2011年9月アーカイブ

練成講座のぱくり

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先週神戸であった練成講座は、めずらしくパスしました。
その前の週に関東のライフスタイル分析ワークに行っていたので
ちょっと一休みしたかったのです。

でも行かれた方の報告を読むと、とっても良かったみたい!
カウンセリングの基本をみっちりとお勉強できたようなので
うーん行けばよかったかなぁ~と思い

水曜日に大きなJ先生にお会いした際、
しつこくしつこくしつこく、
どんなことをされたのか、お聞きいたしました。
聞き糾した、とも言います(^^;)

ええっと私が理解したところ

ロジックの原理は、
トピック(エピソード)を聴いたら、
まず劣等感を考え
それから目標を考え
方法を考える。
それからこの目標は達成してよいものかどうかを考え
達成してもよい目標なら、別のもっとよい方法を考え
達成できない目標なら、別の目標をたててそれに至る方法を考える。
ですね。
合ってます?

先生がおっしゃるには「これができなければカウンセリングはできない!」
確かにそうでございます。。。
カウンセラー養成で習ったことを分かりやすくまとめると、この通りです。

ああでも、告白すると、こんなふうに筋道だてて考えていませんでした<(_ _)>
それが証拠に、いざ言葉にしようとすると、おたおたしてしまいます・・・(=_=)
すみませ~ん~(>_<)これから学び直しますっ!

それから、これはカウンセリングでの話ですから
ここでいう劣等感と目標というのは
ライフスタイル分析でいう劣等の位置と優越目標のことではなく、
エピソードの中での、具体的な劣等感と目標だということです。
「私は不器用だ」とか「完璧でなくてはならない」のように一般化した様態ではなく
「子どもが学校に行かない」とか「子どもを学校に行かせたい」とかいう
エピソードにそった具体的なものです。

そうすると、「課題・目標・方法」という
昔習った呼び方が私には分かりやすく感じました。


さてそれでは当面、できるだけあらゆる陰性感情の起こった出来事を
この原則に照らし合わせて考えることにしてみましょ。
まずは自分の事例で練習です。
そうすると、とてもおもしろい・・・
おもしろすぎることが、分かったのでした。

事例その1

昨日は歯医者さんでした。行く前はとても気が重いです。その前の晩もその日の朝も、いっしょうけんめい歯磨きをしました。でもいつも、怒られるわけではないのですが、歯石がたまっているとか、磨き方が悪いとか指摘されます。昨日も、またそう言われるのじゃないかと思い、もう歯医者さん変えちゃおうかなとまで考えました。でも行ったら、今回はあまり文句を言われず、前よりましになったと言われました。

   課題(劣等感):歯医者さんに文句を言われること
   目標:文句を言われないこと
   方法:直前に大急ぎで歯を磨く

われながら爆笑。
この目標は達成していいか?
いいですね、たぶん。でも方法が悪い。
この方法でときどきうまくいくこともあるもんだから、なおまずい(爆)

そうすると、このあたりからのレトリックは・・・

「あなたは虫歯がないのになぜ歯医者さんに通っているのですか」
「歯を健康に保つためです」
「歯を健康に保つためには、前の晩だけいっしょうけんめい歯磨きするのがいいですか、それとも毎晩ていねいに歯磨きするのがいいですか」
「毎晩ていねいにするのがいいですね」
「それについてはどうですか」
「歯医者さんからもずっと言われているんです。結局それしかないですね。あー私、めんどくさがりなんですよ」
「今日は何を学びましたか」
「めんどくさがらずにするべきことはするってことですね」

なんかありきたりだけど、
まあこんなもんかしら。ちゃんちゃん。

事例その2

毎週1回弓道の稽古に通っています。稽古に入ってしまえば楽しいんですが、行く前、気が重いんです。今日は2週お休みした後なので動きをすっかり忘れてしまってて、指導者の先生に「何やってるの!」ってきっと怒られるだろうなと思って、特にイヤでした。休みたかったけど、イメージトレーニングして復習して、がんばって行きました。

