2012年3月アーカイブ

パセージ・プラス3月

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さてパセージ・プラス実験セッションの3回目。
元町を歩いてノスタルジックになっていただけではありません。
ちゃぁんとお勉強もしてきました。

今回とっても印象的だったのは

対処行動や感情がさまざまであっても
ひとつのエピソードの中では
私的感覚は同じ!
ということでした。

これってちょっとびっくりしませんか?


エピソードから私的感覚を探し出したあとに
「ここ何年も、同じ相手に対して
ケンカをしたり、言い方を変えてみたり、黙ってみたり、
いろんなことをしてきたけど
この相手をこんなふうに変えたい!
という私的感覚の方向はず~っといっしょでした!」
と、言った方がおられました。

なるほど~私も思い当たります。
うまくいっていない相手との間では
いろいろ工夫してみるものの
相手への願い(野望?)は同じなので
一時的あるいは表面的にうまくいっても
実は解決していなかったりします。。。

こんなふうに、複数のエピソードを通して私的感覚が同じこともあるのですが
それでは、ひとつのエピソードの中で
いろんな感情が出たり
いろんな対処行動をしている場合、
それぞれの行動にくっついている私的感覚はどうなっているのでしょう?

先生は、ひとつのエピソードの中では
どこをとっても私的感覚はいっしょだ
とおっしゃいました。

へええ、そうなのか~
と思っていたら
ちょうど、あるひとつのエピソードの中で
感情がいくつか動いて
対処行動もいくつかあったという方がおられました。

グループワークの中でしたが時間に余裕があったので
その方の怒りマックスのところと
フリーズしたところと
それぞれの対処行動を取り出して、それぞれの私的感覚を考えてみました!

(私的感覚を見つけやすいのは、
大きく感情が動いたところ、あるいは
相手への影響の大きかったところなのだそうです。
実際のクライエントさん相手には、こんな実験しない方がいいと思います ^^;)

どうなるかな。
わくわく。


ほんとに驚くべきことに!!
その方が問題ととらえていた現状も
そこで起こった感情も
とった対処行動も
まったく違うのに、
私的感覚(その場で願っていたキラキラ)は
たしかにまったく同じだったのです!
(爆笑)

同じ一つの私的感覚を達成するために
(この場合は、子どもに~~になってもらいたい☆)
人は、なんていろんな方法を編み出すことでしょう~~
と、感動。

手を変え品を変えいろんなことをやってもうまくいかないのは、
・・・・
たぶんその私的感覚が競合的だからです。
と、パセージ・プラスのテキストに書いてあります。。。

相手役である子どもの私的感覚も認め
その方の私的感覚から「やらせよう」という部分を取り除けば、
協力的に問題を解決できることがわかりました ♪

いっしょに検証してお勉強したグループの方々、
どうもありがとうございました!


さて、よし、私的感覚、ばっちりわかった!
みたいにいい気になっていたら
最後にまた混乱してしまいました orz

先生が私的感覚は「行為ではなくて状態」
つまり do ではなくて be だとおっしゃったことから
「ざっくり」考えることを忘れて
悪い癖でまた細かく考えすぎて

最後の最後のグループワークのときに
現状とあまりつながらない私的感覚を提案してしまいました。
そのとき同じグループだった方々、ゴメンナサイ。

やっぱりパセージ・プラスは
対処行動とその根っこ(現状)からぜったいに離れないこと!
それと

ざっくり
ざっくり
ざっくり、がいいみたいですね。

元町今昔

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3月のパセージ・プラスは
JR神戸駅から少し東に歩いた会場で行いました。
夕方5時ごろワークが終わって外にでると
まだ明るい春の夕方、雨もあがって暖かい。。。

気持ちがいいので、ぶらぶらと、
元町通りを歩いて帰ることにしました。

神戸は北に山、南に海、市街はその間に細長く延びています。
中央区の三宮駅周辺が一番の繁華街ですが
古くから栄えたのは、三宮よりも西に続く元町通り商店街です。

JR三宮駅のひとつ西が元町駅、そのもうひとつ西が神戸駅。
会場から北東に少し歩けば、元町商店街の西のはしに行き当たります。

野田先生も補正項に書いておられましたが、
私は私の視点から
元町について書いてみようと思います。


私の母の実家は、母の小さい頃は
神戸の熊内というところで大きな家を構えていたそうですが
空襲で焼け出されて、元町商店街に面した家に移りました。
商店街の5丁目と6丁目の間です。

