがかりのために、ただでさえ不幸になりがちな人生を救い難い不幸に追いこんでしまう。情けないことである。なにか大きいものが間違っていて、私たち人間を奴隷のようにかりたてている。
(『誰のために』 p306)

ここを読んで、私は
In similarities we connect, in differences we grow.
ヨランタに教えてもらったこの言葉を思い出しました。

makiyo1.jpg彼は真に cross-cultural な人だったのだと思います。

困っている人がいれば、自分の危険や困窮をかえりみず
いつも手をさしのべました。
日本人であろうとなかろうと、中国人もロシア人も
彼は親身に世話をしました。
お尋ね者の馬賊も博徒もボリシェビキのトップも
彼に信頼を寄せました。
関東大震災後の東京では
逃亡中の朝鮮人を匿ったりもしました。

おそらく少年の日、彼は薩摩兵とも鎮台兵とも等しく交わり、
立場は違っても人間としては同じなのだということを
原体験として学んだのではないでしょうか。

彼は偏見や差別なしに人々と交わることができたのです。
ただその資質をは、スパイとして活動するためには有益でしたが、
いざ戦争が始まると、彼を苦しめることにしかなりませんでした。

この手記は、ひとりの人間の限られた体験からだけ描かれたものなので
歴史書として読むことはできませんが、
いわゆる「一次資料」として一級のものだと思います。

次の言葉は、激動の時代を多くの民族と交わりながら生き抜いた石光真清の
晩年の悲痛な叫びです。

一国の歴史、一民族の歴史は、英雄と賢者と聖人によって作られたかのように教えられた。教えられ、そう信じ己れを律して暮らして来たが・・・だが待て、それは間違っていなかったか。野心と打算と怯懦と誤解と無知と惰性によって作られたことはなかったか。
(『誰のために』 p306)

野心と打算と怯懦と誤解と無知と惰性!
私もまた自分に向かい、戒めなければならない言葉だと感じます。

「他者の臨在」

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大阪のクリニックでライフタイル分析をさせていただくようになってから
もう2年以上になります。

あるクライエントさん、
カウンセリングを予約されたものの無口な方で、
関係を樹立することができるだろうかと、最初は少し心配でした。

しかし始めてみると、訥々とではありますが
今まで溜めておられたさまざまな感情や思いを、
深く振り返りながら、教えてくださるようになりました。

ときおり、ライフスタイル分析の手順を無視して
「ちょっと今日は聞いていただきたいことがあるんです!」とおっしゃいます。
それがわりと切羽詰まった感じなので、
1度、2度と、分析を中断してお話を伺ってきました。

そうして、今まで誰にも語られたことがなかった感情、
それどころか、ご自分でも気づいておられなかった感情に
どんどん気づいていかれました。

ところが私は、
以前ここでカウンセリングを始めたころに、
「ライフスタイル分析に入ったら、クライエントの現在の問題を聞いてはいかん!
それをしては絶対にいかん!」と
先生からきつくご指導いただいたことがありましたので

このクライエントさんのお話を、こうやって求められるままに聴いていることが
治療的なのかどうかわからなくなってきました。

それで先日、主治医である先生にご相談してみました。
すると意外にも、「まあいいんじゃない」とおっしゃいます。
「もうしばらく聴いてあげたら?」

おかしいな、前と違うぞ。どうしてなんだろう?
少し考えてから、もう一度お尋ねしてみました。
「ひょっとしてこのクライエントさんだから、聴いてあげる方がよいのですか?」

「そうです!
いつも自分のことを喋って不幸自慢する人の話は、聴いてはいけません!
でもこの人は、生まれて初めて、やっと心の内を話す機会を得たのでしょう」

そうして「他者の臨在 Presence of Others」という言葉を教えていただきました。

これは心理療法の最も神秘的な部分で、
クライエントが他者(この場合はカウンセラー)の前で
自分のことを語ることによって、初めて
自分のことを観察し、学び気づいていくことができる、
というものだそうです。

この場合、他者は、ただそこに居て聴いてあげることだけが重要で、
それ以上何もしなくてよいのです。

そうなんだ!
「私」が必要なんじゃないんですね。
誰かが聴く、ということことが、大切なのですね。

ただお話を聴かせていただくことによって
その方の自己理解が深まるなら、
それは、私にもできる援助です。
このクライエントさんが、語る相手として私を選んでくださったのは、
とてもとても、ありがたいことですね!

