2012年4月アーカイブ

芝居の魅力

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昨日、ひとりでお芝居を観に行ってきました。

お芝居はあまり知らなくて

若~いときに、小さい劇場のをひとつふたつ。
誘われて、ジョージ・チャキリスの出ていた(英語版)「欲望という名の列車」。
・・・どっちも全然わからんかった(-_-;)

2年ほど前に前進座の「説教節・山椒太夫」を観たのが、
長じて(?)からのお芝居初体験といえます。
説教節はこわかったです~(>_<)

昨年の春、かささぎ座で監督修行をさせていただいたときに、
よい治療者になりたければ良い芝居をたくさん見なさい!
と教えていただきました。

それ以降、アンテナにひっかかったものは
できるだけ見るようにしています。

去年9月に白石加代子の独り語り「百物語」。
これもこわかった~(>_<)
(我ながら、なんでこう、こわいものばっかり選ぶんでしょうね?)

11月に文学座の「岸田圀士傑作選」。
ドラマチックなことは全く起こらないのですが
軽妙で、笑えて、やがてほろっとして、
ようやく少しお芝居に馴染んできました。

このノリで、昨日は、岸田圀士戯曲賞をとったという
「まほろば」という舞台を観てきました。

良かった!v(^o^)v
私は、今まで観たお芝居の中でいちばん良かったです。

10代から70代まで、4世代の女6人だけの物語です。
70代の大おばあちゃんに、中村たつ。
60代の、この家の主婦に三田和代。
東京で働く40代独身、三田和代の長女役は、秋山奈津子。
30代後半未婚の母、今も浮き名を流す次女は、魏涼子。
20歳になったばかり、魏涼子の娘役に、前田亜季。
最年少は、魏涼子のBFの娘役で11歳、大西風香。

丁々発止のやりとりにとても笑えて、
途中でも最後でもうるうるうるっときて
隣が知らないおじさんだったのであまり泣けなくて残念でした。

脚本は、蓬莱竜太という新進気鋭の方で、演出は栗山民也。
脚本も演出も、とても良かったです。
もちろん女優さんたちも。
特に秋山奈津子はスバラシイ!

mahoroba.jpg舞台は長崎県の、とある田舎。
バックに「祭り」があって
テーマは、「産む」ということかなと思いました。

たくさんの子を産み育ててきた大おばあちゃん。
「それでも産まれてくるまでは、心配したさ。
ここから大きな雲が見えたからねえ・・・」
と原爆に言及します。

母親は、この日は祭りの宴の支度に大忙し。
男の子を産めなかったことを苦にしており、
なんとか長女が幸せな結婚をして、本家をついでくれることを願っています。

東京で恋も仕事も順調だったはずの長女は
お酒の勢いで、好きでもない人の子どもを妊娠して4ヶ月。
この祭りの日に帰ってきます。
(実は閉経と勘違いしていたのですが ^^;)

都会で働いていた次女の娘も、妻子ある人の子どもを妊娠して8週目。
傷心で、突然この家に帰ってきます。
大おばあちゃん以外、みなが、次があるからと堕ろすように勧めますが
迷いながらも産みたいと悩みます。

まあ、あれやこれやあるのですが、
最後に男衆がお神輿を担いで、この家の前を通り過ぎていきます。
そのとき座敷の内も外もたいまつの火が燃え上がるように輝き
女たちの顔も輝き
祭りの音が鳴り響いて
妊娠しているふたりの女は、お腹の子が動いたと感じます。

その直後、次女のBFの娘が、トイレから出てきて
「おばちゃん、生理用品貸して・・・」と言います。
初潮になったのでした。
胎動を初めて感じた長女が、「おめでとう」って言います。
そこで幕。

う~ん、ストーリーを書いても
芝居の感動って伝わらないでしょうね。
この、秋山奈津子の万感の思いをこめた「おめでとう」を思い出すと
今でもうるっときてしまうのですが・・・
おそらく台本を読んでも再現できるものじゃないと思います。

ほんとに芝居ってリアルタイム。
その時その場での真剣勝負、
生きるか死ぬか、です。

オペラなどはDVDで何度も見直し聴き直ししますが
芝居の魅力はそれとは全く違いますね。
再現不可能。

mahoroba2.jpg.jpeg

実は1カ所だけ、登場人物が台詞をわずかに間違えたかもしれない
と思ったときがありました。
何気に話は続きましたが、
そこだけ、緊張の糸がふっと途切れた感じがしたのです。
気のせいかもしれませんけど・・・

こわいものです。

逆に、その一瞬があったために、
それ以外の時間は、
緊張がず~~~~っと持続していたことが分かります。
役者さんたちの
ものすごい緊迫感、
ものすごい集中力を感じます。

舞台と観客席を一体にすること。
巻き込むこと。
かささぎ座では、それをさんざん言われました。
監督は、そのため、ものすごいテンションをキープし続けなくてはならない、と。

私、今回のお芝居では、すっかり舞台に巻き込まれていました!
それはとっても素敵な体験でした!

