2012年2月アーカイブ

瞋恚(しんに)

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さて2日目日曜日の瞑想ワークは、
秋から通っているチベット仏教講座と重なってしまっていました。

でもどちらの会場も、うちから徒歩圏内です・・・!
瞑想ワークは10時開始で午後5時終了。
仏教講座は少し遅めの11時開始で午後4時終了。

なので、朝は瞑想ワークの会場に行って
会場を整えたり受付業務をしたりして
それからそっと抜け出して、歩いて仏教講座の会場に行って、
また夕方に戻って、みなさんにさようならをする
という離れ業をすることにしました。
2兎を追って2兎を得るのです~(^_^)

まぁ、当然のことながら、疲れました(^^;)
夕方戻るときにはタクシー使ってしまいましたが、
なんとか両立することができて、濃い1日を過ごしました。

そして、おかげで
ふたつのお勉強がリンクして、
大きな学びがありました。


この日の仏教講座の講義は、
このブログでも何度かふれたことのある
シャーンティデーヴァの『入菩薩行論』でした。
その中の第6章「忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)」を読みました。

千劫にわたって積んできたもの、布施や諸仏への供養などによる善き行い、それらすべても、たった一つの怒りが打ち壊す。
The worship of the Sugatas, generosity, and good conduct performed throughout thousands of aeons -- hatred destroys it all.

瞋恚(=強い怒り)のごとき罪はなく、忍耐のごとき苦行はない。それゆえ忍耐に注目し、さまざまな方法で修するべきである。
There is no evil equal to hatred, and no spiritual practice equal to forbearance. Therefore one should develop forbearance by various means, with great effort.

先生のご説明では、小さな火があっという間に枯れ草を燃やしてしまう如く
ほんの一瞬の小さな怒りが、
過去生から今までの全ての善業を無にしてしまう、ということでした。
おそろしいですね。
もったいないですね!

また怒りは、相手に害を与えると同時に
怒りを起こした人自身に「心臓に矢が刺さったような」強い苦しみを生じさせます。

つまり怒りは、
今生については、自分にとっても相手にとっても害にしかならないし
せっかく重ねてきた過去生の善業を全て打ち砕いてしまうし、
よって、来生のよい生まれ変わり(転生)を難しくしてしまいます。
ですから、怒りに対治するもの「忍耐」を学ばなければなりません。

というところで生徒から質問が出ました。

生徒「怒りが悪いものだということは、よくわかったんですけど、場合によっては、相手に怒りを見せた方がいいこともありますよね~」

先生は、「場合?ええっと、自分が怒りをもった、悪いことをした、ということに気がついたら、それを相手に伝えるのは大事です。そういう質問ですか?」

あらら、まったくすれ違っています。
先生は発想そのものが違っておられるようです。

生徒「いえあの、相手が自分に対してひどいことをして、害を与えてきた場合に」
先生「相手が害を。はい」
生徒「それに対して、どうしても怒りをもつじゃないですか~そういうとき、こちらが怒っているということを伝えた方が・・・」
先生「怒りをもたないのがいいです」
生徒「それだったら、やられっぱなしになってしまうと思うんですが」
先生「?」
生徒「相手が自分に害を与えてくるときにも、忍耐をするんですか?」
先生「そうです!

この、先生の「そうです!」に、鳥肌がたってしまいました。
ああ、本物だ。。。と感じました。

生徒「ではそんなときでも、怒りの代わりに忍耐をもってくるのですか?」
先生「そうそう。怒ることの対治が忍耐です」
生徒「むずかしいですね・・・」
先生「むずかしいです。それは無理矢理でなく、よく考えます。たとえば相手もしょうがないという事情があるかもしれない。相手もまだ臆念、正知がないからね。あるいは相手は、こちらに忍耐をさせます。これほど素晴らしい苦行はないと書いてあります」

「楽・幸せの原因は、善です。怒りの結果は、大きな苦です。怒りの対治は、害などに対して忍耐することです。忍耐を修習する仕方はこれから出てきます。まず怒りを起こしてしまう原因を考えます」
・・・と講義は続きました。

先生のこの全面的な YES! に比べ
私は、前日の観想の如く、
なんとちっぽけなことに瞋恚という大きな罪を
繰り返し犯していることか!
なんて私は愚かなんでしょう。


考えてみてください。
先生は日本在住の亡命チベット人です。

この仏教講義に政治的な話を持ち込もうとする生徒はひとりもいません。
しかしみな、少なくともチベット仏教を学び、
チベット語でお経を読もうとしている人たちですから、
いまチベットで起こっていることについて
おそらく一般の日本人に比べると、かなり高い関心をもっています。
そういう中で出た質問だったと思います。

こちらにひどい害を与えてくる人に
どんなにされても忍耐するんですか・・・?

