2012年5月アーカイブ

柏原ビエンナーレ

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5月半ば、大阪府柏原市で開催されていた
2年に1度の美術展(ビエンナーレ)に
息子も作品を出すというので、見に行ってきました。

横浜のトリエンナーレや神戸のビエンナーレは有名ですが、
柏原のは町おこし的なもので、あまり敷居も高くないようです。
さまざまな作家(と作家の卵)さんたちが展示していました。

行った日は、あいにくの雨。
私もお休みだったし
息子も1日中会場にいるというのでその日にしたのですが、
朝からなんだか体がだるくて、ゾクゾクと寒気がしますw
でももうあと行ける日がないし、
ともかくイブを2錠のんで、強引に体調を上げて出かけました。

メイン会場は近鉄安堂駅近くのホールでしたが
雨だし、寒いし、そちらはパスさせていただいて、
息子の展示場所に直行しました。
いくつかサテライト会場があるのですが、
そのうちの古い家屋を一軒、使わせていただいています。

JR柏原駅から、地図をたよりに旧奈良街道を南下。
街道ぞいの一画にテントがはってあって
そこにたむろしているおじさんのひとりが声をかけてくれました。
「家屋Cはどこですか」と尋ねると
「こっちこっち」と案内してくださいました。

kashiwara.jpgこ、こんな所を入って行くんですか?
みたいな
kashiwara2.jpg奥まった路地の、
さらに奥。
kashiwara3.jpgひとりじゃ絶対行き着けないと思われる
廃屋めいた家の玄関で、息子と再会しました。
ほっ(^o^)

実際、今回サテライト会場に使わせていただいた家屋群は
このあと、取り壊しが決まっているのだとか。
だから芸術家のみなさん、どうぞ好きに使ってください!というわけで
別の家屋は、土足で上がるようになっていたり
家中に文字を書いたり畳に色を塗ったり、
いろんなふうに使われていました。

息子は今回も映像作品で、
8畳ほどの和室にこんなものをぶら下げて

er3.jpgなんだこれは?

指定の位置にすわると、
鑑賞者自身の影がスクリーンに映し出され

er3-2.jpg鑑賞者は、それがゆっくりと薄くなっていき
淡い色の映像に
だんだん、だんだん、
溶けこんで消えていくのを
体験するようになっていました。

なんで影が消えるの?
不思議~!
説明聞いたけど忘れました ^^;

癒し系の音楽も映像に合わせて作ってあって、
ゆっくりと流れる光と影を眺めていると
ちょっと夢見ているような気持ちになるのでした。

この作品のタイトルは、「早期回想#3」
ええんかいな?・・・もだったけど(-_-;)

er3-3.jpgこういったジャンルを
インスタレーション(空間芸術)というそうです。
(この説明もいろいろ聞いたけど忘れた ^^;)

見る人によっては、とっても気に入って
君は禅の思想を勉強しているの?とか
これは君が思っている以上のことを表現している!とか
評価してくださったようですが

通りがかりにたまたまのぞきに来た人とか
学校帰りの子ども連れのお母さんとか
そもそも5分間じっと座ってスクリーンを見るという
時間的気分的余裕のない方が大半でしょうから
「わからんわー!」とさっさと出て行かれることもあったようです。

er3-4.jpgそれでも
美術館に来る層とはまた違う、一般の方を対象に
こうやって無料の公開の場を与えていただいて
生のきびしい声が聴けるのって、
得難い経験ですよね!
全員に「わからんわー!」と言われる可能性だってあるのに、
少数でも評価してくださる方がいらっしゃったなんて、
すごいことよね~って親バカは思うのでした。

卒展と同じく和紙とハーフミラーを使っていますが、
今回はいわゆる鑑賞者参加型に進化していました。
しかし、影を消すとは「すごいアイデアだね♪」と言いましたら

kashiwara4.jpgいや、アイデアだけじゃあかんのやで!
アイデアと、何を表現したいのかというコンセプトと
それを見た人が感じとることと
その3つで、はじめて作品になるんや!