若くして死んだ私の会ったことのない祖父は、そこで質屋を営みました。
なんでも、大きなお蔵だけが焼け残ったということでしたから
質屋が始めやすかったのかもしれません。
祖父が亡くなったあと祖母はがんばって
母をはじめとする姉妹を嫁がせました。
母の弟の叔父が、質屋を継ぎました。

祖母のいた頃、年に何回かは、この家に集まったものでした。
かしましい母の3人の姉たちと、祖母と同居の叔父家族。
私は従姉妹たちと遊ぶのも楽しみだったし
陽気な伯母たちに会うのもうれしかったです。

家の2階の窓は、商店街に面していました。
窓を開けると、すぐのところにアーケードの鉄の脚が立っていて
そこに電飾の看板がついているのが、前から気になっていました。
ある日、ふと、届くかな?と窓から手を伸ばして鉄の枠に触ってみました。
今でもその錆びた色を覚えています。
とたんに、どこからか見ていた祖母に
「危ない!感電する!」と叱られてしまいました。

早期回想ですね。
従姉妹たちの前で叱られてバツが悪かったのと
ほんとに感電するのかな、と怖くなったのを覚えています。
べつに感電なんかしないんですけど(^^;)
祖母は、窓から落ちたらいけないと思ったのかもしれません。

叔父も亡くなった今は、従妹の家族が叔母と住んでいるはずですが
神戸に住んでいた頃でも、買い物はほとんど三宮で済ませていたので
5丁目・6丁目のような西の端まで来ることはありませんでした。
だからこの家の前を通るのは20年ぶりぐらいです!

商店街に面した土地には2軒の店子、古美術商と骨董屋が入っていました。
例の看板も、同じ場所にありました。
もっとも、アーケードも街灯も、
阪神大震災の後、すべて新しく作り替えられています。

質屋の入り口は、昔から角を曲がった裏手にあったのですが、
覗いて見ると、やっぱりまだそこに、ひっそりと店の名が出ていました。


motomachi.jpg元町通り商店街は
1丁目から6丁目まで
ずっとアーケードが続いています。
1丁目の端には今も大丸が
6丁目の端には昔は三越がありました。

スズランの花をかたどった街灯を
父母は「スズラン灯」と呼びました。

母の実家があったからか、
両親ともに元町が好きだったのか、
休日のお出かけは
元町に行くことが多かったです。

ゆっくり歩いていると、いろんなことを思い出しました。

外食は、洋食なら「ハナワグリル」。
大きな貝の器に入れて焼いたコキールが大好きでした。
行くと必ず、ハナワグリルのロゴの形の画用紙がもらえました。
「ロッグキャビン」というお店にも何度か行きました。
これは2丁目の北側、記憶どおりの場所に今もありました。

中華なら「第一楼」か「神仙閣」。
あのころの神戸の大きな中華料理店は、みなビルを持っていました。
個室がいくつもあって、
エレベータも混んでいて中国語が飛び交い、
すごく活気がありました。
神戸では、親戚が集まるときは中華料理、というのがパターンでした。
いま観光客で賑わっている中華街なんて、まだ作られていない頃です。

こうしたお店はみな、本通りからはずれた所にありました。
今はもう私も、行くとしたら、ググってからでないとわからないです。
それに、料理屋さんの法則というのがあって、
 1)安くてまずい
 2)安くておいしい
 3)高くておいしい
 4)高くてまずい
の順に、必ず進化するものらしいので(^^;)
両親に連れて行ってもらった頃は、きっと2)だったでしょうから、
今はどう進化しているのやら。ですね。

昔は、元町を歩いていると
絵に描いたようなセーラー服を着た青い目の水兵さんが
数人で遊びに来ているのに出会ったりしたものでしたが

今はなんだか、そういうの全くないです。
神戸も外国船がほとんど来なくなって久しく、
行き交うのは、インドを含むアジア系の方が多いです。

大きくなってからは
男の子とのデートに、ちょくちょく元町まで来たものです。
三宮よりも混んでいないし、
個性的な舶来雑貨のお店などが多いのです。

結婚してからは、毎日の用事に追われてあまり来なかったけれど、
それでもファミリアの本店で子どものよそ行きを買うとか
お絵かきコンクールで息子の絵が張り出されたりとか
YAMAHAで娘の吹奏楽の楽譜を探すとか
丸善で自分のために洋書を買うとか、なんやかんやで
2丁目ぐらいまでは、ときどき来たものです。

motomachi2.jpgいま、3丁目から西の元町通りには
おしゃれなケーキ屋さんがたくさん出来て、
コーヒーのチェーン店はないけれど
「珈琲館」という雰囲気の喫茶店がたくさんあります。