   課題:弓道の先生に怒られること
   目標:怒られないこと
   方法:いやいや準備する

おお、同じパターン(爆)
この目標は達成できるか?たぶんできないですねぇ。
前にも言われたけど、武道はキビシイ先生につかねば上手になりませんから。

レトリック

「あなたの願いは何ですか」
「弓がうまくなることです」
「弓がうまくなるためには何が必要でしょうか」
「たくさん練習することと、よい先生につくことでしょうか」
「どんな先生がよい先生だと思いますか」
「きびしく指導してくださる先生でしょうね」
「これからどうしますか」
「うまくなろうと思えば、少々怒られるのはがまんするようにします」
「がまんですか。先生が細かく注意されるのはどうしてだと思いますか」
「ああ、生徒を伸ばそうとして言ってくださるんですよね。がまんじゃなくて感謝しなくちゃいけませんね」
「今日は何を学ばれましたか」
「これからは、注意してくださることをありがたく受け止めます」

・・・なんか、私、とってもわがまま~(>_<)
何も言われたくない
私の好きなようにさせてほしい
でも歯はきれいにしてほしいし弓も教えてほしいのです。
ああ、これはきっと、
対人関係のすべてに出ているライフスタイルでしょう。

しかも、とっている方法が(きゃー恥ずかしい)
直前にいやいや用意したり
いっそやめてやるぅって考えたり、
ひどく子どもっぽいです~orz
はは・・・笑うしかない。

こうなると芋づる式に、次々と似たエピソードを思い出します。
昔アドラーギルドの事例検討会に行くのも、行く前は気が重かったなあ。
ルーマニアのICASSIでも、授業前は緊張でお腹が痛くなったなあ。

いつも学びたいんだけど、
それに伴う対価を払うのを、避けたがっているみたい。

いつも欲しいものはいっぱいあるんです(←強欲レベル1)
できれば、ラクしてゲットしたいんです(←強欲レベル2)
でもそれが無理なときは、だだこねて、値打ちを上げてるわけですね。
どうせやめずに続けるんだから、じたばたせずに受け入れたらいいのにね。

アドラーカウンセラーならこう聞きますね、きっと。
「いつまでそのやり方を続けますか?」

かなりヤバイことに気がついてしまいました(-_-;)
けど、なんせ自己カウンセリングですから
もっと上手なロジック・レトリックがあったら是非ご教示ください。
学びたいんで。
いやがりませんから(^^;)

チベットの瞑想(2)

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私がわりと思い切ってものごとを決めてしまうのを
みなさま、もうとうにご存知のことと思いますが(^^;)
実は、チベット仏教を習いに行くことなどよりもっとすごいことを、
その前に決めてしまいました。。。

10月末から11月初めにかけて
ダライ・ラマ14世法王が来日されます。
大阪に1日、
高野山に4日、
そのあと、被災地の仙台・石巻・福島に行かれるようです。

大阪の講演会に行こうかな~って軽く思って調べたところ、
高野山で、「チベット密教 金剛界マンダラ灌頂(かんじょう)」
というものが行われると知りました。

「金剛界マンダラ灌頂」って何でしょか??
英語では Vajradhatu Mandala Initiation とあります。

広辞苑によると「灌頂」とは、

(仏)頭に水をそそぐこと。
秘密灌頂→密教で、阿闍梨(あじゃり)より法を受けるときの儀式。密灌。
伝法(でんぼう)灌頂→密教で、阿闍梨位を得ようとする者に秘密究極の法を授ける灌頂。
結縁(けちえん)灌頂→密教で、広く一般の人に仏縁を結ばせるために行う灌頂。信者に花を曼荼羅上に投げさせ、当たった諸尊を宿縁あるものとして、その秘法を授ける。

「この灌頂は僧俗いずれの方も受けることができます」
と申し込み書に記載されているので、
たぶん今回のは結縁灌頂だと思われます。
なんだかよく分からないですけど、
要するに、仏さまとご縁が結ばれるということなのでしょうね。

「チベット密教に伝わる方式によって、金剛界灌頂会が2日にわたって厳修されます」
とあるので、正式にチベット仏教徒になれるってことではないかしらん?
それもダライ・ラマ猊下から直接に
頭にお水をふりかけていただけるのかもしれません。

それじゃあ是非そうしていただきたいものだと思いまして
「残席わずかです」と書いてあるのを急いで申し込みましたら
受け付けていただけました。

僥倖、僥倖!
ダライ・ラマ猊下に今生で間近にお会いして
イニシエーションしていただけるなんて
ちょっとすごいことじゃないですか。

高野山には2年前、ヨランタたちと一緒に登ったので
行き方は知っていますし、土地勘も少しはあります。
だから、ひとりでも大丈夫!
そのときに宿坊を手配したのは私ですので、手馴れたもので
少し高いけれど、1人で1部屋使わせてもらえる宿を確保しました。