だそうです。
はーい、先生。


その夜、息子はうちに来て
豆ご飯、鮎の塩焼き、若竹煮など食べながら
大学院の話とか、留学やコンペ出品の計画、
次の作品の話などを聞かせてくれました。
いろんな出会いを糧にして、世界がぐんぐん広がっているようです。

それになんだか、以前より、さらにやさしくなった気がします。
おだやかで落ち着いている。
うるうる。

考えたら娘も、大学が終わる頃から急速に大人びたように思います。
もうちっとも危なっかしくありません。
そういう年齢になったんでしょうね・・・


こんなふうにしあわせな一夜だったのですけど、
息子の帰ったあとの午後、ついに熱発(-_-;)
まあ、無理を承知で、息子とのタスクを優先させたのですから
当然の結末ですね。

おかげさまでお仕事を休ませていただいて
水分をとってぐ~っと寝たら、あとは速やかに回復しました。

しかし、なんでいっつも
息子の「早期回想」シリーズを見に行くときは
コンタクトが割れたり熱が出たりするんだろー
まさかタイトルがアドラーの神さまの逆鱗に触れているとか(^^;)
ないよね。

ヒルにあう

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なんだかワークの周辺のことばかり書いています。
スピリチュアル・ワークの内容をお知りになりたい方には申し訳ないですが
今度はヒエロではなくてヒルのお話(笑)

実は今回、私にとって最大の出来事は、ヒル(蛭)さんに噛まれてしまったことでした。
もちろん私、生まれて初めての体験です。

初日の夜は、寝る前に、
額のチャクラに黒い珠をイメージして眠るという瞑想をしたので
あまり熟睡できなくて、翌朝4時半には目が覚め
5時ごろから神社にお参りしました。
tubaki4.jpgそれでも、もう既にお参りを済ませた方々とお会いしました。
みなさん早起きです。

朝の光の中でたくさん写真を撮って
神社の内外をゆっくりと二巡り。
もう帰ろうと思っていたら先生とお会いして、
川沿いの林と小道を下調べしたいとおっしゃるので
いい加減疲れていたのですが、お伴することにしました。

このとき私だけ部屋に帰っておけばよかった・・・と今思っても後の祭りです。
ヒルさんと遭遇することに意味があったのでしょう。。。
ある意味、ちゃんと下調べにはなったわけで(-_-;)

思い起こすと、一度だけ、少し川のそばへ降りたとき、
湿った落ち葉の上を5,6歩、歩きました。
あのどこかにヒルさんたちがかたまっていたのかもぉ~ゾワゾワゾワ。

気持ちのいい川沿いの小道を歩きながら、
なんだか左足が冷たい感じがしました。
・・・さっきズボンの裾が濡れたのかな、ぐらいに最初は考えていましたが
だんだん裾だけじゃない変な感じになってきて・・・

小道を抜けて宿舎の駐車場まで帰ってきた所で足元を見ると、
7,8mm の黒い尺取り虫のようなものが一匹ひっついていて、
何かわからずに払い落としました。
一緒にいらした先生は、それを見て
「蛭かもしれんなあ。いや、尺取り虫かな」と呑気におっしゃいましたが
ヒ、ヒルゥ~?

と、思いがけない言葉に私は驚愕。
急いで部屋に駆け戻って(幸い?誰もおりません)
ズボンを脱ぎ捨てました。
やっぱり!!
左足首内側に、7,8mmの黒いものがっ #?△¥>!
夢中でティッシュでつまんでゴミ箱にポイ!
そして左膝の裏側には、もっと大きな黒い物体がぁぁぁぁ!
それも夢中でティッシュでつかんでポイ!