安くで済ませるなら三宮周辺が便利ですが、
お金をかけてもゆっくり過ごしたいなら
元町の方がいいなぁ。

神戸に住む日が再びくるかどうかわからないですけど、
もしも、いつか両親の家に帰って住むことがあるとしたら
またときどきは元町に出て、ぶらぶら歩きしたいな~と思います。

ちょっとぐらいお金がかかってもいいから、ゆったりと生活を楽しみたい。
ぼつぼつそんなことの言える年齢に
なったということなんでしょうね(^^;)

こうすけと会話

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ninjin6.jpg3月9日から13日まで、鳥取に行っていました。
4泊5日、娘の家にお泊まりする最長記録でした。
まだまだ寒くて
朝起きたら雪が積もっていたりして(*_*)
やっぱり北国なのでした。

1歳4ヶ月になったこうすけと、思う存分遊んできました。
なにがおもしろいといって、
わずかなボキャブラリーを駆使するこうすけと
コミュニケーションをとっていく醍醐味が(笑)
まだ一語文ですが
おもしろいんですよ~

言葉がまだまだ未分化なので
大人にとってはひとつの単語でも
こうすけにとっては、いろんな意味がついているみたいです。

あるいは、大人には同じに聞こえるけれど
こうすけにしたら、ちゃんと区別して言っているのかもしれません。

言葉を発しながら大人の反応を見て
これでいいのかな?合っているのかな?って
たしかめながら学んでいるような気もします。

そして一緒に過ごすうちに
ひとつの単語でも言い方によって
要求とか確認とか、いろんな意味がこもっているのだなと
なんとなく想像できるようになってきました。

ninjin3.jpgこの発達の時期のこうすけに
しばしお付き合いできたのは
とっても幸せだったなって思います。


たとえば、「にんじん」という単語・・・
こうすけにとって、かなりスペシャルな単語です。

農学者の息子であるこうすけは
3食お米をたっぷり食べる日本男児です。
まだあまりお肉は食べていなくて野菜中心なのだけど
特に人参がお気に入りです。
そして・・・なんとおいしいものは全てが「にんじん」なのです。

こ「まんま!まんま!」(=おなかすいた、すいた)
娘「まんまできたよ~食べようね」
こ「にんじん?」(=にんじんあるの?)
娘「にんじん、どうぞ」
こ「にんじん?にんじん?にんじん?にんじん?」(=ちょうだい、ちょうだい)
娘「はいどうぞ」
こ「にんじん!にんじん!」(=おいしい、おいしい)
・・・もぐもぐもぐ・・・
こ「にんじん?にんじん?」(=ちょうだい、ちょうだい)

かっこ内は私ども(娘と私)が類推したこうすけの思考です。
微妙な違いがお分かりいただけるでしょうか?(笑)

ninjin7.jpgしかも、赤いものも全て「にんじん」と呼んでいます。
赤いクレヨンを指して「にんじん?」(=これ、にんじんだよね)
私「クレヨンよ」
こ「にんじん?」(=にんじんでしょ?)
私「ううん、クレヨン。赤いクレヨンね」
こ「にんじん?」(=え、にんじんじゃないの?)
私「クレヨン」
こ「にんじん?」(=にんじんでしょ?)
私「クレヨン」
・・・・・・・

ごはんのときの断定口調の「にんじん!」あるいは
次のひとさじを要求する「にんじん?」ではなくて
「にんじん?」と問いかけている感じがあったので
妄想かもしれませんが(^^;)
問いへの答えとして「クレヨンよ」を繰り返しました。
延々と(笑)

ninjin5.jpg「どうじょ」も重要語彙で、どうやら
Please do it とか Please do it again の意味をもつようです。
もっとごはんを欲しいとき「どうじょ」
絵本をもう一度読んでほしいとき「どうじょ」
歌を歌ってあげたり
ちょっと目新しい遊びをしたら
期待に満ちた目で
「どうじょ!」「どうじょ!」「どうじょ!」と繰り返すので
あまりにもかわいくって、何度でもやってあげます(^_^;)

