Good Bye, Osho

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東京から帰ってきて
しばらくぼぅっとしていました。

ある朝ふと、祭壇のしつらえを変えようと思いました。

私は8年前から、和尚ラジニーシのサニアシンでありました。

ここまで和尚に導いていただきました。
和尚の瞑想をまがりなりにも8年続け
和尚の講話を学び続けてきた、そのおかげで、
ガーチェン・リンポチェに出会うこともできました。

今も和尚の本、特に仏教に関する本を読み続けています。
違った角度から語られていますが、同じ真実が説かれていると感じます。

osho132.jpgしかし残念なことに、私は、
生きている和尚にお会いすることはできなかったのです。
和尚に出会ったのは、和尚が肉体を離れてからでした。
それでもなおこれだけの力を私に与えてくださったと思うと
あらためて本当にありがたいことだと感じます。

ガーチェン・リンポチェに師事することを決めた今
和尚への尊敬と感謝はそのままですが、
和尚をグルと仰ぐのを止めるのが、
もっとも自然なことだと感じました。

この朝、
和尚の写真を燃やしました。

8年間ありがとうございました。


chenrezig2.jpg東の窓の前にしつらえた
祭壇の真ん中に、
チェンレスィ(観音菩薩)さまの小さなタンカを飾り
その手前に、金剛薩捶父母尊の像を置きました。
どちらも縁あってお知り合いからいただいたものです。

両脇に蝋燭を灯して
リンポチェの小さなお写真の前に
加持していただいた新しい数珠を置くと
ありがたさに涙がこぼれました。

チェンレスィとは、慈悲のお目をもつ者、
つまり観自在、です。

こうやって祭壇を調えてみると
以前はこんなに強く感じることはなかったのに、
正面から、まっすぐに、
チェンレスィさまがこちらを見てくださっているのを感じました。

本当につながることができた。
そう実感できることが、ありがたいです。

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このページは、ayakoが2012年6月 9日 00:21に書いたブログ記事です。

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