Dalai_Lama14th.jpgつくづく人生を不思議に思うのです。

私の実家はあまり宗教的でなく
お寺に行くのはお葬式のときだけ、
お正月の初詣もパスする家庭でした。

それなのに幼稚園はカトリック、
中学からはプロテスタントの女子校でした。
教会にも行ったし聖書も読んだし讃美歌も歌ったけれど
クリスチャンにはならず

大人になってアドラー心理学に出会ってから
何の因果か
お遍路に行ったり
スピリチュアル・ワークのお世話などしたり
主に日本の仏教のお話を生かじりに伺ってきましたが

まさかここにいたって
チベット仏教徒になるとはね!
いやはや思いがけないことが起こるものですぅ~
と、自分がいちばん驚いています。

イニシエーションは11月1日と2日です。
チベット仏教の講座は10月後半から始まります。
両方とも楽しみで、わくわくしておりますが

実はその前に、アドラー心理学会総会があるんですよね。
まずはそこでのお役目を果たさなくちゃ。
その前の週には岩手でスピリチュアル・ワークがあるし
ちょっと汗(^^;)・・・

チベットの瞑想

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135323.jpg『実践チベット仏教入門』(春秋社)という本に出会いました。
恥ずかしながら、この齢にして初めて読んだ仏教の本です。

そうして・・・私はすっかり
チベット仏教に、はまってしまいました。
みなさま、とうにご存知かと思いますが、
どうやら私は、そうとう、はまりやすい人のようです。。。

今までスピリチュアル・ワークやアスミで
何度も教えていただいていた
「空」ということが
なんだか、ばっちり分かった
という気がしました。
(いや実はそんなに簡単に分かるはずないと思うのですけど)

「空」ということが分かると、
輪廻も縁起も慈悲も
全部つながって、するすると分かった
ような気がしました。
(ほんま?いや、かなりあやしい・・・)

そして、日本の仏教について何も知らない仏教処女(?)の私が
今生、チベット仏教に出会えたことは
とてもとても幸せなことだと思いました。

日本の仏教がどうなのか知らないので何も言えませんが
私には今ひとつ魅力が感じられなかったのです。
体質というか、相性なのでしょう。

以前からチベット語のマントラが心に響く気がしていました。
このブログでも紹介したことのあるチベット僧のマントラCD
"Rain of Blessings" の中に Chenrezi Pure Land Prayer という
いつ聴いても泣きそうになってしまう曲があります。
Chenrezig とは観音さま(観自在菩薩)のことです。

なんと『実践チベット仏教入門』の本の中に、
この大好きな曲の全歌詞が載っているのを見つけました。
チベット文字・チベット語のカタカナ読み・日本語訳と、3つ並べて書いてあったので
曲を聴きながら、音で探すことができたのです。

歌詞、ではなくてお祈りなのでした。
これは泣けるはずです。

chenrezigjpg.jpg

祈願し奉る、上師観自在よ。
祈願し奉る、本尊観自在よ。
祈願し奉る、大聖観自在よ。
祈願し奉る、救世観自在よ。
祈願し奉る、慈尊観自在よ。

悲愍をもって守護し給え、勝者大悲尊よ。
無辺の輪廻を無数に流転し、
耐えがたき苦を受けし衆生に、
救世者たる御身をおいて他に帰依処の存するや。
一切知たる仏位を得べく、加持をば授け給わんことを。

無始時来に悪業を積集せるがため、
瞋恚(怒り)の力により地獄へ生じ、
熱と寒さの苦を受けし有情らが、
勝尊御身の御前へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

無始時来に悪業を積集せるがため、
慳貪(物惜しみ)の力により餓鬼道へ生じ、
飢渇の苦を受けし有情らが、
補陀落浄土へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

無始時来に悪業を積集せるがため、
愚癡(愚かさ)の力により畜生道へ生じ、
愚鈍の苦を受けし有情らが、
救世者御身の御前へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

無始時来に悪業を積集せるがため、
貪欲の力により人間界へ生じ、
多忙と不満の苦を受けし有情らが、
極楽浄土へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

無始時来に悪業を積集せるがため、
嫉妬の力により修羅道へ生じ、
争乱の苦を受けし有情らが、
補陀落国土へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