あるいは、こういうのもあります。
こうすけは少し湿疹が出ているので
いつもお風呂上がりに薬を塗ることになっています。
薬を塗ることを「ぬりぬり」と娘が言うので真似して、
でもうまく言えなくて、なぜか「にぇんの」という発音になります。

お風呂上がりのこうすけの体を私が拭いてあげていると
ベビー箪笥の上に置いてある薬を指さして
「にぇんの」「にぇんの」(=にぇんの、あそこにあるよ)と教えてくれます。

「わかった、ぬりぬりしようね~」と薬を手に取ると、
自分のひじの内側をさわって「にぇんの」(=ここにぬって)
足首の赤くなっているところを指して「にぇんの」(=ここにもぬって)
と、いちいち教えてくれます。

たまたま私の腕にも少し赤くなっているところがあって
それを見たこうすけ、大発見に驚いて
「にぇんの!」(にぇんのだー!)
(^_^)


お母さんのことは「たーたん」
お父さんのことは「とーと」
お母さんのお友達のことは「ねーね」
(みんなまだ20台ですからね)

私は、ふつうに「ばーば」になってしまいました。

「ねーね」と呼ばせてやろうかとも思ったのですが
娘に「ややこしくなるからやめて!」と止められました。
くっ(-ε-)残念。

「じーじ」は、おじいちゃんのことだけでなく、
ややこしいことに、どうやら he と it の両方を指すようです。
絵本に出てくる人間はみな「じーじ」、
ライオンやゾウなんかも「じーじ」です。
お散歩に出たときにすれちがうお兄さんもおじさんについても
みな「じーじ!」「じーじ!」と指さすので
そのたび娘は小声で
「ちがうよ、じーじじゃないよ」と教えているのだそうです(^^;)

ninjin9.jpg私のパソコンのデスクトップには、ダライラマ法王のお写真を入れています。
それをひと目見たこうすけ、「じーじ!」
そ、そんな親しげに・・・
確かにじーじですが。

いっしょにいる数日のうちにも
日に日に出来ることが増えて、新しい言葉を覚えていきました。
ものすごい速度で成長しているんですね。

ブロックは凹凸がうまく合えば、
力任せでひっつけることができますが
積み木は
そっと上に置いて、そっと手を離さなければ積めません。

私の目の前で初めて上手に積み木を積めたとき
こうすけは「ひーっついた!」と
ブロックをひっつけた時と同じように叫びました。

私の方は「できたね~!」と喜びました。
そのうちにこうすけもうれしそうに
「でった!」と繰り返すようになりました。
一つ積むたびに「できた、できた」と手を叩くと
「でった、でった」とぱちぱちして喜びました。

いっしょに喜んでいる感じがすご~くしました(^o^)
言葉を共有するってスゴイことですね。

「じょうず~!」と言うと
「じょーず!じょーず!」も言うようになりました。
うまく積めるたびに「でった!じょーず!」と手を叩きます。

あるいは、飛行機のおもちゃを「びゅぅ~ん」と
こうすけの頭の上で飛ばしたら、すぐに覚えて、
私がいなくてもひとりで精一杯背伸びしているので
何をしているのかと思ったら(^^)
「びゅ~」と言いながらおもちゃを高くかかげていました。
(飛行機だけじゃなく、車も上げていましたが・・・)

ninjin2.jpgおもちゃのピアノを弾いてあげると
駆け寄って鍵盤をばんばん叩きます。
一瞬、こうすけと連弾をしているみたいで
これまたしあわせ(^o^)

自分の子育てのときも、同じように遊んでいたと思うのですけど
やっぱり余裕がなかったのでしょうか
今ほど、無条件に楽しんでいなかった気がします~。

現役母親時代、私はわりと新生児フェチで
くた~っとたよりない新生児期をこよなく愛していたのですが

ただただ遊んでおればよいおばあちゃんという特権を享受している今(笑)
反応があって意思疎通できる方が断然おもしろいなあ~と感じます。

ただ、今回は寒かったので、
こうすけがおもちゃや絵本をどんどんこっちに運んで来てくれて
私の方は、ホットカーペットから一歩も出ずに遊べたのでした。
春になって
彼が外を走り回るようになったら、ついていけないかもしれませんね~

ninjin10.jpg

トゥルク

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チベット語レッスンで「トゥルクTulku 」という単語を覚えました。
そこでトゥルクつながりのお話。
おひまな方だけどうぞお付き合いください。