他にはいないようです(よかった=)
ズボンも裏返し、よぉく点検しました。

噛まれた2カ所は、ティッシュで押さえると、
わずかですが、いつまでも血がつきます。
痛くも痒くもないのですが。

ちょっと落ち着いてから、先生のお部屋に電話をかけて指示をあおぎました。
とりあえず先生のお部屋に行って傷口をお見せしました。。。(;_;)
心配はいらないが、しばらく血が止まらないだろうということなので
ズボンが汚れないように膝の裏にティッシュを当てて
その上からバンダナを縛って押さえました。
足首の方は、早かったので、すぐに血は止まりそうでした。
様子を見て、出血が止まったらバンドエイドを貼ることにしました。

手当が終わると、今度は部屋に置いてきたゴミ箱が気になり出しました。
ゴミ箱の中のヒルさんたちは、まだきっと生きているので
やがてゴミ箱から這い出して部屋の中でもぞもぞっと・・・
なんて考えると、おそろしい~~~(>_<)

先生は、トイレに流せば?なんておっしゃるのですが
ゴミ箱のティッシュを取り出すこと自体、もう無理。

それで部屋に戻って、ゴミ箱のビニール袋をくくって
部屋のふすまの外、入り口の下駄箱のところに出して
お掃除の方が速やかに処理してくださることを祈りました・・・


人生初体験、
しかもこんなところでヒルに噛まれるなど想像だにしていなかったことで、
激しく動揺しました。

でも、他の参加者の方々に、
気をつけるようにとお知らせすることができたのですから、
犠牲者が私だったのは、ある意味よかったのです。

しかもヒルに噛まれたというと
特に殿方の参加者さんたちが、大きさとか色とかいろいろ知りたがられて、
聞かれるままに、なんとなくヒル自慢話をしている私がおりました(笑)

なんと神社の裏山の奥の院の方にはヤマビルがたくさん居て、
ヒル除けの塩水まで置いてあるのだそうです。
そんなこと全然知らなかったもの~(T_T)

tubaki.jpgヒルさんも生き物ですから、一切有情の仲間です。
仏教の考え方では、過去生で私もヒルだったかもしれないし
このヒルも過去生では私の母だったかもしれないわけで、
ですから、トイレに流さないでよかった
と後になって思うのでありました。

なんでもダライ・ラマ猊下に、昔アメリカのジャーナリストが
仏教徒は蚊を殺さないのか?と質問したのだそうです。
お答えは、
 一度目は血を吸わせる。
 二度目は手で払う。
 三度目はふーっと吹き飛ばす。
だったとか(^^)

天地の陰の気の凝り固まった生き物、ヒルさんとの遭遇。
おかげで、仏教徒としてつくづく未熟~な自分を思い知ったのでした。
ああ、日々修行でございます orz

ヒエロファニ

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今回、瞑想の3つの段階について教えていただきました。
まず、シャマタ(心が散逸せず一点に留まっている状態)
次にサマーディ(シャマタの対象を取り除いても、心が静まっている状態)
そして運がよければ起こるかもしれないのが、
ヒエロファニ(聖なるものの存在をありありと感じられる状態)
ということです。

私は単純なので、わりと簡単に神社で恍惚としますし
今回のワーク中、ターラ菩薩のマントラをみんなで108回唱えた折りにも、
ひとりひとりの声がひとつになってそこに倍音が加わって
その中で自分の声がある音階で身体に響いたとき、
ぞくぞくぞくっとして涙が流れました。

これをヒエロファニと呼ぶのかどうかは、よくわかりません。
こういう体験に言葉(物語)をつけてこなかったからです。
ただ自分にとって、とても大切な美しい体験であることは確かです。

あるいは、ラマから教えていただいたチベット仏教の瞑想の中で、
仏さまが眼前にありありと現れてくださったり
すぐそばに存在するそのお肌を感じたりして
とても強い喜びを得たことがあります。
こういうのは、シャマタからの手順をひとつずつ踏んだ上での
ヒエロファニだったかもしれないと思います。

village2.jpgヒエロファニ(聖体示現)は、もともとは
私の大好きなルーマニアのミルチャ・エリアーデの言葉です。
彼の幻想小説の中では、けっこうキラキラとした
別の世界に実際に移動してしまうほどの神秘体験として描かれていますが、
そんな凄いことは、妄想の中でさえ自分に起こることはないと思います。。。

和尚が言っているように

神についての考えを全て捨てたとき、ようやく神を知ることができる。そのときお前は、神しか存在していないことを知って驚くだろう!
Drop all ideas about God and you will be surprised, you will be shocked, you will not be able to believe your eyes...because only God is!