そうです!

ダライ・ラマ法王や、高名なリンポチェのお言葉ではありません。、
還俗したごく普通の先生が小さな教室でわずかな聞き手を前にして
たまたま表明してくださった
仏さまへの全面的な帰依に
私はとても感動しました。

仏教は、この人の中に生きています。

この一言をお聞きするために
今日は忙しい離れ業をしたのかもしれないな・・・
と思いました。

瞑想ワーク

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先週末、うちの近所の会場で瞑想実験ワークがありました。

土曜日は朝10時から夕方5時まで、
昨年末のASMIから始まったチベット式の瞑想法を教えていただきました。
私はASMIに行かなかったので、きちんと習うのは初めてです。

座り方から始まって
呼吸を整えて
自分を浄めて
結界をはって
そうしてようやく瞑想の本体(観想)に入ります。

教えていただいた方法で心を静めて
脈菅に沿ってエネルギーを上げると
とても瞑想に入りやすい気がしました。
また、自分が光の結界の中に入っているようなイメージももつので
守られている感じが強くて
わりと簡単に、まわりのことに気が散らなくなります。


suncatcher.jpg「愛する人たちを癒す観想」では、
自分の胸のチャクラにある小さな水晶の玉から
七色の虹の光が出て、それが相手の胸に届くようイメージしました。

キラキラときれいですww
こういうヴィジュアルなイメージもん(^o^)は大好きです。
それに、我が家の窓辺にはサンキャッチャーがあって
晴れた日はいつも、部屋じゅうに虹を放ってくれますから
水晶玉からの光、イメージしやすいです♪

「憎しみを捨てる観想」では、
自分の怒りや憎しみを手のひらに乗せて
それを、目の前にイメージした忿怒相の菩薩さまに差し出して、
食べていただくということをしました。

どんな菩薩さまをイメージしてもいいのですが
思いっきり怖いお姿にするのがいいと言われました。

それで、私は女性の菩薩さまにしました。
髪を振り乱して真っ赤なお姿で
黄色い目をギラリと光らせて
横目で私を見ながら、
ぱくぱくぱくっと私の怒りを食べられます。

vajrayogini_900.jpgところが、食べていただいても食べていただいても
あとからあとから、怒りや憎しみが出てきて
自分でもびっくりしたのでした。

そんなに怒って暮らしていると自分では思わないのですけど
ちょっとした怒り、不快感なら、思いつきます。。。
怖ろしい菩薩さまにそれを食べていただくほどに、
私の中から
そうですね、魚のはらわたみたいにずるずるずるっと
赤黒い怒りが連なって出てきて

ほんとにちょっとした不快と感じていたものが
案外、相当、恨みが深かったことを
思い知らされたのでした。

もう十分きれいになったかなと思ったら
「愛する人たちを癒す観想」をして
その相手に七色の光を届けて仕上げます。

怒りや不快感のきっかけだった相手に対しては
ほんとうにきれいに、マイナス感情が無くなっていました~

しかし、お腹の底の方にあった、あの黒い大きなものはなんだったんだろう?
あれは怒りなのかな、欲なのかな、愚かさなのかな
なんにせよ、醜いもののようでした。
あるいは、これが無始以来積み重ねてきた悪業の一部なのかしら?

毎朝、神棚に手を合わせて「祓え給え、浄め給え」と
唱えているのですが(^^;)

なかなか業が深いようでして
自分の底の方にあるまだまだ黒いものに
残念ながら、気がついてしまったのでした。

パセージ・プラス2月

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だいぶご無沙汰しておりました。
チベットで起こっていることがますます酷くなってきているので
毎日そんな情報ばかりインターネットで得ていると
なんだか何もしゃべれなくなってしまいました。。。

でも、気をとりなおして、
先週末のパセージ・プラスのシェアリングをしたいと思いまーす。
なんといっても、「アルフレート」はアドラー心理学のブログですからねっ(いちおう^^;)

パセージ・プラスβ版も、1月のα版と同じく、
午前中は「私的感覚」を見つけるワーク(第1章)をしました。
しょっちゅうメンバーを変えて3人組になって事例を出し合うので、
ほんとうに練習になります。

全体シェアリングのときに先生に質問をすれば、さらにお得です。
みんなの前で先生が、最初からエピソードを聴いてくださって
対処行動、現状、劣等感、私的感覚と、すらすら解いてもらえます。
これが、質問の仕方、話の聴き方、私的感覚の見つけ方の
とってもよいモデルになります。

私的感覚を見つけるには、なんといっても場数が大事。
浴びるほどたくさんの事例を聴いて
ひとつひとつ公式に当てはめて練習していけば
きっと上達するでしょう!
ね?(^^)

次に、そうやって見つけた自分の私的感覚が、
協力的なものか、あるいは競合的なものかを考えます。

いろいろ定義はありますが、
私の理解したところでは、まあぶっちゃけ、
私が上で相手が下、私が正しくて相手が間違っている、とかやっていたら
競合的ですわww

競合的な目標で行動していると、相手を勇気づけることができません。
ですからアドラー心理学を学ぶ身としましては
別の私的感覚を探して、協力的な目標に変えたいものだと思います。
でも、どうやって?