「きみも年をとったんだよ。
20台や30台では、この役はできません」

は~い、ありがとうございます。嬉しいような悲しいような(^_^;)

これからも、この方がお話をなさりたいなら
ただ聴こう。
そう決めました。

ただ聴こうと思って聴くと
菩薩のオーラ Bodhisattva's aura が出るのだそうです。
それは分かる気がします。
分かったからといって出せるものではありませんが・・・。


さてお正月が明けて最初の、ひさしぶりのセッションでは
ただ聴こう!と身構えていたわりにはあまりお話がなく
案外すんなりと、ライフスタイル分析に戻れたのでした(^_^;)

こちらの構えが変わると、
絶妙のタイミングで、相手も変わるのですね。
おもしろいものですね~

家族布置から

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アドラーギルドで2ヶ月に1度行われている
有資格者のためのカウンセリング講習会に参加してきました。
今回のテーマは、家族布置 Family Constellation です。

家族は、クライエントの対人関係の基本的設計図なので
家族布置を聴くことによって、
カウンセラーは、現在のクライエントの人間関係を知ることができます。

前回のカウンセリング講習会を私は欠席したので、
今日のお勉強をとても楽しみにしていました。
最初に野田先生がデモンストレーションをされるというので、
よろこんでクライエント役に手を挙げました。

きょうだいは何人いるか
両親ときょうだいは、私が生まれたとき何歳だったか
他にいっしょに住んでいた家族はいたか
それぞれどんな人だったか
私はどんな子どもだったか
ていねいに聴いていただきました。

カウンセラーはこれらの情報から、私の Original Family の
ドラマのシナリオが書けるぐらいにならなければいけないのだそうです。
さまざまなゲッシングを、先生からも参加者のみなさんからもいただき、
当たっているものも当たっていないものもありましたが、
どれも私には、とっても興味深かったです。

今まで何度もクライエント役をしたことがありますが、
私の家族布置をここまで詳しく聴いていただいたことはありません。
尋ねていただいたことに答えるうちに、
自分では意識していなかったことがいくつも分かりました。

父は、コツコツと、今できる仕事をひとつずつ片付けていくタイプで
そのことで未来が開けると信じることのできる人です。
一発逆転を狙ったり、野心に燃えて事業を拡げたりするタイプではありません。

また手先がとても器用で、仕事の合間にひとり書斎で
さまざまな細かいものをこしらえては、私たちを楽しませてくれました。

父は毎日家に居て、園芸をするように私を育ててくれました。
小さいころは、馬になったり体を上らせたりして遊んでくれて、
中学生になってからも、私の部屋で
いっしょにレコードを聴いたりおしゃべりしたりもしました。

母は、ただ家事をするだけでなく、
父の仕事をさまざまにバックアップして、とても忙しくしていました。
それを見て育った私も、実は自分が働くよりも、
誰か信頼する人の仕事をサポートするのが、落ち着く形のように思います。

男の人は、確実な(シュアな)仕事をする人がいい。
そして私にあまり干渉せずに、私の好きなことで遊んでくれる人がいい。
おお、ライフスタイル!

逆にいうと、信頼できない上司や先輩の下で働かなくてはならないようなとき、
私は困ってしまう可能性があるということです。
あるいは、あまり干渉されたり、私の求めていないことをされたりすると
嫌いになってしまうかもしれない。

母は先のことを考えて、いつもあれこれ心配する人です。
それが嵩じて私の健康や友だち付き合いを、うるさいぐらいに干渉しました。
母にはとても感謝しているし、おかげでずいぶん助かった面もあるのですけど、
もう少し適切に(!)かまってほしいと思っていました。

かまってくれるなら、ちゃんとかまってね、ということです。
わがままですねー!