ですから、ヒエロファニというものにあんまり囚われると、
かえってややこしくなるかもしれないなと思っています。
ご縁があってヒエロったらラッキーですけど、
その前にするべきことは、やっぱりちゃんと瞑想して
自分の覚醒を上げることかな、と思います・・・地味だけど。


それはそれとして、お友だちと
ヒエロファニの動詞活用を考えて遊んでいました。

   ヒエロらない
   village4.jpgヒエロります
   ヒエロる
   ヒエロれば
   ヒエロ   (爆)

あるいは

   ヒエらない
   ヒエります
   ヒエる
   ヒエれば
   ヒエろ

どちらにしてもラ行5段活用ね(^_^)

わりとヒエロな(形容詞用法)写真が撮れていると思うのですけど、いかがでしょう?

椿大神社

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5月3日から6日まで、スピリチュアル・ワークに行ってきました。
四日市からバスで1時間山に入った
伊勢国一の宮、椿大神社・椿会館が会場です。

四日市の街を遠ざかるにつれ、
水をはった田んぼとお茶畑が増えてきます。
終点の神社前でバスを降りると
鬱蒼とした森に細かい雨が降っていました。

お天気にはあまり恵まれず
2日目は、朝のうちこそ晴れていたものの
そのうちに大木がしなるほどの強風となり
夜中ごうごうと風が唸って怖いほどでした。
関東地方で竜巻の荒れ狂った4日目は、
山では雨風、四日市に戻ると晴れていました。

それでも2日目の早朝と
3日目の夕方のお散歩のときに
たくさん写真を撮りました。

参道の脇道にあるいくつかのお堂や社には
気のよい場所がたくさんありまして
そういう場所で静かに手を合わせると
どこからか水の流れる音が聞こえ
鳥の声が聞こえ・・・さまざまな小鳥の声が重なって聞こえ
風が梢を揺らし葉っぱのそよぐ音が聞こえ
この空間が命に満ちていることを、ありありと感じました。

tubaki3.jpg

先月の瞑想ワークのとき、
神道は社会的な信仰で仏教は個人の救済に関わる信仰だ
と教えていただいたので、そのおかげで
私の中にあった小さな迷いがふっ切れたように感じていました。

仏教の伝えているものは智慧と慈悲です。
しかし神社で感じるのは、智慧と慈悲の物語ではないように思います。
それでは神道の物語の中で
日本の神さまのおっしゃっていることは何だろう、と耳を澄ませてみました。

いただいたテキストの中に
「・・・生あるものは共に栄えるという神道の精神があってこそ、
鎮守の森には生命があふれる」(薗田稔)
という一文がありました。

village.jpgそう、神社で私が受け取っているメッセージは
・・・あらゆるものがみんな生きているのだよ
・・・だからいっしょに生きてゆきなさい
という、調和と生の賛歌ではないかと思いました。

夕方のお散歩で近くの村を散策すると
豊かな村なのでしょう、
大きなお家が、曲がった道沿いにいくつも並んでいて
どのお庭も美しく手入れされていて、花盛りでした。

きよらかで
整っていて
自然と調和している村でした。

先生は「神道の伝えるものは、正直と清浄だ」とおっしゃいます。
すれ違うおじいさんに向こうから「こんにちは」と声をかけていただいた時、
ここは本当に神さまの村かもしれないなと
半ば本気で思ったのでした。

Encouragement

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ところで「許可灌頂」は「こかかんじょう」と読みまして
チベット語で「ジェーナン」
本尊の持つ功徳力を授かるもの、だそうです。
ふつうの灌頂はチベット語で「ワン」といいますから、
たぶん「ワン」より少し簡単なものではないかと理解しています。