無始時来に悪業を積集せるがため、
慢心の力により天上界へ生じ、
転生堕落の苦を受けし有情らが、
補陀落国土へ生ぜんことを。
オーム・マニ・ペーメ・フーム

この我は転生すべき一切の生で、
観自在の御事業と平等なるをもって、
不浄界(輪廻世界)の衆生らを解脱せしめ、また
景勝なる御真言の六字をば十方に遍満せしめん。
大聖御身への祈願の力で、
我が所化となる衆生らは、
業果より逃避せず善業に精進し、
(これら)衆生のために法の具足せられんことを。

オーム・マニ・ペーメ・フーム・・・
さてさてそこで
インターネットをあれこれ検索してみると
日本にチベット仏教普及協会なるものがあり
わりと近所で月に1回講習会を開いていることも分かりました。
まさに僥倖続きです。

こういうとき、私はひょっとしたら軽はずみかもしれない
と思わないでもないのですけど
私にとって、
これを学びに行かないという選択肢はないのです。
総会が終わってから来年の春まで半年間のコースを、
全部申し込んでしまいました!(^_^)

内容は
「入菩薩行論」
「ミラレーパの教え」
「グルヨーガ」
「ラムリム」
と、かなり難解そうですが
今生で、しかもこの時期に学んでおかないと
次のチャンスは何生も先のような気がしています。

アドラー心理学に初めて出会ったときのような手応えを
今、感じています。

カウンセラー養成講座(2)

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お盆明けから4,5日間、
娘が孫のこうすけを連れて、大阪の私の家に泊まりに来ていました。
その後、ふたりが神戸の元夫の家に行く前に
神戸の私の両親の家にも、少し寄って行くことになりました。

お昼ごはんから夕方までの数時間ですが
久しぶりに孫と曾孫に会えるので
数日前からもう、
両親のテンションは↑↑マックス状態だったと思われます。

それはだって、こうすけが来る前に私が
家を片付けて床を拭いて布団を干して、
どれだけ楽しみに準備するかを考えると、容易に想像がつきます。

どんなに喜んでくれるか知っているので、
できるだけ会えるときに会ってもらいたい、と考えているのです。
が・・・・・

12時ごろに着くつもりだったのが
授乳の時間などで遅くなり、両親の家に着いたのは午後1時ごろでした。

遅くなるよと母に電話はしていたのですが
少し離れたテーブルで娘がこうすけに離乳食を食べさせている間に
父が私に向かって言いました。
「来るのが遅い。昼ご飯を10時半に食べて待ってたのに」

このときの私の心の中の声:え~ウソでしょう!間違いじゃないの?
で、こう言いました。「10時半!?」

父「そうだ」
私「え?10時半?!」

このときの私の心の中の声:
10時半に昼ご飯を食べるなんて、ちょっとやりすぎじゃない?
私たちがゆっくり食べられるようにと思って先に済ませてくれたんだろうけど
その気持ちはありがたいけどさ、
それは too much よ!
いつだって几帳面に時間通りに食事しているくせに
そんなことしたら、あとできっと2人とも体調を崩してしまうわよ!
やりすぎよ、やりすぎ!

そこに母が来たので
私は母に「10時半に昼ご飯食べたんだって?」
母「ああ、まあ。。。もう~お父さんたら、そんなこと言わないでいいのに」

それで母がこの話をしたくないことがわかったので、やめました。
両親も、もうこの話はせず、
こうすけはぱくぱくおいしそうに食べるねえ、とか
娘は育児をよくやってえらいねえ、とか
そんな話でなごやかにたのしく、夕方まで仲良く過ごしました。

それから1週間経つのですが、
私としては、自分のこの「10時半?!」を思い出すと
なんとも居心地が悪く・・・
というか、罪深く感じられて・・・

もっと優しいあたたかな対応があったはずなのに、
つい怒った言い方になってしまったと、反省しているのです。
それで最後の相談のときに、この話を聞いていただきました。

カウンセラーの方は、このときの私の感情を何度も聴いてくださったのですが
怒っているような言い方をしてしまったけれど
自分としては怒りの感情ではなくて、
あえていえば、悲しいというか、やるせないというか、
ともかく too much だったんですぅ、って
よくわからないことを繰り返していました。

試験時間が終わって、まだクライエント席にいる間に
J先生に尋ねられました。「ちょっと質問していいですか?」
「お孫さんは9ヶ月?その子が6歳になったとき、お父さまとお母さまはお幾つになりますか?」
「ええっと、92歳と87歳です」
「ではその子が12歳になったとき、お父さまとお母さまはお幾つになりますか?」