そして自分の子どもたちに対して、ちゃんとかまうために私が身につけたのが
アドラー心理学だったのですね。

家族で何かを決めるときは、
だいたい両親が話し合って相談して、その上で最終的に決断するのは父でした。
少し大きくなると、私も相談に加えてもらっていましたし、
小さいときも、イヤなときはイヤと言うことができたように思います。
つまり、民主的な雰囲気の家族だったようです。

今日クライエントとしてお話しするまでは、自分では、
なんとなく窮屈で押さえられていたイメージを持っていたのです。
でも独裁者は、うちにはどこにもいなくて、母は父を立て、父は母を敬い、
私たち子どもの意見もきいてくれる、民主的な家族だったんです・・・
これは発見でした!

家族の構造としては
私は父と仲がよく、母は兄と仲がよく、
父と母も仲がよく
私は小さい頃は兄の後ろを金魚の糞のようについて回っていたぐらいで
全体的に仲のよい家族なのだと言われました。
これも、なんだか嬉しい発見でした。

しかしものごとには何にでも両面があるもので、
仲のよい家族には仲のよい家族なりの良い面と悪い面とがあります。
仲のよい家族の悪いところは、
葛藤が起こったときの解決法を、あまり知らないということだそうです。

たしかに私、トラブルに弱いと思います。
小さいころは熱を出して寝こんでいましたけど
今は・・・胃腸にきたり、じんましんを出したりしているなぁ。
熱まで出さないのは、子どものときほど安全な場所にいないからかもしれませんね。

あと面白かったのは、~~さんはどんな人?と尋ねられたとき、
私の話し方は特徴的で
まず外側の説明からはいって、内面の説明が後になるみたいです。
「やさしい」とか「きびしい」とか「まじめ」とかの言葉がなかなか出てきません。

どうしてかなあ?と考えたのですが、
どうやら、まず視覚情報が先に浮かぶからかな、と思い当たりました。
特に「お兄さんはどんな人でしたか?」と聴かれたときは、
子どものころの兄の「坊ちゃん刈り」の頭をぱっと思い出して
思わず、「兄は坊ちゃん刈りで・・・」と言いそうになり
いや、これは求められている答えと違うぞ、と思い直したのでした(爆)

見学していた友だちに、ずっと後をついて回って遊んでいたくせに
どんな人?と聞かれて考え込むのが不思議だったと言われました。
坊ちゃん刈りが浮かんだ話をしたら笑われましたが、
ほんとに私って視覚型なんですね~

家族との時間(鳥取)

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娘の旦那さんは、金曜日から2泊3日の出張です。
彼がいないと、こうすけをお風呂に入れられない。
だからお母さん手伝いに来て~と、急遽出動が要請されたのですが、
どういうことなのかな?とちょっと不可解でした。

土曜日の晩、行ってみてわかりました。
ハンパじゃなく寒いのです~(>_<)

なにせ彼らの家の前の桜の太い枝が
先日の雪の重みで、ぼっきり折れてしまったぐらいで。。。

こうすけの部屋は、デロンギのオイルヒーターで24時間あたたかくしてあります。
それに続くLDKも、エアコン、石油ストーブ、ファンヒーターと、暖房完備。
さらに空気の対流をよくするため、扇風機を上に向けて回すという念の入れようです。

ですが、それらの部屋から一歩廊下に出ると、
玄関に近いあたりは、まるで冷蔵庫の中のよう。。。

一般の家庭で全室暖房は難しいですし
娘たちの家は、トイレ、洗面所、お風呂場すべてに窓があります。
夏は換気ができていいなと思っていたけど、
二重窓というわけでもなし、すぐ外には積もった雪のかたまり。
ぶるぶる。。。