台詞の言い回しとか表情とか、体の動かし方とか
そんなものを学ぶために芝居を見るつもりでいて
そんなことをすっかり忘れて没頭していたのです。

けど、それはそれで良かったのですよね。きっと。

まるで別の人の人生を一緒に味わったかのような
演じられているその場に jump in したかのような
こんな体験が、これからの糧になりえるのではないかしら?


というわけで、さっそく次のお芝居のチケットを予約してしまいましたぁ。
むふふ(*^_^*)v

チベットおたく(番外) 暦

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calendar2.jpgチベット暦は太陰暦です。
1ヶ月は新月で始まり、
1年は12ヶ月のこともあれば13ヶ月のこともあります。
ときどき、同じ日が2回あったり1日欠けたりします(^^;)
そして毎年お正月(ロサル)の日が変わります。
日曜から土曜まで、曜日が七つあるのは同じみたいです。

これらは全て、ダラムサラにある
メン・ツィー・カン(チベット医学・暦法研究所)の
発表に従っています。

チベット暦2139年(西洋暦2012年)のお正月は、2月22日でした。
やっぱ雰囲気を出さなくっちゃね、と思い
メン・ツィー・カン製の1枚もののカレンダーを架けました。
この場所は、数年前は「弘法大師絵巻」なるものを架けていたのですけど・・・
進化か特化か(^^;)


diary.jpg2月にポタラ・カレッジに行ったとき
同じくメン・ツィー・カンのかわいい手帳が売られていました。
ちょうど手帳をなくしたと言っておられた
大きなJ先生に買って差し上げました。

使いにくいことはなはだしいみたいで(爆)
先生は使ってくださいませんでした。。。

rikpa.jpg.jpeg先生はその復讐に
あ、いや、お返しに
どこかで見つけたアヤシイ手帳をくださいました。

リクパ手帳といいます。

これはアメリカの The Rigpa Store というところが販売していて
現在発行されているチベット暦本の中で、
どうやら、最も豪華で最も詳しいもののようです!

さすがアメリカ製・・・
オールカラー!
見開きにはダライ・ラマ猊下長寿のお祈りがチベット語で、
親切なことにローマ字読みと英訳とを併記して載せてあります。
もちろん猊下のお写真も!

うれしいのは、全て
英語とチベット文字と、両方記載されていることですね。
学習者としては読みの練習になります。
ただ、たいへん文字が小さいのがツライですが。

他にも、存じ上げない高僧たちのお写真がずらずらずら。
(ちょっと怖いかも^^;)
いたるところに、インドやチベットの祖師方のお写真、図、経文。
チベット仏教の記念日はもちろん
キリスト教やイスラム教の記念日まで載っています。

とぉってもおもしろいので
「今日は何の日辞典」みたいにして楽しんでいます。

下の写真は今週末からのページ。
右下にある絵は
私がクンチョク先生の最初の授業で教わった、
ミラレパの見た吉祥夢を描いたものです。
白い山の四方に、獅子と虎とガルーダと禿鷹がいます。
カギュ派の繁栄を予言したものだとか。

rigpa.jpg

たのしいです~
でも、実用にはまったく適しません(笑)

先週の土曜日は久しぶりに何も予定がなかったので
朝はゆっくり瞑想し
午後からはずっと、チベット語のお勉強をしていました。

1月ほど前のレッスンの復習と
今月末のレッスンのための予習を、少しだけしました。
一行読むのもなかなかで、あっと言う間に時間がたちます。

少しずつ少しずつは進んでいるんですよ。
前回、助詞と動詞を少し学びましたので
だんだん辞書も引けるようになってきました。
(動詞は活用するので、綴りそのままで引いても見つけられなかったのです)

でもまだまだ。。。
読みたいお経が、た~くさんあるのです。
(われながらヘンな人ですね^^;)

近ごろは、名古屋で教わった「金剛薩捶の百字真言瞑想法」というのを
できるだけ毎日やっています。
テキストを読みながら観想しますが、いずれ慣れてきたら、
次は「グル・ヨーガ」という瞑想にすすみたいと思っています。