ご存知のように仏教徒は輪廻転生を信じています。
が、覚りの境地に達した仏陀は、もう転生をなさいません。
六道輪廻の輪の外に出てしまわれます。
ただ衆生に対する慈悲のあまり、
この世の姿で私たちの前に現れてくださることがあります。
それが仏陀の応身(おうじん)=トゥルクです。

チベット仏教独特の「転生活仏」も、トゥルクといいます。
トゥルクはたくさんおられるようですが
たいへん高位のトゥルクがお亡くなりになると
夢見や予言などによって、チベット中に僧が派遣され、
転生者を捜索して、さまざまなテストや手続きを経た上で認定されます。

ダライ・ラマは
観自在菩薩の生まれ変わりのトゥルクでおられます。
現法王は14世。
映画「クンドゥン」に、幼いラマさまが探し出される場面がありました~

ところでダライ・ラマと並んで高位のトゥルクは、
パンチェン・ラマとおっしゃいます。
こちらは阿弥陀如来の化身とされています。

パンチェン・ラマ10世は、ダライ・ラマ14世猊下より3歳ほど年下で
1959年に猊下が亡命された後も、チベットに残られました。
中国共産党は彼を「教育」してダライ・ラマに対抗させ、
中国寄りのチベット民族指導者に仕立て上げようとしました。

しかし1962年、パンチェン・ラマは
中国のチベット支配を批判した七万語にもおよぶ文書を発表します。
さらに1964年、ラサの大祈願祭(モンラム・チェンモ)において
ダライ・ラマ批判を命令されていたにもかかわらず、
検閲を通した予定原稿を読まずに、
「ダライ・ラマ法王はチベットの真の指導者であり、法王は必ずやチベットに復帰されるであろう。ダライ・ラマ法王万歳!」
と演説されました。

私はこういう話に弱くて
すぐ感動して鳥肌がたってしまいます・・・。
あまりいい写真がないので、YOU TUBEの動画を貼り付けておきます。
体格のよいおじさんです(^^)
(もしもこの動画の音楽も楽しめるようでしたら
あなたは立派なチベットフリークです^o^)

3分すぎぐらいから、車で移動するパンチェン・ラマを
どこまでもどこまでも馬で追いかけて
護衛するかのようなチベットの人たち。
その心を思うと涙がでます。

当然のことながら中国共産党は激怒し、彼を10年にわたり投獄しました。
その後も北京で軟禁状態におかれていましたが
1989年、公の場で再び、用意された原稿を無視して
中国のチベット統治の誤りを告発する演説を行いました。

そのわずか5日後の1989年1月28日、急逝されました。
自室で心臓発作を起こしたということですが
一説によると毒殺ではないかと。

ダライ・ラマ法王が激動の人生送ってこられたことは有名ですが
中国に残ったパンチェン・ラマ10世の苦しさ、立場の難しさは
想像を絶するものがあったと思われます。
文字通り命を賭した決断が何度もあったのではないでしょうか(;_;)

そのパンチェン・ラマ10世の生まれ変わりと認定された
6歳のパンチェン・ラマ11世は、1995年、
認定3日後に、母親とともに行方不明になり
いまだその生死もわからないのです。
中国は、ダライ・ラマ法王の認定を認めず、
捜索に当たった高僧たちを処罰し、
別のパンチェン・ラマ11世をたてています。。。


この陰謀と捏造に満ちた歴史の中で
(映画のようですが、隣の国で現在進行形で起こっていることです)
もう1人の大切なトゥルクがおられます。
カルマパ17世です☆

ダライ・ラマとパンチェン・ラマが
チベット仏教のゲルク派のトゥルクであるのに対し、
カルマパはカルマ・カギュ派のトゥルクです。

カルマパ16世はダライ・ラマ法王と同時期に亡命し、アメリカで亡くなりました。
1992年、転生者として発見された8歳のカルマパ17世は
ダライ・ラマ法王に認定され、中国もこれを認め
パンチェン・ラマに替わる親中国のチベット指導者に育てられようとしていました。

ところが14歳になったカルマパ少年は
1999年12月28日、中国政府の番人たちの目をそらせ
お寺の寝室から脱出したのです!