寒い廊下を通って、玄関脇の脱衣場、浴室まで
短い距離ですが、お風呂上がり濡れた身体で行き来するのは、
たしかに風邪をひいてしまいそう。

現に、娘の待機しているお風呂場にこうすけを抱っこして運んで行くわずかの間に
冷たい廊下に触れた私の素足は、なんとつってしまったのでした~(^^;)
情けな~い・・・
温暖な地で生きてきた関西人は、身体がなまっているのですぅ。

こうすけの首がもう少しちゃんとすわって
さらにお座りができるようにでもなれば、
ベッドで裸にせずとも脱衣場で脱ぎ着をさせたり、
あるいはお母さんが身体を拭く間ちょっと置いておいたりできるのでしょうが

今はまだ2ヶ月半
しかも大寒の鳥取。
少し手伝ってやらないとねえ(う~ん、過保護かな?)


tottori1.jpgさてこうすけは生まれたときから少し大きめでしたが
母乳しか飲んでいないにもかかわらず、
とても順調に大きく育っています。

くいしんぼうなのか
あるいは胃がでかいのか、
とても時間をかけてたっぷりとおっぱいを飲みますが、
1日に4、5回しか欲しがりません。

tottori2.jpgあとはずっとご機嫌で、
うっくん、あーん、と喃語を言ってみたり
指しゃぶりをしたりして遊んでいます。

あまりにも丸いお顔になって
手首や足首がないぐらい、むちむちになっていたので
びっくりしてしまいました(^_^)
抱くとずっしりと重く、そしてとっても暖かいのです。
話しかけていると、ときおり笑顔も見せてくれます。
う~ん、かわいい!(すんません、ばばバカです)

日曜日の晩は、お婿さんが帰ってきて
お疲れでしょうに、お得意の「カニみそ汁」を作ってくれました。
松葉ガニのメスをブツブツッと切って、大根といっしょに煮込んだみそ汁です。
カニの出汁が絶品で、
タマゴやカニミソをせせって食べて、
とっても幸せな美味しい時間でした~(^_^)v

その夜、こうすけの寝息を聞きながら、寝床で娘とお喋りしました。
「二人目は欲しいけど、今があまりに忙しいので自信ないなあ。
それに生まれてからは楽しいけど、妊娠中の10ヶ月がやたら長くて辛かったし」
と娘は言います。

大丈夫よ。この次の妊娠はあっという間に過ぎるよ。
だってこうすけがいるもの。
この前みたいに一人で待っているんじゃなくて
弟かな?妹かな?って、昼間こうすけと二人でお喋りして過ごすのよ。
何かあったら、私がいつでも手伝いに来てあげるし。
でも年子は大変だろうから、もう少し後にする方がいいかもね。

そうか~この次は早く過ぎるんだね~
うん、年子にはしないよ!

ところがその晩娘は、年子を産んだ夢を見たそうです(爆)
失敗した!って、うなされていたんですって。
できれば正夢になりませんように・・・(^Λ^)

tottori3.jpg

家族との時間(神戸)

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お正月は体調をくずしていたので
今年は少し遅いめの先週末、神戸の両親の家にお年始に行きました。
すっかりご無沙汰の息子も誘って、待ち合わせていっしょに行きました。

私の離婚にともない、私の両親は孫たちに会えなくなるかもしれない
と、それだけを心配していましたが、
さいわい娘も息子も、できるだけ機会をとらえては
おじいちゃん、おばあちゃんを訪れるようにしてくれています。

息子はこういうとき、ずいぶんおとなの顔を見せてくれるようになりました。
「いい若者風」の笑顔で
まっすぐ相手の目を見て話をします。

高校生までは、こんなふうじゃなかったなぁ。
いや大学生になってからも、あまりしゃべらなかった。
親戚の中で会話をリードするのはいつも娘で、末子の彼は、
ただ問われたことにうんとかああとか言っていればよかったからです。

昨年の秋に教育実習で先生修行をしたことが、影響しているのかもしれません。
それに、なにやら、お風呂屋さんで夜中の掃除のアルバイトをしたり
大学のサークルでイベントをやったり
なんやかやと大人の世界に揉まれて生きているみたいです。