ここからが、今回のパセージ・プラスにおける
私にとっての目からウロコの新しい学びでありました。
両日とも午後からは、「相手の私的感覚」を想像して
それを手がかりに、相手とよりよい関係を築く方法を考えました。


たとえば、私の事例です(こうすけネタではありませ~ん ^^ )

ある仲のよい友だちと話していて、ときどき少しイラッとすることがあるのです。
話が盛り上がっている最中に、話を全く別の方向にふられるようなときです。
先日も、会話の途中で急に、それまでと全く関係のない
「誰それさんが◆□▲▽□!」という話を出されたので
(またか)と思いながら「私に言われてもね~」と返事をしました。
そのあとは、もとの話題に戻りました。

対処行動:「私に言われてもね~」と言った
現状:友だちの話が突然関係のないところに飛ぶ
感情:イラッ
私的感覚:友だちが「あ、ごめんごめん、この話していたんじゃなかったね」と話を戻してくれること

さてこれは協力的目標でしょうか、競合的目標でしょうか?
実は、「あなたは間違っている!もっと正しく筋道だてて話をするべきよ!」
と私は思っているのです~(^^;)
はい、立派に競合的目標ですw

「私は正しい・あなたは間違っている」は競合的ですが
なにも「私は間違っている」なんて思わなくてもいいんですよね!
要は「あなたは間違っている」っていう価値判断から抜け出せばいいので、
そうすれば「私は正しい・あなたも正しい」の平等の位置に行くことができます。


では次に、友だちの私的感覚を考えてみます。
エピソードの中で見えているのは、行動だけですから、
他の項目は全てゲッシングです。

相手の行動:「誰それさんが◆□▲▽□!」と話す

想像上の相手の現状:たぶん、誰それさんが◆□▲▽□ということ
想像上の相手の感情:不安かな?怒りだったのかもしれないな
想像上の相手の私的感覚:友だち(=私)に誰それさんの話を聞いてもらうこと♪

ここまで考えて、あ、そうなんだ、って気がつきました。
友だちはひょっとしたら
「この人(=私)に言ったらわかってくれる♪」って思っていたのかもしれません。
少なくとも、筋道だててわかりやすく話をしようなんていう意識は
これっぽっちもなかったんでしょうね。

なぁんだ。
2人がまったく違う私的感覚を追求していたんだ~(^o^;)
この2つの私的感覚、どこかですりあわせることはできないでしょうか?

できそうです!
なぜなら私は彼女とよりよい関係を築きたいと思っていますから
彼女の私的感覚に沿って、しかも私の私的感覚も伝えればよいのです。

たとえば、突然「誰それさんが◆□▲▽□!」って言われたら、
「そうね。困ったね」とまず受けて、それから
「でも、ちょっとついていけないわ。もう少しわかるように話してもらえる?」
と言ってみましょうか(^_^)

あぁ、そんなふうに言えたなら、
私、もうちょっとやさしくなれるかもしれません!
♪キラキラキラ~♪


パセージにも、不適切な行動の5つの目的が少しだけ書かれていますが、
相手の目的(私的感覚)は、いくら考えても想像の域を出ないものだし
ヘタをすれば「相手を変える」方向に使ってしまいそうな気がして
これまで私は、自助グループなどで使うのをなるべく避けてきました。

しかし、あくまで「変わるのは自分」。
まず自分の私的感覚を点検した上で相手のことも理解し、
「相手を変えない」ということをきちんと押さえておけば

これはめちゃくちゃ強力な方法ではないかと思います。
この流れが、そのままカウンセリングですもん!

というわけで、あいかわらず自分の私的感覚を見つけるときは
笑っちゃうぐらいに痛い(>_<)のですけど
こうやってひとつずつ手順を踏んでいくと
とてもキラキラの代替案にたどり着くことができたのでした。

おもしろいですね~
パセージもいいですけど
こうやってすっきり解けるの好きかも。

ご一緒したみなさま、どうもありがとうございました。

lhasa.jpg

インターネットで見つけた画像です。
夏空の下のポタラ宮と、祈る僧侶のシルエットが美しいです。
突然話が飛ぶのは、人のこと言えませんな~

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