私がチベット仏教にはまるきっかけになった「観自在菩薩成就法」の瞑想法は
お友達が、以前のクンチョク先生の講義をCDにやいてくださいました。
さらにメモでいっぱいのテキストもコピーしてくださったので
ひとりでもしっかり学習することができました。

いちばん下に、このお経の一部をはりつけておきます。
美しいですよ。

灌頂を受けた人と受けていない人とで、瞑想のやり方が少し違うので
なるべく早く観自在菩薩の灌頂を受けて、
その後でこの修行に入ろうと楽しみにしています。

ほかにも
大きなJ先生にいただいたニンマ派のお経とか
インターネットでとってきたゲルク派の資料とか
ラマ・ギュルメさんのCDの中のA Prayer Calling the Lama Afar というお経も
全文を見つけ出してプリントアウトし、待機中です。

さらには、般若心経も読みたいものだと思い
クンチョク先生のご本『チベットの般若心経』を購入し
これも、本棚で出番を待っています。

ああ、たくさんお金を使ったことよ。。。
うちのチベットコーナー・・・

books.jpg

感じるのは、
学びたいことがたくさんたくさんあるのですけど
ただただ、学びたいという気持ちであって
学校へ行っていた頃のような、
あるいはアドラー心理学の資格試験の前のような
should とか must の感じは全くありません。

いっしょに学んでいるお友だちに比べ私の方が遅れているとか劣っているとか
感じることは、まあ、ないことはないですけど(笑)
それは単なる事実であって競争ではないのです。

梯子は立っていません。

昔の講義をCDにやいてくださったお友だち、
彼女が今までに時間とお金をかけて学ばれた知識をいただくことになるので
申し訳なく思っていたら、こう言ってくださいました。
「誰かにもらってもらえたら嬉しいです。
 欲しがってくださる方なんて他におられないもの」
・・・たしかに~(^_^)

仏教は個人的な宗教です。
神を拝みません。
自分と他者の幸福のために
自分とご縁のある仏さまとラマと、仏法に帰依します。

そうやって帰依した仲間が集まったものを
僧伽(サンガ)といいます。
大きな僧侶集団でなくても、4人集まれば、もう僧伽といえるのだそうです。

ああ、アドラーの自助グループといっしょですね~!


同じ平面を前に向かって歩きながら、
お互いに依存し合わない個人であり
しかしお互いに貢献したいと願っている。

さて、ここでは私はどんな貢献ができるでしょう?
ICレコーダは持っていないので
チベット語レッスンの会場を提供することでしょうかね~?
(^_^)v


チベットおたく(2) ラマ

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なんでもそうだと思いますけど
先生は大事ですね!

この先生から学びたい。
この先生の知識すべてを吸収したい。
この先生をモデルとして生きていきたい。
そんなふうに思える師匠と出会えたら
しあわせですね。

それがあるから学び続けられるのだと思います。
特に、私のようにわりと情緒的な人間は(そうなんですよ!)
いくら筋の通った理論や技術を教えていただいても
それだけでは・・・長続きしません。
(弓道が続かなかったのは、そのせいだったのかも^^;)

アドラー心理学がそうです。
日本の指導者の先生方に加えて
ICSSIでも素晴らしい先生方とお会いすることができたのは、
とても幸せなことでした。
たとえば、イヴォンヌ先生。
一言一句を聴き逃すまいと、全力で向き合ったものでした。

チベット仏教普及協会(ポタラ・カレッジ)でも
何人かの素敵な先生にお会いしました♪

ここに何度か書かせていただいたのは
ガワン・ウースンとおっしゃる先生ですが
今日は、ダンディな(^^)クンチョク・シタル先生について。。。

クンチョク先生から、私は
「ラムリム:チベット仏教の教理・実践体系」と
「ミラレーパの教え」と、2つの講義を受けています。

先生はチベット仏教の本をたくさん書いておられますので
著者にお会いできるのを楽しみにしていました。

でも、実際にお会いしてみると
僧形でもなく、
おとなしくてやさしそうな、ふつーのおじさまでした。

説明の言葉がやわらかく、
「こうしなさいよ~こうしないとこうなりますよ~ということが書いてありますね~」
みたいに、おだやか~に話されます。

ものすごぉくかしこい方なのですが
講義は、なんとなくゆる~く、
ほとんど計画性なく進まれます。
まあこれは、チベットの先生方はみなそうなのですが

アドラー心理学の先生方の
わかりやすくてインパクトある講義に慣れていた私は
正直なところ、少し拍子抜けしました。

どちらの授業でも
先生はチベット語のテキストと大きな解説本を持っておられて
それを読みながら、1文ずつ、日本語に訳していかれます。

miralepa.jpg「ミラレーパの教え」の授業では
日本語訳のテキストが出版されていないため、
生徒たちは、ただ講義を聴いてノートをとります。
私は、2回目の講義からは英語の訳本を手に入れて
それを参照しながら聴いていました。