うちに泊まった日の朝の寝起き姿とは、別人のようです!(笑)

でもおじいちゃん、おばあちゃんは大喜び。
私も孫をもったのでわかるけど
あんなに小さくて頼りなかった赤ちゃんが
こんなに立派(そう)な若者に育ったんですからね~
そりゃぁ嬉しいでしょう。

おばあちゃんは、お料理に大張り切り!
大事に冷蔵庫に保存してくれていた自慢のきんとんと黒豆。
わざわざこの日あらためて作ってくれたお煮染め。鯛のお刺身に焼き物。
それに焼き鳥、紅白なます、田作り、お雑煮にごはん。
とどめに、高級いちごとケーキ!

いくら飢えている息子でも、こんなには食べられないでしょう~
ひととおりは征服していましたけど。。。

おじいちゃんは園芸が趣味で
むかし開業していた頃は、季節ごとにきれいな花を咲かせて飾っていました。
今はもっぱら、野菜作りに凝っています。
おじいちゃんの作った無農薬の大根、人参、玉葱などを
息子は下宿で自炊するから、もらって帰りたいと言います。

おじいちゃんは、孫がもらってくれるとは思わなかった、と大喜び。
土付き野菜をリュックにつめこむ息子を見て
まるで戦争の時の買い出しみたいだと笑いました。

心づくしのお料理をたくさん食べ
おみやげを背負った(もちろんお年玉もゲットした)息子と
夕方に実家を辞しました。

私はこのあと鳥取の娘の家に手伝いに行くので
三宮のバスターミナルまで、息子に荷物持ちをお願いしていました。
背中に重たい野菜、右肩に私の旅行バッグ。
いいの?大丈夫?と何度聞いても
いい。大丈夫。と、ずんずん歩くのでした(もちろんお年玉も渡したけど)

大学近くに下宿を始めて2ヶ月あまり。
その間、風邪なんかひかなかった?と聞くと
いっぺんだけひいた。との返事。

お姉ちゃんが下宿を始めたときも思ったけど
一人暮らしすると病気になったときが心細いよね・・・と言うと

でも友だちが来てくれたり彼女が来てくれたりしたし、
近所の薬局に風邪薬買いに行ったら、店の人がすごく親切で
それならこれとこれとこれと薬があるが、これが一番安いですよと教えてくれて
おまけもいっぱいつけてくれた。
マスクもくれた。

そうなんだ~。

うん、まわりの人に助けてもらって生きてるよ。

(笑)よっぽど情けない姿だったんやろうね。
(笑)そうやで。

じゃあ、またね。
ああ。おねえちゃんと☆☆さんとこうすけくんによろしく。

バスを見送るでもなく、さっさと背を向けて帰っていきました。

若者よ、元気でね・・・

さあ、次は久しぶりに、こうすけと娘に会えます。
雪の鳥取へ~

ASMI@敦賀

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年始早々ひどい風邪をひいて寝込んでおりました。
いつものことながら、ボディは
倒れてもよい時節をちゃんと選んで倒れてくれたようで
なんと20時間、ぶっつづけに倒れ伏しておりました(笑)
おかげで去年1年の疲れをいやせたのではないかしら。

そんなこんなで少し間があいてしまったのですが、
年末、雪舞う敦賀へ、3泊4日ASMIに参加してきました。
そのとき印象に残ったことを少し書きます・・・

☆風の気・水の気・土の気

10人ほどが輪になってマントラを唱えるスーフィー瞑想がありました。
「shakulla ya」「shakulla ya」「shakulla ya」「shakulla・・・
と20分ぐらい、ひたすら繰り返します。

意味なんてわかりません。
ただただ膝を叩き、舌をもつれさせ、
いつのまにか、みなすごい勢いで唱えておりました。

私はおかげで喉が嗄れましたが、
人によっては、膝とか腿が真っ赤に腫れ上がった方もおられたようで(笑)
その狂乱ぶりがおわかりになろうかと。

そのあと、今度は別のマントラ
「ya wabo」「ya wabo」「ya wabo」・・・
自然に、これはゆっくりと喉をふるわせながら唱えました。
しだいにみんなの音の高さが決まり、ハモって美しかったです。