通訳をしてくださったのは、高野山でも猊下の通訳のおひとりだった
清風学園校長の平岡宏一という先生です。
猊下のときより格段に分かりやすいと感じたのは
たぶん私が、あの頃よりは少し仏教用語を理解できるようになったからでしょう。

しかし密教の灌頂って、いったい何なのか?
灌頂というものの中で何が起こっているのか?
ある程度わかっておかないと、私はなんだか落ち着かない気分なので
今回はノートを取りながら流れを追ってみました。

こんな私は構造主義者かしら?(^^)

1) ラマ入堂
2) 魔の退散
3) 曼荼羅供養
LobsangDelek2.jpg4) 三宝への帰依と発菩提心
5) 法話
6) 本日の灌頂の由来
7) 灌頂
  7-1) 灌頂をお願いする
  7-2) 菩薩戒
  7-3) 観想
  7-4) 灌頂本体(身口意の加持)
  7-5) 真言の伝授
  7-6) 諸尊勧請と加持
  7-7) 守るべきことのお約束
8) 感謝の曼荼羅供養
9) 廻向

だいたいこんな形だったと思います。
(こんなの書いても興味持つ人はほとんどおられないと思いますが ^^;)

加持とは、英語で empowerment ですが
今回の灌頂を受けて、強く感じたのは、
empowerment = encouragement ということでした。

私には、自分自身を浄める力も功徳も全くないけれど、
さまざまな手続きを経て観音さまのお力を分けていただくことによって
私のような凡夫でも、ようやく仏さまの道を辿ることができるようになるw
よし、やっていこう☆
・・・という感じですかね(^^)

だから灌頂とか加持はとても大切じゃないかなと思いました。
それなしでは・・・道の途中で挫けてしまいそうです。

和尚ラジニーシが言っていました。
・・・私のそばに居る間は、お前たちは悟ったように感じるだろう。
だが四つ辻で別れてしまえば、お前たちは途方に暮れるだろう。
私が光だからだ。お前たちの心に光は灯っていないからだ。
自分の内に光を灯せ・・・!

(THE DHAMMAPADA: THE WAY OF THE BUDDHA, Series 1, Chapter 2)

そうです。
チベット密教は、仏の光を自分の心に灯すことができるように
灌頂や加持を、巧みな方便として考案してきたのではないかなと思いました。

灌頂は initiation ですが、何度受けてもよいので
「通過儀礼」と考えるとしっくりくるように思います。
いったん、今までの罪穢れを白紙に戻してリセットし、
これから守るべきことを新たに心に刻みこみ、
必要な力をいただきます。

take sannyas 出家する、とも違うし
baptism 洗礼、とも似て非なる感じがしますね。
まあ、こんなことに興味を持つ方も、ほとんどおられないでしょうけど(^_^;)


さて、清らかにリセットされた気分で(笑)
その後全員で、大仏殿の須弥壇に上げていただきました。
リンポチェもご一緒です。

巨大な毘盧遮那仏を間近に見上げながら
まずチベットのリンポチェ方がお経を上げられました。
誰言うともなく、みな自然にひざまづきました。
それから私たち日本の参列者たちは般若心経を唱えました。

須弥壇に上がるのは初めてでしたが、
大仏の大きさにあらためてびっくりしました。
台座だけでもすごいですし、後ろ姿もなかなか味わいがありましたよ~

最後に東大寺勧学院の素敵な院長さまにお礼を申し上げ
夕日の東大寺を後にしました。

凡てが、エンカレッジメントだったと感じます。
ロサン・デレ・リンポチェの灌頂そのものもですが、
新緑の奈良を歩けたことも
美しい仏像と宝冠を拝見できたことも
間近で毘盧遮那仏を拝したことも
また、美しいお庭も、
お手伝いのお坊さま方のお姿も。

菩薩の誓願は、今生限りのことではありません。
「菩提を得るまで(=覚りを開くまで)帰依します」と誓うのです。
当然、何生も何生もかかります。
その長~いスパンにわたるお約束。