車、徒歩、ヘリコプターも使ったと言われています。
国境を越え、ネパールを経由してインドへ。
2000年1月5日早朝に、ダラムサラに到着しました。
8日間にわたる厳寒の逃走に、
カルマパの足は凍傷、顔の皮膚もひび割れていたということです。

carmapa.jpgこの突然のインド亡命は、当時のチベット関係者を熱狂させました。
若いカルマパ17世はチベットの希望の星なのです。

その後ダラムサラのギュート寺で修行を積み、いま27歳。
ダライ・ラマ猊下のおそばによく写っていらっしゃいます。
なかなかイケメンでございましょう?
私のお気に入りでございます(^-^)

こんな逸話があるそうです。
カルマパまだお小さいころ、
江沢民主席が、カターをお首に掛けようとしたところ、
江沢民主席の手からカターを奪い取ったとか(^o^)

・・・カターは白いスカーフで、渡すことで相手への心からの敬意を示します。
目上の者が、相手の首にかけるシキタリで
目下の者は、目上の者に対しては、その御前に捧げ出すシキタリ。
対等の場合は、お互いに手首に掛け合うのだそうです・・・

するどい眼光ですね。
どんなに「愛国的」教育を受けてもブレない。。。
カルマパの賢さもさることながら
周囲のチベット人たちが、少年を洗脳から守ったのでしょう。
おそらくは身を危険にさらして。


ダライ・ラマ14世猊下はもちろんですが
パンチェン・ラマ10世も
カルマパ17世も
そしてその周りの人々も、
祖国のため民のため教えのため
命を賭けて、出来る限りのことをしておられます。

この世でなすべきことをなす・・・
そのために生まれてきた・・・という意味では
背負う責任の重さや能力や出自は比べようがないほど違うけれど

私たちもみなトゥルクかもしれない
と思うのでありました。

hishollinessjpg.jpg

1度目が昨年の12月10日でしたから
ほぼ3ヶ月ぶり、
再びタンカ絵師のチベット語先生に来ていただきました。
このたびは、お友だち達もご一緒です。

「チベット語」を習うというとまるで
チベット語で会話をやっているように聞こえるかもしれませんが
ではなくて、正確にいうと「チベット文字」を習う、
しかも「作文」については、はなから考えていなくて、
文語の「読み」と最低限の「文法」に特化して教えていただいています。
目的が同じ同好の士がいらして、ほんとによかったです(^^)

前回は単語・・・名詞と形容詞まででしたが
今回は、助詞を学びました。
日本語でいえば「~の」とか「~に」、
主語を表す「~は」、
「~である」「~でない」などなど習ったので、
少しは文の読み方が分かるようになってきました。

チベット語って、どこでどう区切るかの手がかりが、極端に少ないんですよ~
日本語は漢字かな交じり文だから、手がかり多いですね。
英語なら、単語ごとにスペースが入るじゃないですか。

チベットでは、「ツェク」という小さな点が各音節の右肩につきますが
音節を分けるものであって、単語を分けるものではありません。
なので、習った助詞を目印にして、やっと
どこまでがひとつの単語なのか、
またその単語どうしがどう係っているのか、
tibetan3,jpg.jpgようやく見当がつくというわけです。

チベット語のフォントはパソコンに入っていないので
学んだ文を載せることができません。
右はインターネットにあった画像です。
参考までに。


使っているテキスト「チベット語文語文法」の例語や例文は
当たり前といえば当たり前だけど、ほとんどすべて仏教関係です。
ときには般若心経の一節が引用してあったりします。

ところどころまとめてある「記憶すべき単語」というのも、
「本」とか「手」とか「窓」とかじゃないんですよ。
「聖典」とか「覚り」とか「煩悩」です・・・(^^;)
「声聞独覚」「寂滅」「空行母」なんてのになってくると
日本語の意味もおぼつかなく
笑うしかなくなります・・・ははは。

さて、お昼ごはんのとき先生に
「今日はどこまで進まれますか?」とお尋ねしたら
先生、にっこり笑って「誰かひとりが倒れるまでっ」
(爆!)