ここで先生の質問の意図がわかり、私は声が出なくなってしまいました。

O先生が「あー泣~かした」と言われたのが聞こえたけど
何か言おうとすると号泣してしまいそうで
しばらくは何も言えませんでした。

J先生の次の質問:「お父さまはどうお思いだったんでしょうね?」

ホワイトボードに書かれたエピソードの台詞を
ぼーっとした目で眺めて、あっ、と気がつきました。
「私は、too much だと思っていたけど
父にしたら、全然 too much ではなかった。。。と思います」

J先生のトドメ:「ご両親はあと何度、その子とお会いになれるんでしょうね」


私は、私たちが訪問することによって
私たちを饗応するために両親がエネルギーを使うことによって
そのあと両親が体調を崩すのではないか、
弱ってしまうのではないかと思い、それを怖れていました。

でも、それはすべて私のエゴです。
両親には、両親のしたいようにしてもらうことが、両親の幸せなのだと分かりました。


kosuke9.jpgあ~本気で泣かされてしまいました(T_T)
こんなの初めてかも。。。
いや、久しぶりに見事に美しく
投げ飛ばしていただいた~という感じです。
ありがたや、ありがたや<(_ _)>


あとから考えると、
これはスピリチュアル・カウンセリングをしていただいたと思うのですが、
ふつうの(?)カウンセリングだったら、カウンセラーはどうしたらよかったのでしょうね。

父とこうすけの間の課題なのだから、
人の課題に介入しない、という公式で解けるかな。
あるいは、いわゆる人間智で
「年とった祖父母は、遠いところに住んでいる(曾)孫が帰省すると、この世であと何回会えるかを考えてしまう」(補正項2011年08月28日より)
と分かると、その方向にもっていけるのかな。

それから、クライエントとしてもうひとつ分かったのは、
私はいろいろな感情を表現するのに
「怒り」という形で出すことが多いみたい・・・ということです。
こわがっていたり
さみしがっていたり
なんだか微妙ないろんな感情を出すのに
あんまりパターンを学んでこなかったのかな。。。


まだまだ未熟者でございます。
今後とも精進いたします(^_^;)


family.jpg

カウンセラー養成講座(1)

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先月末、カウンセラー養成講座を見学させていただきました。
後半の最終日を含む金・土・日の3日間です。
濃密な学びの場に同席させていただき、
みなさま、本当にありがとうございましたm(_ _)m

受講生のみなさんは前の週から、実習に次ぐ実習を重ねてきているので、
このころになると、もう相談に出すネタがなくなっておられます。
いきおい、見学者のフレッシュな事例を求められることになりますので
私も少しでもお役に立てればと、事例を考えて行きました。
そして3回も、クライエントとして相談を出させていただきました。

残念ながら3回とも、受講生の方たち合格点には至らなかったのですが
上手に話を聞いてくださって学ぶことがとても多かったです。

1度目の相談では、
職場でのちょっと困っている人間関係についてお話ししました。
感情の種類(イライラ!)とその目的(ちゃんとしなさいよ!)を聞いていただき(^^;)
とてもていねいに整理していただきましたので、
この感情を使って目的は達成できない!ということがよく分かりました。

私にとってはここまで分かっただけで成長なのですが、
カウンセラー試験としては
「エピソードに戻って」考える作業がなかったので
惜しいところで不合格となられました。
(でもこの方、最終日には他のケースで合格されたので良かったですぅ)

2度目の相談では、
毎週通っている弓道教室の、ある先生との関わりを聞いていただきました。

ひとり、とっても怖い先生がいらっしゃって
私はいつもびくびくしてしまっているという話です。
どんなふうに怖いのか、何が怖いのか、いろいろ聞いていただくうちに
その先生は、意味なく怖いのではなくて厳しいのであって、
言われたことを守ってさえいれば、
構えや体配りが格段に上達しそうだということが分かりました。

ただし、私に「怒り」の感情があるのではないかと
カウンセラーさんは思われて、そこにこだわってしまわれたのかしら~?

カウンセリングの筋としては、
単にびびっている臆病なクライエント(=私です)を勇気づける
というのが正解だったのです。

20分のカウンセリングのあと、大きなJ先生からは
「武道を習うのは厳しい先生がいいです!」とご助言をいただき、
弓道経験者の方からは
「それは、ものすごくいい先生ですよ~!」と保証していただき、
おかげで、た~っぷり勇気づけられました(^_^)

そして3度目の話題は、私の親不孝物語なのですが
これが、実は最も学びの大きい
衝撃的なカウンセリングとなったのでありました。

(つづく)

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