それに対する empowerment であり encouragement でありました。

でも考えたら、いつもいただいていたのかもしれないな、とも思います。
私が気がついていなかっただけで。

nara4.jpg

悪趣救済

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LobsangDelek.jpgこの日の阿闍梨さまは
ロサン=デレ=ギュメ・ケンスル・リンポチェ(ギュメ寺第101代管長)
灌頂のご本尊は
私の大好きな観自在菩薩(チベット語でチェンレスィ)さまです。

ロサン・デレ・リンポチェは、
お若いときからその博学ぶりが法王のお耳に届くほどの秀才で、
「ミスター入中論」とあだ名されているのだそうです。
(『入中論』というのは、めちゃ難しいチベット仏教の哲学書みたいです)
この日の灌頂が終わると翌日インドへ戻られて
ギュメ寺よりもっと大きなセラ寺の管長に就任されるのだとか。
んーよく分かんないけど(笑)、すごい方みたい。

私にしたら、チェンレスィさまとのご縁がいただければよいので、
それが由緒正しきラマさまからなら、なおありがたいのであります。

東大寺の本坊は小さな建物ですが
広いお座敷にお座布団を100枚近く並べてあって
中央にラマの座、
ラマの右側にチベット式の祭壇がこしらえてありました。

口をすすいで、
カレーパウダーのようなものを手の平にこすりつけて
体を浄めるとイメージします。
おかげで部屋中、ずっとカレーの匂いが。。。(^^;)

幸い真ん中近くの、ラマのお姿のよく見える席につくことができました。
高野山でのダライ・ラマ猊下の灌頂は、800人もの人数でしたので
劇場型の椅子席で、拝礼もままならなかったのです。
今回は、とても近くで、ラマのお顔の表情もはっきりとわかりました。
五体投地も、全員でちゃんと行いました。

nara3.jpgリンポチェ、最初はいかめしい方かと思いましたが
ときどき冗談をはさんで笑わしてくださり、
法王ゆずりのユーモアのセンスがおありでした。
ご法話もとても分かりやすく
噛んで含めるように、
人間に生まれたこの得難い機会を
仏教の実践に使うようにと教えてくださいました。

お座敷の障子を開けると、
本坊の美しいお庭から初夏の風が入ってきて
とても爽やかでした。

ところでこの日の灌頂、正式名称は
「全悪趣救済の観音菩薩許可灌頂」といいます。
知らなかったのですが、
執り行われたのがたったの3回目という、たいへん珍しいものだったのです。

もともと、19世紀チベットのなんちゃら4世が
9世紀インドのなんちゃらという大成就者に
神秘体験の中でお会いして教わったものだそうで。。。
真面目一徹のゲルク派らしからぬご由来なのですが、
そこがまた素敵と感じました。

で驚いたことにですね、この灌頂は1回受けると、
次の生で三悪趣に落ちないで済むというのですよっ。
なんてスグレモノでしょう!

これがどれだけ大きな意味をもつか
仏教を少しご存知の方ならお分かりと思います。

仏教では、全ての生き物は果てしなく輪廻転生を繰り返していると考えます。
地獄界・餓鬼界・畜生界・人間界・阿修羅界・天界とあって、
苦しみの大きい下の3界を三悪趣といいます。
私たちは、ありがたいことに今回は人間に生まれてきたのですが、
覚りを開いて解脱を得るまでは、輪廻の輪の外に出ることはできず、
したがって今回の生を終えれば、また悪趣に生まれてくるやもしれません。

あまりに煩悩にまみれ、貪り・怒り・愚かさを重ねていると
次は、地獄や餓鬼、畜生界に生まれてしまうかもしれません。
そうなると大変な苦しみを味わうことになります。
それで仏教徒(特に小乗仏教)は、なんとか善業を積んで、
善趣(人間・阿修羅・天)のいずれかに生まれることを願うのです。
道徳の基盤ですね。