結局、9時半から始めて、休憩をはさんで3時すぎまで
正味5時間、ひたすら前進し続けました。
こんなにスパルタで勉強するのって
少なくとも私は、学生のときにもなかったですね!

ただ、合間にちょくちょく雑談もして
先生のチベットのお友だちのお話や
チベット人の気風の、おおざっぱなところや、
そうかと思うとめちゃくちゃ綿密なところや
いろんなエピソードをお聞きして、とても楽しかったです。

それに、ちょっとずつ単語が増えてきて
四苦八苦して読む文の中に、
意味のわかる言葉が見つかるときもたま~にあって、
そんなときは、とてもうれしいのでした♪

前回と違ってマンツーマンじゃなかったので
終わったあとの脳のへろへろ度合いも、だいぶマシでした。
このあと爆睡しなくても、もちましたから。

ちょっとずつではありますが、
身についてきていることは確かです!(^_^)v
・・・と、自分を勇気づけるのでありました。


先週の木曜日にコンタクトを破損してから
金曜に息子の卒展へ行き、
土曜に講演会を開催し
日曜にチベット語レッスン、
と行事続きでしたが、なんとか乗り切りました。
月曜にようやく、新しいコンタクトをゲットできました。

さすがに疲れました~
高いけど、遠近両用の眼鏡を作っておく方がいいのかな~と思案中です。

tibetan4.jpg

講演会@神戸

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lecturekobe4.jpg3月3日、いよいよ神戸で
野田先生の講演会を開催しました!

今回はお申し込みの人数が伸び悩みまして
1ヶ月前の2月3日で、まだ19人。
2週間前になっても
ようやく30人を越えたぐらいでしたので
これはどうなるかなぁ・・・
と少々弱気になっておりました。

ところが、おかげさまで、直前になってどんどん増えて
最終的には65名もの方が来てくださったのです。

昨年は「ライフスタイル分析の公開カウンセリング」だったので
専門家や有資格者の方が、遠方からたくさん来てくださいました。

今年は、アドラー心理学をまったく知らない方や学び始めたばかりの方、
それも地元の方たちに、
ぜひアドラー心理学の良さを知っていただきたいと思い、
意図的に敷居を低くして
「葛藤解決」の演題で、講演会を企画しました。

ふたを開けてみると、ご参加くださったのは
ほとんどが兵庫県内と大阪府内の方々。
しかも私がお名前を知らない方々が多く、
学会の有資格者向けポイント更新証も、数枚しか必要ありませんでした。
つまり、狙い通り、
初学者の方にたくさん来ていただけたということです。

ポンクラのメンバーをはじめ
お願いさせていただいた阪神間の自助グループのみなさんが
お友だちやお知り合いに積極的に声をかけて
いっしょに来てくださったということですね~!

足でかせいだ65人だったのだと思います。
本当にみなさん、ありがとうございました!<(_ _)>

lecturekobe3.jpg野田先生のお話を初めて聴かれる方々が
楽しそうに笑っておられたり、
深くうなずいておられたり、
はっと反応しておられたりするのを眺めるのは
本当に主催者冥利につきました。
今回もやって良かったなぁ~と
しみじみうれしかったです。


この日に至るまでのさまざまな準備の過程でも
学ぶことがたくさんありました。
去年は初めてのことで無我夢中でしたが、
神さまは今年、別のテーマを与えてくださったように思います。

今回は、まあ最初から、
去年私が引き受けた仕事についてもできればメンバーと手分けして
「みんなでやった感」をもっと持てるようにしたいな~
と考えてはおりました。

なのでチラシ作成もメンバーさん。
もちろん、私が作るより数倍洗練されたものに仕上がりました♪
当日の司会もメンバーさん。
もちろん、私より若くて可愛らしく(^_^)
とっても好感度高く、会を進めてくださいました♪

しかしそれだけでなく(^_-)
おもしろいことに
大事なところで、いつも私が動けなくなってしまって
みんなの助けをお借りするはめになっていったのです。

年始の会場申し込みの日は、私の仕事日と重なってしまって、
数人の方に緊急にお願いして抽選に行っていただき、
みごと第1希望の便利な会場をゲットしてもらいました。

チラシ印刷の日、私は感染性胃腸炎でへろへろ!(T_T)
朦朧としていたのを、
ご一緒したメンバーさんがずいぶんと助けてくださいました。

lecturekobe5.jpgそして昨日、講演会の当日は・・・
直前に私、なんと、
片方のコンタクトレンズを割ってしまいまして(>_<)
しかたなく、コンタクトを片目だけ入れて
片目はひどい近視と乱視で
なんともぼやけた状態で臨むしかなかったのでした。