以前にも書きましたが
英語版テキストと、先生のチベット語テキストとが
微妙に異なっていることがよくあるのです。

名詞や形容詞の訳なら少しぐらい違っていてもいいのですが
関係代名詞や副詞の係り方の違うときや
ひどいときは、主語が全く異なっていることもありますw

で、以前は
無意識的に、というか自動的に
英語本に書いてある解釈の方を私は取り入れ、
先生はたぶんちょっと読み間違われたのだろうナ、ぐらいに
おそれおおくも!不遜にも!
考えていたのでした。

先月のポタラ・カレッジで
いつものようにちょっと解釈に迷う文があったとき
あれ?と気がつきました。

この日私は、ごく自然に、
クンチョク先生のおっしゃることを受け入れていました。
そこで初めて、今までは、
先生よりも英訳テキストの方を信頼していたことに気がつきました!(@_@)

もともとはチベット語で書かれた教えなのです。
それなのになぜ私は
目の前にいらっしゃる師のお言葉よりも
どこの誰とも知らない人の訳した本の方を
無条件に信用していたのでしょうね?

世間に出回ったものの方に信頼をおいていたということです。

毒されています~~(>_<)


どちらが正しいかなんて
本当はどうでもいいことなのだと思います。
問われているのは
目の前のラマ(師)を信じるかどうかです。

アドラー心理学も同じですね。

習ってきたこととニュアンスが違ったり
本で読んだ知識と少し違うように思っても
まずは目の前の先生のおっしゃることを聴いて
その通りにやってみるべきです。
そうすると、実は同じことの別の側面だったとわかる時がきます。
ICASSIで、何度かそんな体験をしました。

新しいことを学びたいなら
この人から学ぼうと決めたなら

おおげさな言い方をするなら
いったん自分を捨てて、目の前の師に帰依しないといけないかもしれません。
中途半端に知識を得ようとするのは師に対して不誠実であり、
こちらも結局は、得るものが少ないのではないかと思います。

これまで、先生の伝えてくださった宝のような智恵を
勝手に判断して取捨選択していました。
おぉ罪深い!心の中で懺悔して、
これからは先生の一言一句をいただこう!

と思ったのですが・・・
今後半年間のスケジュールをチェックしてみたら
なんと、次は9月まで、
私は先生の講義に出席できないことがわかりました orz

kunchok.jpg残念!
でも仏教は一生、
いえ何生もかけて学ぶものです。
この半年間、
どんな忙しいときでも出席できたのは
それなりのお導きがあったからでしょうし、
これからもまた、
私にはわからないお導きがきっとあるべし!(^_^)v

クンチョク先生との出会いを通じて
ラマを信じるとはどういうことなのかを
体験として学ぶことができました。

講義の終わりにお願いして写真を撮らせていただきました。
ありがとうございました!
ラブ~!

チベットおたく(1)

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昨年10月から始めたチベット仏教のお勉強。
ちょうど6ヶ月経って
予定に入れていた6回の講義すべてが終わりました。

半年間、1度も欠席しなかったどころか
ダライ・ラマ猊下の灌頂をいただいたり
関連の講義を受けたくて名古屋に通ったり
チベット語文語文法の勉強を始めたり
われながら精力的に、オプション追加しております(笑)

去年の春、今ごろは、ちょうど弓道を習い始めたところでした。
仕事帰りへろへろになって、大阪城弓道場まで
秋までの半年間きちんと通ったのですけど
今と、かなり燃え方が違います。

なんでしょうね、弓道は弓道で素敵だったのですけど
なんといいましょうか、
「これに出会えた!」感は、なかったのですねえ。。。

今学んでいることに関しては
「これぞ探していたものだ!」という感じがあるのです。
根拠はありませんけど、たぶん前生から・・・
なので、学ぶことがとても楽しいです。

隅から隅まで、巻末の注釈にまで付箋を貼って
繰り返し読んだ本もありますし

あることについてわからないと思ったら
またそれについての講座や本を探し当て
次々と学びが広がっていきます。

すっかりおたく(^o^;)

半年間そうやって手をひろげ
やみくもに走って学んできたことを
ここらでちょっとまとめておこうかな。と思います。
おヒマな方はおつきあいくださいませ。

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