ところが、今までどんだけ(!)悪業を積んできていても
この灌頂を一度受けたら、次の一度だけは人間になれるんですって♪
なんと安易!(笑)
でも、お得感満載(^o^)

だから安心して悪いことしてもいいよって話ではもちろんなくて、
もう一回人間に生まれて、仏陀の境地に近づくよう修行をしなさいよ
っていう意味なんですよね(^^;)

私のように、この年になってようやく仏教と出合い、
今生では学ぶ時間が明らかに足りない~!という者にとっては、
本当に得難い機会をいただけたと思うので

安心して、今生ではアヤシイ瞑想に深入りしたりせず、
過去生で学ぶ機会があまりなかった仏教の智慧(般若)の部分を
死ぬ前の日まで、出来る限りお勉強しよう~と思うのでした。

奈良・東大寺

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nara2.jpg4月28日、ゴールデンウィークの初日に、
ひとりで奈良の東大寺へ行ってきました。

来日中のチベットのラマから
観世音菩薩許可灌頂
なるものを受けるためです。

たまたま2週間ほど前に、ネットで見つけた情報でした。
あいかわらず、どういうものかよく分からないまま申し込みました。
でも、見つけたということは、ご縁があるということなのだと
最近の私は理解するようにしています。

奈良まで、近鉄で約30分。
2年前イヴォンヌのワークショップに毎日通ったその道を、
真っ直ぐ20分ばかり東に歩けば、東大寺に着きます。

それでも東大寺まで来るのは、自分の遠足以来だと思います。
大仏殿の柱をくぐり抜けたり
若草山でお弁当を広げたことしか覚えていませんけど。

nara.jpg新緑の奈良は
ほんとうに美しかったです。
素晴らしいお天気で人がいっぱい。
鹿もいっぱい(^^;)

灌頂は午後1時からでしたが
昨秋オープンしたばかりの東大寺ミュージアムでゆっくりしたかったので
朝のうちに行きました。

東大寺ミュージアムに入ると
まず誕生釈迦仏立像にお会いしました。
美しいですw(ToT)

展示の目玉は、三月堂の不空羂索観音立像と
あまりにも有名な日光・月光菩薩立像。
不空羂索観音さまは、布か網のようなものを持っておられて
これで衆生をひとり残らず救ってくださるのだそうです。
ありがたやありがたや・・・オンマニペメフン。

しかもタイミングよく、この4月3日から
観音さまの宝冠が、修理を終えて公開されていました。

fukuu3.jpg凄い宝冠でした!
けっこう大きくて80㎝以上あります。
観音さまのお身体が3,4mの大きさですものね。

正面についているのは、(たぶん)阿弥陀如来さま。
透かし彫りの銀に金メッキ。
十方に輝き出る光を表現しています!
しかも全体に
1万個以上の水晶・翡翠・真珠・琥珀・ガラス玉がちりばめられているというのです。
豪華絢爛でしょう!

奈良時代に作られたこの珠玉の宝冠を
目の高さでじっくり眺めることができるなんて、
すごいことだと思います。
だってこの宝冠は、
あの大きな観音さまが1千年以上被っておられたわけで
きっと埃にまみれていただろうし、
傷んでもいただろうし、
この美しさに触れることのできた人はほとんどいなかったのじゃないかしら。

写真の手前に写っているのは、観音さまの8手のうち、
合掌の2手が挟んでいた水晶玉です。
如意宝珠(マニ宝珠)というものですが思ったより小さいです。
いや、像が大きすぎるのか(^_^;)

この展示が終われば、宝冠も如意宝珠も、その他の持ち物も
観音様のもとに返されるそうです。

私はこのお部屋(不空羂索観音さまと、そのお冠)を離れがたくて、
休憩用の椅子に座ったり立ったり、けっこう長い時間を過ごしました。

いいものに出会えた・・・
これだけですでにじゅうぶん満足です(^^)v

お昼は、ベンチで若草山を眺めながら
持って行った林檎を食べました。

さて、灌頂が行われるのは本坊です。
どんなことが起こるのでしょうか~?

syakya.jpg

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