あとでこれらのマントラの意味を先生にお尋ねすると
shakulla は風。ya はあなた。「shakulla ya」は「あなたは風」という意味だそうです。
wabo は水、または川。「ya wabo」は「あなたは川」なのだそうです。

ついでに、「野蛮人め!こんなのになるとノリノリだった」と私を笑われました。
いや実に、「shakulla ya shakulla ya shakulla ya shakulla!」は素敵でした~!

なんとなく、ですが、私は風の気との親和性が高いのかもしれません。
ふだん自宅でも
眼下の公園の木々が風にそよぐのを見て、風の足跡を感じて、
目を瞑って風の音を聴いて、
そのまますぅっと瞑想に入ることが多いです。

川も好きです。
海の波、川の流れを見ていたら、何時間でも過ごせますし、
どこに行っても、ちいさな流れがあるとほっとします。
停滞していない水の見えるところに暮らすのが理想です。

こんな分け方があるかどうかもよくわからないのですが、
逆に、土の気とは、なんとなく馴染みがないみたいです。

見かけからいっても、私はどっしり大地に根をはるお母さんタイプではないですが
もともと土に交わって暮らしてもいません。
いっとき陶芸に凝った時期があって、これはけっこう好きなのですが、
まだいまひとつ、自分なりに土と馴染むレベルには達せないでいます。


☆空と仮説

北陸総鎮守気比神社の目の前の会場というロケーションは
思った以上に、ASMIの瞑想の質に影響があったようです。
私は土地の気に鈍感な方ですが、同じ曲、同じ瞑想でも、まったく違いました。
ひとことで言えば、「マイナス感情が起こらない」のでした。

むかしいわゆる「気の悪い」場所で瞑想したとき、
次々と悲しいことや辛いことが湧き出て涙が止まらなくて
「いったいこれはなんなんだぁ!」と困惑したことがあったのですが

今回は見事に、マイナス感情が湧かないのです。
ちょっと悲しいことが浮かび上がってきても、ほんとに不思議なことに
ふ~っとどこかへ流れていってしまいます。

今回行ったいろいろなゲームの中に
相手の悪い点を悪しざまに指摘し合う!というものがありました。
人の評価はただの「仮説」であって
自分の本質「空」とは一切関係がないということを理解するのが目的です。

でも、いやですね~こんなことよくやらせますよねえ。
さすがに、「あんたなんか大嫌い!」「変な顔!」なんて言われると
どっ、ど~んと落ちこんで、
ひぇ~んと胸にこたえるのですが

神さまに守られ愛されているという気配が、そこらじゅうに満ちているからでしょうか
どこまでもうっとりと、大丈夫!と感じられて
私は正味これだけの者、これ以上でもこれ以下でもない、
このままの姿で誠実にお仕事をしていくんだ。。。
と、心の底から納得することができたのでした。

kehi.jpg
しかも、今回のASMIでは、とってもよく眠れたのでした。
ほぼ毎晩、夜10時すぎから翌朝7時頃までぐっすり。
瞑想中まで!(^^;)

静かなヴィパッサナ系の瞑想では
息を吸って吐いてをずっと繰り返します。
深い息を吸って、その息を吐くまでのほんのわずかな一瞬に、
私はなんと眠っているのです!

あるいは、ナダブラーマ瞑想のとき
息を吸って、その息でハミングしているその間にも、
やっぱり意識が遠のき、眠っているのです。

でもマインドは落ちていて
この間隙にも入ってきません。
ただ空白の眠りがあるだけです。

すべてすべて、とても美しい時間でした。

えらいもので、ASMIが終わって敦賀から帰ったその夜は
私はちっとも眠れませんでした。
いかにあそこが清浄な場で私たちが守られていたか
このこと一つからも、よ~く分かったのでした。

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