ヒエロファニ

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今回、瞑想の3つの段階について教えていただきました。
まず、シャマタ(心が散逸せず一点に留まっている状態)
次にサマーディ(シャマタの対象を取り除いても、心が静まっている状態)
そして運がよければ起こるかもしれないのが、
ヒエロファニ(聖なるものの存在をありありと感じられる状態)
ということです。

私は単純なので、わりと簡単に神社で恍惚としますし
今回のワーク中、ターラ菩薩のマントラをみんなで108回唱えた折りにも、
ひとりひとりの声がひとつになってそこに倍音が加わって
その中で自分の声がある音階で身体に響いたとき、
ぞくぞくぞくっとして涙が流れました。

これをヒエロファニと呼ぶのかどうかは、よくわかりません。
こういう体験に言葉(物語)をつけてこなかったからです。
ただ自分にとって、とても大切な美しい体験であることは確かです。

あるいは、ラマから教えていただいたチベット仏教の瞑想の中で、
仏さまが眼前にありありと現れてくださったり
すぐそばに存在するそのお肌を感じたりして
とても強い喜びを得たことがあります。
こういうのは、シャマタからの手順をひとつずつ踏んだ上での
ヒエロファニだったかもしれないと思います。

village2.jpgヒエロファニ(聖体示現)は、もともとは
私の大好きなルーマニアのミルチャ・エリアーデの言葉です。
彼の幻想小説の中では、けっこうキラキラとした
別の世界に実際に移動してしまうほどの神秘体験として描かれていますが、
そんな凄いことは、妄想の中でさえ自分に起こることはないと思います。。。

和尚が言っているように

神についての考えを全て捨てたとき、ようやく神を知ることができる。そのときお前は、神しか存在していないことを知って驚くだろう!
Drop all ideas about God and you will be surprised, you will be shocked, you will not be able to believe your eyes...because only God is!

ですから、ヒエロファニというものにあんまり囚われると、
かえってややこしくなるかもしれないなと思っています。
ご縁があってヒエロったらラッキーですけど、
その前にするべきことは、やっぱりちゃんと瞑想して
自分の覚醒を上げることかな、と思います・・・地味だけど。


それはそれとして、お友だちと
ヒエロファニの動詞活用を考えて遊んでいました。

   ヒエロらない
   village4.jpgヒエロります
   ヒエロる
   ヒエロれば
   ヒエロ   (爆)

あるいは

   ヒエらない
   ヒエります
   ヒエる
   ヒエれば
   ヒエろ

どちらにしてもラ行5段活用ね(^_^)

わりとヒエロな(形容詞用法)写真が撮れていると思うのですけど、いかがでしょう?

コメント(2)

私も、これがヒエロかな~?という体験が
過去1回あるのですが、

ものすごーく地味で、ものすごーく静かでした。

でもそのとき以来、ああなんだ。全部ヒエロなんだ。
と思うようになりました。超奇跡だらけ。

「囚われるとややこしくなる」というのは
本当にそうだと思います。

そして終止形は「ヒエる」の方が
「ヒエロる」よりは日本語としてこなれていると
なんとなく思ってしまうのはおそらく職業病です。

私も、終止形は「ヒエる」に一票です。
しかし「ヒエロ」まで片仮名でないと、何のことやらわからなくなります。
ま、どっちみち何のこっちゃ、ですが(^^;)

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このブログ記事について

このページは、ayakoが2012年5月 8日 17:27に書いたブログ記事です。

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