それでも、受付も会計も、司会進行も、
設営もお菓子の用意も
ぜ~んぶみんなが動いてくれるので全然大丈夫でしたし
私もまったく安心してみんなにお任せして
ただ目が疲れただけで
ほんとうに何の不安も感じなかったのです。

去年、ひとりであれこれ考えて
眠れなかったことと比べたら
雲泥の差です。
信頼ってこういうことなんだ~と
なんだか身体で分かった気がします。


和気藹々と講演会が終わり
会場を元に戻すみんなの動きの素早いこと!(^^)
目の不自由な私めは、うろうろしただけでございました~

打ち上げというほどのものではないけれども
10人で「やったね~お疲れさま~」と
ケーキセットでお祝いしました。
「達成感あるわ~!」というメンバーの声を
とてもうれしく聞きました。


なにやらもう早や次の企画を考えている人もいて・・・
次はどんな課題がやってくるんでしょうね。。。

お仕事は自分がするものじゃなく
やってくるもの。
今までもこれからも
きたものを全力でやらせていただきます。

卒展

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sotsuten.jpg明日は神戸で野田先生の講演会。
主催の代表であるわりにのんびりと
今日は、息子の卒業制作展(卒展)に行ってきました。

教員養成学科の美術専攻4回生23人が
それぞれの思いをこらした作品を
大阪港・海岸通りのCASOというギャラリーで展示していました。

絵画
デザイン
陶芸
教材研究などなど
力作ぞろいです。

息子は、いつものように映像作品で
わりと大きな部屋をひとつ使わせてもらっていました。

タイトルは、「早期回想#2」
なんでやねん(爆)
君は言葉の意味をわかって使っているのかね・・・と
つっこみたいところでしたが

現れたり、消えたり、繋がったり、ぼやけたりする「思い出」のイメージを時間軸にのせることで「思い出す」感覚を表現しました

なのだそうです。

sotsuten3.jpg

天井から
1m四方はありそうな大きな立方体をぶら下げています。
立方体の1面は障子紙、5面はハーフミラーから出来ています。

それに向かって、映写機からある光を照射して
3分ほどの作品に仕上げていました。

障子紙を通したやわらかい光が
次々とトーンを変えて
癒し系の電子音楽が流れていて
とても幻想的~

まるで宙に浮いている氷か
水の塊のように見えました。

もとは、神戸の夜の町を歩き回って写した映像なのだそうです。
夜の灯りを処理してぼかして残し、
その上に、水に絵の具を落として広がるさまを映したものを重ねて、
それに合わせて音楽を作って
ハーフミラーを貼り合わせて立体を作って
搬入して、天井から透明テグスで吊る。

材料費にめちゃお金かかった~と泣いていました。

技術的なことはよく分かりませんが、
すべての作業を自分の力でやっているのだなあとびっくりしてしまいました。
美術系だと当然なんでしょうか。
sotsuten2.jpg
聴かなきゃ分からないことでしたけど
抽象的なこの作品の材料は、
息子の育った神戸の町
そこに広がる思い出
なんですね。

だから「早期回想」だったんだと分かりました。
そして水に広がる色絵の具とか、音楽とか
彼にしかできないこと、
彼にしか分からない思いを
すべて詰め込んだ集大成なんだなあと感じました。

そういう意味では、どの学生の作品も
今までの人生の集大成なのでしょう。
私には息子のことしか分からないですけれど、
きっとそれぞれの親が来て見れば、
私と同じように、じ~んとしてしまうのではないかしら。

他に、学祭のときに、
すごくいいセンスをもっているなと思って見ていた女の子の作品が、
やっぱりとても完成度が高くて好もしく感じました。
聞くと、イタリアに留学することが決まっているのだそうです。
羽ばたいていく子もいるんですね!がんばれ~

自分の能力を使って
人の心をあったかくしようと願っている子の作品は
とても素敵です。

いいものをたくさん見せてもらいました。
ほっこり。

あ!息子の写真撮るの忘れた(-_-;)

sotsuten5.jpg

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